Keisuke Fujikawa

1978

October

Comment [For Galaxy Express 999, Animage]:

じつをいうと、ぼくは以前からこの作品をテレビ化したらおもしろいだろうな、と考えていたんです。というのも、すごくファンタジックな面を備えている反面、モーレツにブラックの要素もふくんでいる。ただ、情感だけで流れている作品ではないんですよね。 ま、そこにすごくひかれる部分があつたんです。年齢層的には、はば広、小学生から高校生あたりまでをねらってみたいですね。

1981

July

Feature Article [“My Anime Life”, My Anime]:

短所をクール に見つめるこ とから、始めること にした」

「ムーミン」の企画、それが私のア ニメーションとのつきあいの始まり でした。デビュー以来深い時間帯の ドラマを中心にして仕事をしていた こともあって、アニメーションに関 係するということは、正直に言って かなりの抵抗がありました。それと いうのも、当時のアニメーション番 組は、どうしても幼児のものという イメージがありましたし、内容的に も満足できるものがなかったからで した。ひと口で言ってしまうと、マ ンガマンガしてしまっていて現実感 がまったくなく、いわゆる絵空事と してうつっていたからなのです。 「ムーミン」の企画依頼があったこ ろ、すでに児童番組執筆のきっかけ になった「ウルトラマン」シリーズ を書いていましたが、内容的にいう アニメーションとはまったく異質 のものでした。そんなわけでいささ か尻込みしかかったのですが、「ムー ミン」の原作を読んで、その素材の 面白さに魅かれたのと、アニメーシ ョンを知る絶好の機会だと考えて参 加していったのです。 ここでお断りしておかなくてはい けないのは、私がアニメーションと いう分野が嫌いだったのかというと、 決してそうではありません。問題な のはその内容にあったのです。アニ メーションというのは、ああいうも のしかできないのか、そういった不 満感だったと思います。私が「ムー ミン」にのったのは、何か地に足の ついたものがやれるのではないかと いう期待感があったからですが、ア ニメーションという媒体については、 クールな目で見つめていこうと決め ました。そしてアニメーションの長 所よりも、むしろ短所を見つめるこ とから始めることにしたのです。 い わゆるアニメーション畑の多くの人 が、それに溺れきって出発している のとはまったく違った出発をしたわ けです。 このアニメーションに対する姿勢 は、その後の私の運命を左右したと もいえる、重要なものでした。アニ メーションしか知らない人よりも、 幅広く作品を見つめられるからです。 世の中で、あばたもえくぼ”という ことを言いますが、少なくとも作家 たるもの、欠点は欠点、長所は長所 として見抜けなくてはいけないし、 それらをすべて含めた上でアニメー ションを愛するのでなければ、本当 にアニメーションを支え、未来を担 うことはできないと確信していたの です。

「とにかくアニメ作家の勝負は、 着想がポイント」

アニメーションの最初の仕事が、 「ムーミン」であったことは私にと って幸いでした。 メルヘン調のものでしたが、そ の裏側にはかなりシビアな人生 というものが隠されていたか らです。私の好みにも合い ました。そして、この作品 には、何とも言えないいい雰囲気が 漂っていたのは、実はシビアな世界 が背後に隠されていたことによって、 より強く表れたのだと思います。 ア ニメーションでは、ただシビアなリ アリティだけを追っても駄目だし、 情緒にのみ流れてしまっても成功し ません。それが一つの発見でもあり ました。 そしてついでにお話しすると、ア ニメーションではかなりシビアな素 材を投入しても、情感を失わないとい う発見をしました。逆に言うと、絵 の世界ではその色あいが、実写のそ れと比べるとかなり薄められてしま うということです。さり気なくとい う表現が実に苦手な世界だと思いま した。ですから登場人物にしても、 かなり際立って書かないと存在感の ないものになってしまうのです。こ のへんを極端にやるとギャグになる ということでしょう。 こんなことを発見しながら、「ムー ミン」「アンデルセン物語」を書きま したが、そのころ、「さすらいの太陽」 という私の原作がテレビ化され ました。この原作は、これ までの私の持っていたマンガ 感や、アニメーションを知る ことによって得たノウハウ によって書いたものでした。こ れは『少女コミック』に一年ぐらい 連載したものですが、この時、企画 というものが、どんなに大事なもの であるかを知りました。これは編集 者から、ある新人マンガ家を何とか 売り出したいと相談を受けたのです が、私はその人の絵を見ながら企画 十三回分の原作を書いて出しまし た。歌手を目指す対照的な二人の少 女の物語です。 ところが、初めその原作を読んだ 編集者は、これまで音符を使ったマ ンガで成功したものはないというの で、一寸心配しました。しかし私に は自信がありました。 歌の世界とい っても、狙いは歌そのものではなく、 そこで生きる二人の少女の人生を描 くことにあったからです。 幸い編集 長が大変ってくださって、無事に スタートすることができました。そ のころアニメーションでは、いわゆ スポーツ根性物の全盛期でしたが、 私はそうした風潮をとらえ、逆境を 生き抜く別の根性物にしたわけです。 ところが、三回までのマンガが描 き上がってきて、びっくりしたこと が起こりました。 主人公の父親があ っさり死んでしまっているのです。 私の構想では十二月のクリスマ ス前後にドラマチックに死 なせるつもりだった のですが、マ ンガ家は早く主人公を不幸へ追い込 みたくて、あせったのでしょう。そ れと、実はそのころまでの少女マン ガのパターンというと、薄幸の主人 公はたいてい両親を失っているか片 親を失っていることになっていまし た。私は人間の死を軽々しく扱いた くなかったし、これほどドラマチッ クなことを上手く利用しない手はな いと考えていたので、変更してもら いました。私がアニメーションやマ ンガの世界へ飛び込んだのも、そう いうことへの不満を外から眺めてい るのではなく、内部へ入ってすこし でも変えられるかどうかという狙い を持っていたのですから―――。 とにかく、作家の勝負というもの は、企画で始まる。その着想がポイ ントだということを痛切に感じたも のです。「さすらいの太陽」は、スポ 根ではなく歌の道を歩む人生根性物 語であったことに成功の鍵があった と思いますし、さまざまな点 から分析して得た信念を曲げ なかったことがよかったと思っ ています。 余談になりますが、 今を時めく人気アニメーターの安彦 良和さんは、テレビ化されたこの作 品でデビューしたということです。

