1979
January
Comment [Animage]:
善悪を単純に決めずに、敵の論理の中での人間性を描いたのが、ハイネルとリヒテルです。外見の美しさはもちろんですが、彼らの精神的な面でのドラマにファンの人気が集まったようです。
1980
January
The Anime, Comment For Rose of Versailles: [「ベルばら」の放映も、順調に軌道に乗って来ました。最初は原作のファンの拒絶反応を受け、注文の手紙や、「やめろ!」という手紙までも送られて来ましたが、一方では、厳しい「ベルばら」フアンや原作者(池田理代子さん)からは、たいへんなおほめの言葉をいただき、制作者一同、よりいっそうはりきっております。とくに池田さんは、5、6年前に「ベルばら」のアニメの舌があったときこは反対され、代わりに”黒い騎士”だけを取り上げた「ラ・セーヌの星」を放映したいきさつがあったのですが、今回の「ベルばら」のアニメ化のストーリー作りに積極的に御協力いただき、歴史背景を肉づけして、民衆の生活を原作以上にくわしく描いてゆきます。]
1981
January
Interview [“Interview with An Anime Person”, The Anime]:
ファンタスティックなシー ンがいっぱい!
Q. まず、現在制作中の「ユリシーズ31」の 話題から入っていきたいと思うのですが、ま、 これについては雑誌、新聞等で紹介され、ど んな物語なのかはある程度ご存知の人も多い と思いますが、もう一度ここで内容等につい てくわしくお話していただけますか。
Nagahama. ギリシャ神話の中のいちばん最後の方 になるんですが『オデュセイア」(ホメロス 作の長編叙情詩)のユリシーズの物語という のがありますね。トロイ戦争が終ってオデュ ッセイ(つまり今回のユリシーズ)が故郷へ 帰ろうとするんだけど途中でいろんなことに 遭遇してなかなか帰れないという。この〝帰 りたい帰れない”という話を31世紀の宇宙空 間にもってきたのが「ユリシーズ31」なんで す。
Q. そうしますとSF版オデュッセ物語とい うわけですね。
Nagahama. そうです。具体的な話の内容は、まず トロイ惑星と地球を結ぶ大宇宙船 “オデッセ イ号”の船長であるユリシーズの息子(テレ マーク)が、”シクロープ”という一つ目小 僧のオバケのような怪物に奪われるとこから 始まります。 なぜテレマークを奪ったかとい いますと、シクロープ”という怪物は実は 目が見えなくて、見えるようにするには子供 の魂が必要だったのですね。それでユリシー ズはテレマークを救うために”シクロープ。 と戦い最後にシクロープ”を殺してしまい ます。それを知ったオリンポスの神々は〝領 域をおかされた!”として激怒し、ユリシー ズたちを”オリンポス宇宙”に閉じ込めてし まうんです。しかたなくユリシーズはその中 放浪して歩くのですが、この放浪の記録が この作品の内容になっているんです。
Q. そうしますと一話完結ということになる?
Nagahama. そうです。毎回不思議な神々のところ に連れていかれたり迷い込んだりして、さま ざまな試練を味わされることになります。 かし、確かにそうした恐いシーンもたくさん 出てきますが、この「ユリシーズ31」では、 それ以上にファンタスティックでミステリア スなシーンが多く登場します。ま、この点が この作品のネラいでもありますし特徴でもあ るんですが。
Q. 単なるSFものとは違うということですね。
Nagahama. 違います。長浜がSFをやるんならと 「ボルテスV」 「闘将ダイモス」の後を期待 しだとしたら間違い(笑)。まったく新しいこれまでなかったようなおもし あいSFになると思います。
フランスとはまったく対等 の立場で制作している
Q. ところで、この「ユリシーズ31」は日仏 合作ということですが、コミュニケーション はうまくいったのですか。
Nagahama. これがいちばんの問題だった。(笑) 今考えると、よくまあここまでこぎつけられ たなあと思いますね。(笑) とにかく相手(フ ランス)スタッフと話し合うのが先決だと、 この仕事をやることになって、すぐに私はフ ランスに飛んだんです。靴の中にキャラクタ ーの設定案と数冊のアニメ雑誌を入れてね。
Q. ええ…
Nagahama. で、いってみますと、フランス側では すでに二千万円かけて一本分作っていたんで すね。私もそれを観せていただいたのですが とにかくキャラクターがよくないんです。そ れて私は、このキャラではよくないから替え たいといったんです。ところが彼らも自分た ちが作ったものに自信をもっていますのでな かなかゆずろうとはしない。そこでケンケン ガクガクやったのですが、その時初めて日本 人とヨーロッパ人とのキャラクターについて の考え方の違いを知りました。
