Yugo Serikawa

1981

July

Feature Article [“Director’s Note”, My Anime]:

前回につづいて、私のアニメ生活を気楽に ふり返り、「おやゆび姫」のことなどを中心に 語ってみることにする。

昭和38年、虫プロ製作の「鉄腕アトム」を皮 切りに、日本のアニメ界にもテレビ時代が始 まった。前回にいろいろ語った「わんぱく王 子の大蛇退治」も終わるころだったと思うが、 月岡貞夫氏に、「芹さん、ちょっと一緒に行っ てみない?」と誘われるままに、気軽に富士見 台の虫プロのスタジオへくっついて行ったこ とがあった。小さなスタジオの中は、夜であ ったにもかかわらず、びっしり並んだ動画机 に、アニメーターがかじりついていた。今に して思えば、その連中のなかに、今日のアニ メ界の大物が何人もいたことになる。製作中 の作品は、「鉄腕アトム」。この時、手塚先生に おめにかかったが、先生ご自身も忙しそうで、 「先生の作品、カット数は? 僕の場合は……」 なんて話し出したと思ったら、月岡氏に袖を 引っぱられて連れ出されてしまった。 「先生、今夜はすっごく忙しいもんで」なん て、頭をポリポリかきながら月岡氏が弁解し ていた。 手塚先生にはその前にも、東映動画 のスタジオでお会いしたことはあったが、お 仕事中の先生の姿を見たのは初めてだった。そ の夜の印象としては、テレビ漫画の仕事って、 忙しいんだなァ”というところだった。 そうこうしているうちに、東映動画でもテ レビ漫画第一号「狼少年ケン」の製作が始まっ た。やっぱり忙しかった……。 忙しいなかで も、月岡氏をはじめスタッフはよく頑張 いたようだ。特にワンクールの前半ぐらいは、 まだ製作のシステムも確立されず、われわれ 応援スタッフもよく徹夜をした。 「狼少年ケン」につづいて、「少年忍者風の フジ丸」が始まり、それと相前後して、製作現 場のスタッフは数を増していった。東西の東 映撮影所からもスタッフが移ってきた。 このころは、飯島敬氏と共によくシナリオ を書いた。「狼少年ケン」にしても、彼が第一話 二本足の〟を書けば、私が第二話”白銀のラ イオン”を書くといった調子で、その後もい ろいろな作品にわたって、かなりの本数をこ なしている。このシナリオ製作の面でも、飯 島敬氏のつねに適切なリードとアドバイスを 忘れることはできない。行き詰まると、よく 彼に相談を持ち込んだものである。 かくしてテレビ漫画は普及の一途をたどり、 アニメのプロダクションもつぎつぎに誕生し て、ブラウン管を賑わせることになったのは ご承知のとおりである。 だが、一方、このリミテッドアニメによるテ レビ漫画の発達は、日本のアニメーションそ のものに、徐々にではあったが、結果におい て大きな変化をもたらししていった。つまり、 ディズニー指向のフルアニメに、テレビ漫画 によって確立された”止メ”と”3コマどり”の リミテッドアニメの技法が浸透し始めたので ある。そして、今日では,フルアニメ””リミ テッドアニメ”と区別して考える観念さえ無く なり始めている。そんな言葉でさえあまり聞 かれなくなってしまった。平たくいえば、ご ちゃまぜになってしまったのだ。

従来の劇場用長編アニメとはちょっとおも むきを異にした作品として、演出を担当した のが「サイボーグ009」、続編の「サイボー グ009・怪獣戦争」。 この時は、前者は飯島敬氏と、後者は飯島 敬氏と白川大作氏と、共同で脚本を書いた。 共に練馬の旅館にこもっての執筆だったが、 飯島氏の的確な企画構成力と白川氏の豊富な 発想力に啓発されるところ大であった。この 時のシナリオづくりも、楽しい思い出である。 「サイボーグ009」は、その後TVシリー ズでも、何本か演出あるいは脚本を担当した が、一番思い出すのは第16話”太平洋の亡霊”。こ れは脚本の辻真先氏とアイディアを練って、 辻氏に書いていただいたものだが、「魔法使い リー・ポニーの花園」 「魔法のマコちゃん・ 「パパとデート」と共に、私と組んだ辻氏の脚 本中の傑作といってよいだろう。