Q. たとえば、どんな風に違うのですか?
Nagahama. 彼らは日本のアニメのキャラクターは、 皆同じ顔してて不自然だというんですよ。で 私はその意味がわからなかったものだから、 そんなことはない皆違うじゃないかと反論し たんです。すると彼らは、私が日本から持っ ていったアニメ雑誌を開げると「どのキャラ クターも目が大きくて同じに見える」という そういわれてよく見るとまさにその通りなん ですね。これだけは私も読み違えていました ね。
Q. で、結局は・・・・・・
Nagahama. 結局は私の意見を通してもらい、フラ ンス側で作ったキャラクターは一切考えに入 れないで、最初から全部設定しなおすことに なったんです。双方から意見を出しあってね。
Q. それでキャラクターはスムーズに決まっ たんですか?
Nagahama. とんでもない(笑)。連日大激論大会で すよ(笑)。私もそういうの負けない方ですか らね(笑)。しかし、現実に、すぐヨーロッパ の人に観せなければならないし、彼らがあき らかに「ノウ!」というものを作るわけには いかないので、目については彼らの主張を入 れることにしたんです。しかし、そうだから といって余り小さ過ぎたりすると、今度は日 本の人たちが「ノウ!」ということになりま すので、その辺の接点がむずかしかったです が…..
Q. 作”というと外国側からコン テや音が送られてきて、日本側ではその指示 に従って作りあげるだけ、というかたちが多 いと思うのですが、今回の「ユリシーズ31」 はそうじゃなかったわけですね。
Nagahama. まったく対等の立場でやりました。 こ の作品についてはまったく新しい合作のしか ただと自負するものがあります。しかし、キ ャラクターのこともそうですが、日本人とフ ランス人はとうていわかりあえないのかな、 と感じた瞬間があったのも事実ですね。
Q. 例えばどんな時ですか。
Nagahama. フランスにいって最初の制作会議の時 だったんですが、とにかく私はまず自分の考 えを知ってもらおうと話し出したんです。 ところが、話の途中にもかかわらず彼らはそ れを遮断してワッといってくる。私なんかは、 相手が話してる時は自分の発言を控えてでも 聞こうという態度でやってきましたのでこれ にはビックリ。話の方もいっこうに前に進ま ないんです。後で通訳の人が教えてくれたの ですが、彼らは相手のいうことを最後まで聞 くというのは恥だと考えてるところがあるら しい。私はそんなこと知りませんでしたので 怒ったんです。「君たちの論議のしかたはま ちがっている。人のいうことは最後まで聞い て、それから反論すべきだ!」ってね。 ま、 この点については、その後、彼らがわかって くれて、今はうまくいってるんですが最初は ホントどうなるかと思いましたよ。