その後、長編「チビッ子レミと名犬カピ」 など、劇場用、TVシリーズと、いろいろ手 がけ、思い出すこともたくさんあるのだが、 誌面に限りもあることだし、残念ながら割愛 させていただき、一気に「おやゆび姫」の話 題にとんでしまうことにする。

「1月20日、大藪郁子さんと第一回脚本打ち 合わせ』 昭和52年の手帳に、こう書いてある。テレ ビの「キャンディ・キャンディ」と「ジェッター マルス」をやっていた私に、突如、高見プロデ ューサーから電話がかかってきたのは、たしか 正月休みのことだった。劇場用長編「おやゆ び姫」についてだった 私は「キャンデ ィ・キャンディ」「ジェッターマルス」とオー バーラップしながら、この仕事に入っていった。 高見氏(現在「さよなら銀河鉄道999」を 担当中)は、実に温厚で有能なプロデューサー である。”カドの無い人柄〟とは、こういう人の ことをいうのだと思う。やりたいようにやら せてくれる、まかせてくれる。それでいて、 ニコニコしながら、守るべき枠は守らせ、こ ちらから引き出し得る成果はチャーンと吸い とってゆく、そんなタイプのプロデューサー である。 「おやゆび姫」でも、私の構成案で脚本の大 藪さんと打ち合わせをさせてくれた。 「あのう、悪人を一人も出さないでいただき たいのですが・・・・・・」 大藪邸で、私はまず切り出した。テーマは “愛と友情”、しかも勧善懲悪の型をとらず、だ れもが友のために良かれと思ってすることが、 立場、境遇の相違から、主人公のおやゆびち ゃんを思わぬ運命に陥れてゆく。しかし、そ の中でも、友情を最後まで裏切らなかったおや ゆび姫の愛が結果として大きく報われる そんな構成の中から、何かしらほんのりとし たムードをかもし出すのが狙いだった。 前回に述べた私の学生時代の専攻科目=へ ヘルマン・ヘッセの『メルヒエン』という短編 集の中に、不思議な力によって、だれから れる力を与えられた青年が、それによっ てまったく満足が得られず、再び願いを立て だれをも愛し得る力に変えてもらう、そして 不遇の中にも心の安らぎを得てゆく、という 話があるのだが、実をいうと、それがこの構 成案のヒントだったのである。 大藪さんも私の狙いをよく理解して下さっ て、素晴らしい脚本をつくり上げて下さった。

「2月15日、メインスタッフ顔合わせ』 スタッフ・ルームも決まって、製作準備段 階に入る。 そして、キャラクターデザインは、手塚先 生が担当して下さることになった。 「おやゆび姫」の脚本からコンテにいたる製 作方法は、独特なスタイルのものとなった。 これは、画面構成担当角田紘一氏のイメージ・ プランを中心に、スタッフが各場面のアイデ ィア、イメージを出し合い、それを画にして ゆく(これをイメージボードと名付けた)。イメ ージが固まってくると、私がそれをもとに、 そのシーンのラフコンテを切る。そのラフコ ンテを中心に私と角田氏で打ち合わせをし、 角田氏がレイアウトをつくる。 ラフコンテと レイアウトをもとに、作監の木野達児氏が清 書コンテを作成してゆく。従って作監、美術、 仕上げ、撮影、編集、音楽、録音など各スタ ッフが手にする画コンテは、フィルムの画面 とほとんど一致している。創作にスタッフの 意見も入るし、演出の発想の領域もひろがる。 それまでのいくつかの長編作品では、ストー リーボードシステムとして、まず美術設定と キャラクターのみで、演出がコンテを切り、 そのコンテを縦10センチ、横25センチぐらい の画用紙に、作監または担当原画がほとんど 模写したりして、それを壁に貼ってスタッフ で検討する、という演出コンテ先行型であっ たが、この場合コンテを拡大しただけだから ボードの数ばかり多くて(「わんぱく王子 では約1500枚)、わかりにくく、アイディ アも出しにくい。単に既成コンテの説明に終 始し、創造性に欠けるケースが多かった。そ の点、「おやゆび姫」のイメージボードシステ ムは、合理的であったと思う。このシステム については、角田氏の積極的な提言に負うと ころが多かった。 この作業が始まる以前から、手塚先生のキ ャラクターがつぎつぎと届き始めた。主役か ら脇役、端役にいたるまで、数多いキャラク ターのすべてをこと細かに描いて下さる先生 の熱意に、秀れた才能と豊かな発想力にわれ われスタッフ一同は、改めて感動させられた ものだった。 先生からいただいたキャラクター原案は、 かなり分厚いものになった。 作画も後半に入り、すでに手塚先生のキャ ラクターデザインもひととおり終わったころ のことである。モグラのモグラーさんが得意 穴掘り器(これは角田氏の考案によるもの で、劇場ではかなり子供たちを喜ばせていた) で、いとしのおやゆび姫のいる野ねずみばあ さんの家までトンネルを掘ってしまうくだり で、冬眠中のオケラが「安眠妨害」と怒り出す、 というアイディアが加えられたのだが、この たった2カットにしか登場しないオケラさん のキャラクターが難物だった。昆虫図鑑に額 を集めたスタッフが、ああでもない、こうで もない、と知恵を絞ったが、どうもこれだと いう決め手が出てこない。ところが、その後 で、手塚先生がつくって下さったオケラさん を見た時、スタッフの口々から、「なるほどね え……」と感心の声がもれた。主役のおやゆ び姫や王子さまなどのキャラクターを見た時 とはまた違った「なるほどねえ…」だった。 という。 先生のオケラさんは、苦虫噛み潰したような 顔に、貴族的なタキシードを着ていて、しか も首に手拭を巻いている。このタキシードと 手拭のなんともチグハグなとり合わせが、地 面の下の粗末なねぐらにかくれているくせに、 気品ばかり高くてこうるさいオケラさんの個 性を見事に、しかもユーモラスに表現してい たのである

ところが、いざとなると東映動画調のキャ ラクターに慣れてきた作画スタッフにとって、 手塚治虫調のキャラクターはなじみがなく、 むずかしいことが多かった。そんな時、参加 して下さったのが、長年手塚先生に師事して おられたベテラン中村和子さんであった。手 塚キャラクターを完全に生かしきれる方とし 手塚先生ご自身の推薦によるものだった 中村さんは以前、東映動画におられたのだ が、「西遊記」を終えて虫プロに移られた方で、 10数年ぶりの里帰りというところである。 彼女は木野達児氏と共に、作監として精力 的に活動を開始した。初めのころのある日、 セーターのおなかの部分についた透明ビニー ルの大きなポケットに、アラン・ドロンの写真 を入れて現れた時は、スタッフ一同がびっく りしてしまった。彼女は、大のアラン・ドロン のファンで、動画机にもいつも写真がかざっ てあった。 天衣無縫の情熱家というべきか、実に仕事 熱心で、ひとたび仕事のこととなればいうべ きことはズバズバいう。教えるべきことは、 手をとるように細かく親切に教えておられた。 ある時など、動画机にむかっていた彼女が、 突如クルリと腰かけごと私の方へむきなおり、 「芹川さん!!! おやゆび姫、良い作品にして 下さいね」と、真剣な顔で激励して下さる。あ んまり突然だったので感動すると共に、びっ くりしてしまったこともあった。 こんな調子で、スタッフの人気も良かった。 私は今でもいろいろなベテランアニメーター とおつき合いをしたが、何かひと味違う熱気 を感じさせる “アニメ界の烈女”とでもい うべき人である。 中村さんにつづいて、社内スタッフの他に 湖川友謙氏、高橋信也氏などが原画担当とし て参加して下さり、「おやゆび姫」は同年の11 月末、無事に初号プリントが完成した。