Q. いかにも国民性が違う感じでおもしろい ですね。そういったエピソード、ほかにもあ りますか?
Nagahama. あります、あります(笑)。これはある ところにも書いたんですが、「カリプソ」と いう脚本を討議してまして、その中でユリシ ーズが”カリプソ”という美しい女性に愛を 告げられるというところがある。もちろんこ の部分は問題ないのですが、次に”カリプソ” がユリシーズをベッドに誘うシーンが出てく る。こうした場合日本なら「ノー」というこ とになるわけですが、ユリシーズはいそいそ とついていく(笑)。で、私は「ちょっと待っ てほしい。ここでユリシーズが”カリプソ” についていってしまったら、日本では、彼は 翌週から主人公としての座を失い、チャンネ ルも切り換えられてしまうであろう」といっ たんです。するとライターのニナ夫人をはじ フランスのスタッフたちはけげんな表情に なってね、どうして?長浜、”カリプソ”は こんなに美しいのよ。こうなるのは自然でし ょう!というわけです。
Q. “たてまえ” を大切にする日本と、ホ ンネ〟というか人間の自由とか自然を第一に するフランスとの違いなんでしょうね。
Nagahama. そうですね。とにかくこの時ほど、ル ネッサンスを経験しているヨーロッパ人と、 いまだに徳川三百年のくびきから逃がれられ ないでいる(笑) 日本人との差を感じたこと はありませんでしたね。ま、この部分は、双 方に五〇%の拒否権がありますし、日本で放 映できないものを作るわけにはいかないとい うことで、結果的には私の主張が通ったので すがね……。
Q. そうしたことをいわなければならないと いうところに、長浜さんなりの苦しさみたい なものがあったんでしょうね。
Nagahama. 苦しさというか、非常に残念だという 感じは持ちましたですね。
ヨーロッパのアニメはニコ マ撮り
Q. ところで、今もフランスの話が出たので すが、アニメの状況はどうなのですか。特に テレビアニメなどは・・・・・・
Nagahama. もちろん、私がフランスにいたのは短 い期間でしたし、フランスのアニメを特に研 究しているわけでもないので、くわしいこと はわかりませんが、日本のようにアニメ制作 のプロダクションがあって、次々に作品を生 み出していくという状況ではないみたいです ね。テレビを観てましても、フランスで制作 されたと思えるアニメは、政府のコマーシャ ルぐらい。それ以外に時たまギャグもののア ニメがあるらしいですが、しかしそれも三十 秒とか五十秒の極く短いものだということで すね。ま、日本から比べたらないにひとしい。
Q. 日本の情況から考えてちょっと信じられ ないですね。
Nagahama. ええ、とても信じられない。しかし日 本の場合はむしろ、特別な情況なんですよね。 アメリカだってこんな情況は考えられないで しょう。
Q. 技術的にはどうなんですか。
Nagahama. まあ、こういってはなんですが、まだ かなりプリミティブ(原始的とか初歩的とい った意味)な状態だといえますね。だから日 本のアニメなどを観せますと、どんなものに も新鮮な驚きを示しますね。目が大きいこと と。三コマ撮りということを除いてはね。
Q. ヨーロッパでは三コマ撮りではないんで すか?
Nagahama. すべて二コマ撮りです。我々は三コマ 撮りでほとんどのことは表現できるという信 念でやってますがね。いま一緒にやっている フランス人スタッフもそうですが、彼らは二 コマ撮り以外はアニメじゃない、といいます ね。
Q. すると「ユリシーズ31」も二コマ撮り、 ということですか?
Nagahama. そうです。ですからセルの枚数も一万 枚を超えることになるでしょうね。
「伊賀の影丸」ですっかり映 画好きに
Q. この辺で、長浜さんご自身についていろ いろお聞きしたいと思うのですが、まずどう いったことでアニメをやることに……。
Nagahama. 私はもともと演劇が好きで中学、高校 と仲間を集めて演劇ばかりやっていたんです。 それで本格的に勉強したいと日大芸術学部の 演劇科に入った。ところがそこは演劇評論家 を育成するところで、実際の演劇については 何も教えてくれない。それでは目的を果たす ことができないと思い、「キリン座」という 劇団に入った。その頃「キリン座」は小山元 気さんなどが中心にやっていまして、元気さ んから演出技術を教わりました。だがこの劇 団が二年ほどで解散しまして、私はもっと演 劇の勉強がしたかったので「青年俳優クラブ」 に入りました。
Q. そこにはどのくらいいたのですか。
Nagahama. 三年ぐらいでしたね。ここにはもう少 しいたかったのですが、実はその頃女房が「ひ とみ座」という人形劇団に入ってまして劇団 の人も私にこいという。私も随分考えたので すが、何せ女房を人質に取られてますのでこ とわれない(笑)。ま、それで入ることになっ たのですが、しかしこのことが私がアニメを 始めるキッカケになったのですからおもしろ いですね。実は私が入ってすぐ、「ひとみ座」 「伊賀の影丸」という人形劇映画を作るこ とになり、やはり「ひとみ座」で演出をやっ ていた清水浩二クンなどと持ち回りで演出を 担当することになったんです。私はこの「伊 賀の影丸」で初めて映画に触れたのですが、 これですっかり映画にとりつかれてしまった。
Q. それでアニメとかかわりあうようになっ たのは(笑)。
Nagahama. 実は、現・東京ムービー新社の社長の 藤岡豊氏と「ひとみ座」で同 期で、彼が「ひ とみ座」をやめてアニメ制作会社(東京ムー ビー)を創り、そこで「おばけのQ太郎」を やっていたんですよね。私はその頃とにかく 映画をやりたかったので、そのことを彼に話 すと、それじゃ「おばQ」をやってくれとい われて東京ムービーにいくことになったんで す。当時は「おばQ」の演出は、大隅(正秋) さんと岡部(英二)さんがやってまして、 ア ニメについて何にも知らない私はお二人から アニメのノウハウ”を勉強しました。