その後は「SF西遊記スタージンガー」のチ ーフディレクターを経て、「日生ファミリース コペシャル・若草物語」(昨年5月放映)を担当 した。この年の前年あたりから、テレビ漫画 には単発の1時間半ないし2時間のスペシャ ル番組が登場し、次第にその数を増している。 「若草物語」は、ルイザ・メイ・オルコットの 長い原作からして、一つの家庭を中心にした 日常的なエピソードの連続であり、激しいド ラマの起伏は無く、また起承転結のはっきり した劇構成もない。無理にそういうものを引 き出そうとすれば、逆に原作の良さを壊して しまう。それに正味1時間10分前後のドラマ にするには、エピソードの量があまりにも多 すぎる。脚本の今戸栄一氏もこの点で苦心な されたようだ。そして、私もいろいろ苦心し た。何しろ、こんな坦々とした構成から何ら かのテーマ、盛り上がりをつくる演出は、私 にとっては新しい分野だった。苦心はしたが、 良い勉強になった作品である。 その間、テレビの「銀河鉄道999」とオー バーラップして、つぎは法然上人の伝記映画 「わたしの法然さま」(50分)をつくった。こ れは、浄土宗総本山知恩院の企画発注によるも ので、まずスタッフと共に、京都知恩院など にロケーションを行い、アニメーションドラ マの中に、実写を組み合わせてゆく手法をか なり思い切ったやり方でとり入れてみた。 こ れも私にとっては、貴重な経験であった。 そして現在は、当誌先月号でも紹介された 「夏休みファミリースペシャル・恐怖伝説・怪 奇!フランケンシュタイン」(テレビ朝日系で 7月27日放映予定2時間)の製作に追われ ている

フランケンシュタインと真っこうからとり 組んだ長編アニメは、おそらく最初だと思う。 それだけにむずかしいが、非常にやりがいの ある題材である。 生命は神のみがつくり得る聖なるもの、そ の神の領域が犯された時、つまり人が大自然 の摂理にそむいた時、いかに恐ろしい悲劇が 起こるか?それを怪奇スリラーのムードの 中で描く、それが前半の焦点。 しかし、当の フランケンは、つくられた自分が持って生ま れた本能のままに行動する。 フランケンの周 囲に渦巻く、名誉欲、出世欲、物欲の数々は 神、大自然の摂理によって生命を得た純正人 間の側にばかり起こり、逆にフランケンは少 女エミリーによって、内面に眠っていた人間 らしい心に目覚めてゆく とすると、怪奇、 スリラーをベースにした”愛のテーマ”も考え られてくる。私がこれまでのアニメ生活で追 い求めてきた”愛”とは、ちょっとニュアンス を異にした形になると思うが、それだけに意 欲も湧く。作監の芦田豊雄氏とは初めてのお 付き合いだが、いろいろと協力して下さる。 東映動画プロデューサーの勝田氏とは、「SF 西遊記スタージンガー」で苦労を共にした仲 だし、今回も呼吸が合う。まったくタフなプ ロデュースぶりで、引きずってくれる。とい う次第で、シンドイかもしれないが精力的に 食いついてゆける仕事と思っている。

まったく勝手な手前味噌ばかり並び立てた 感じだが、紙幅もつきたのでこの辺で筆をお かせていただくことにする。(拙い文章を終わ りまで読んで下さった読者のみなさんに、 からお礼を申し上げます。)

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