Q. それから長浜さんは「侍ジャイアンツ」 を最後に「東京ムービー」をやめられていま すがやめられた理由は?
Nagahama. つまり、監督がいいものを作ろうとす ればするほど、スタッフの首をしめつけるこ とになることをハッキリと知ったからです。 しかし、だからといって変に妥協したかたち でもやりたくなかったので、これはやめるし かないと考えた。
Q. やめられてからはどうしたのですか。
Nagahama. ビデオ会社を創りまして、CM制作な んかやってました。あんまり儲からなかった けど(笑)。
Q. その後、昭和五〇年ですが、東北新社製 作の「勇者ライデーン」をやらされてますね。 しかもこれはそれまでやったことのないロボ ットもの。
Nagahama. ま、二年間ほどそんな会社をやってた んですが、だんだんまたアニメがやってみた くなりましてね。それならロボットものでも なんでもよかった。それに、ロボットものを 食わずぎらいで終わりたくない気持もありま したしね。 この時、一緒にやった富野 (喜幸) クンから戦闘もののおもしろさを教わりまし た。彼は非常に優秀な男でした。
Q. 最後に長浜さんの演出の態度〟につい てお話しいただけますか。
Nagahama. 生きる上で何が大事かということを、 語っていくのが演出だと信じてやっています。
彼は自分の作品に 対し人一倍の 責任感と愛着を持 つ人だった (Written by Yutaka Fujioka)
今でも彼のことを信じられない気持でいる。 余りにも突然過ぎましたからね。残念だ。 長浜クン(あえてそう呼ばしていただく) とは、二七~二八年前、当時鎌倉を本拠に活 動していた「ひとみ座」という人形劇団で一 緒になった。彼は演出をやっていて僕はプロ デューサーのまねごとみたいなことをしてた。 探求心旺盛で、やはり同じ「ひとみ座」の演 出をやっていた清水浩ニクンなどと一緒に、 実験劇に取り組んでいた。 僕の方はその後、 「ひとみ座」をやめて、人形アニメ制作会社、 そしてすぐにアニメ制作会社(東京ムービー) を創った。そして第一作である「おばけのQ 太郎」をやっている時に長浜くんがきて、映 画がどうしてもやってみたいという。僕も彼 が以前から映像に興味を持ってたことを知っ てたので、それじゃあと「おば」の演出を お願いすることにした。 「おばQ」に関しては彼自身もいってるよう に“アニメを勉強した作品”であり、彼の特 徴を出すまでに至らなかったが、三年後にや った「巨人の星」ではみごとに彼の真骨頂を 発揮していた。彼はこの作品にそれまでの”絵 の方から出発するドラマ”(それまではアニ メは絵描き人が多かったのでどうしてもそう した傾向になってしまった)でなく、舞台で やってきた正統的なドラマの手法を持ち込ん だ。彼はさかんに”オーバー・リアリズムで やるんだ”といってましたが、これが〝みる 側”はもちろん”作る側”にも大きな衝激を 与えた。 今でこそこの手法が当り前のように使われ ているが、当時はまさに画期的なことだった。 この意味でも、長浜クンがアニメ界で果たし た役割は非常に大きいと思う。 彼は、「ひとみ座」の時もそうだったが、 仕事に対して信念を持っていた。自身の発想 や思考に自身で疑問を抱かない限りはそれを 押し通してきた。一切妥協はしなかった。僕 は彼のその点を買っていたし信頼もしていた。 だから今回の「ユリシーズ3」の話が決った 時も、真先に彼にお願いしようと思った。彼 は期待してたとおり、両国スタッフの間に立 ってコンセンサスを一つ一つまとめあげ〝合 作”をスタートさせた。おそらく口に出すこ とができない苦労がいっぱいあったろう。し かし、彼はそうしたことはおくびにも出さず、 ひたすら作品作りにとりかかっていた。今回 に限らず、彼は自分の作品に対して人一倍の 責任感と愛着を示す人だった。もしかしたら 今回のこともそうしたことが原因の一つにな ったような気がしてならない。それを思うと 本当にかわいそうでやりきれない気持になっ てくる……。