「いい作品を作るためには、 集中的に精力的に」 その後、私は、「天才バカボン」「新 「ムーミン」「マジンガーZ」「ワンサく ん」「キューティー・ハニー」「星の子 チョビン」「グレー コート・マジンガー」 を書きました。おおまかにいって、 情感物からアクション物への転換期 でもありました。私自身、アニメー ションの世界にすこしずつ慣れてき ていましたので、いろいろなものが やってみたくなっていたのです。作 品を見ても、メルヘン、ギャグ、ア クション、ミュージカルと、千変万 化なのがわかります。それがすべて 私にとっては、アニメーションで初 めて経験するものばかりで、戸惑っ たり発見があったりして楽しい時期 でした。 そして前がおとなしい作品が多か ったせいか、うっせきしたものがす こしずつ噴き出してきていました。 そのせいでしょうか、「マジンガーZ」 「グレート・マジンガー」では、百 三十本中九十本ほどの脚本を書いて いました。「ワンサくん」も集中的に 書きましたが、劇中の歌も作詞しま したので、大変な作業でした。やは 作家として狙いを徹底させ、成功 させるためには、散発的な仕事では 駄目なのです。アニメーションでは それまで、ほとんどの番組が五人も 六人もの人によって書かれていまし たが、それは制作上の必要からでし た。いっぺんに何本もの脚本を完成 しないと間に合わないからなのです。 そうなると、どうしても、シリーズを 通して見た時に不満を残すことになっ てしまいます。勿論、すでに出版し 原稿がある場合はその弊害も少な いのですが、原作といってもキャラ クターだけだったり、オリジナル作 品である場合は、たくさんの人で書 くのは難しいのです。私は集中的に 書く作品と散発的に書く作品を適当 に配分するようにしていきました。 きちんとした原作のある場合は、そ の原作の味をたっぷり生かそう、そ してオリジナルに近いものでは強烈 に自己主張したものにしよう、そう 心に決めました。そしてついに、 者の仕事に入ったのです。

「ヤマトは私にとってもエポック・ メーキング・・・」

「宇宙戦艦ヤマト」がそうでした。 SF物で「マジンガーZ」でないも のという注文を受けて企画が作られ、 その後松本零士さんが参加して今の 形になっていきました。いわゆる原 作のない仕事です。打ち合わせが午 前三時ごろまで続き、その日の夕方 までに初稿原稿を上げて決定稿打ち 合わせという猛烈な作業が続きまし た。おそらく普通の人ではすぐにぶ 倒れてしまったに違いありません。 この作品がいろいろな意味で私の 思い出に残っているのは、アニメー ションとしては珍しくリアリティー を重んじたこと、そしてアニメーシ ョンの特性である飛躍性とが見事に マッチしたことです。そしてそれま でのアニメーション作品には見られ ない丁寧な作られ方をしたことでし ょう。残念ながら放送時の視聴率は 悪かったのですが、作業をしていて がっかりしたことはありませんでし た。脚本を書いている充足感が味わ えたせいでしょう。それともう一つ、 現場の人と身近にいることができた のは、私にとって大変いいことでし た。さまざまなセクションの人が、 それぞれに仕事をして一本の作品が でき上がっていくことを肌で感じる ことができたからです。アニメーシ ョンでは、特に一人だけの力で傑作 ができるものではありません。いろ いろなセクションの人がバランスよ 力を発揮しなければならないとい うことが、よくわかりました。 その後、「宇宙戦艦ヤマト」はいわ ゆるブームを巻き起こして、その後 アニメブームの橋がかりとなり ました。前にもお話ししましたが、 幼児のものだと隅っこへ追いやられ ていたアニメーションが、この一作 の大ヒットで社会的に認知されたと いっていいと思います。年齢も幼児 から青年層にまでも拡大されました。 「宇宙戦艦ヤマト」のアニメーショ ン界に果たした役割は大きかったと 思います。この後、私は、「グレート・ マジンガー対ゲッターロボ(劇場)」 「鋼鉄ジーグ」「クムクム」「グレンダ イザー」「コンバトラーV」「ガ・キ ーン」「氷河戦士ガイスラッガー」「超 人戦隊バラタック」「世界昔話」と書 いていきました。おわかりのように SFロボット・アクションがほとん どです。かつて「マジンガーZ」が 大ヒットした時、巨大ロボット物が 次々と現れたように、「宇宙戦艦ヤマ ト」の大ヒットによって、一味違っ たSFアクションが、次々と現れて きたようです。一言でいうと、悪役 側をきちんと書こうとするようにな ったことでしょう。ストーリー性も 強くなっていきました。私はアニメ ーションの世界の可能性に光を見つ け出しました。とにかく頑張ろうと 決心したものです。

「新人が目標とするような仕事 の仕方をしよう・・・」

私はさらに、「グランプリの鷹」 「一 休さん」「銀河鉄道999」「宇宙戦艦ヤマ ト2(劇場)」「新エースをねらえ!」 「宇宙戦艦ヤマト2」を書いていき ました。いわゆるヤマト・ブームの 頂点のころでした。 私の家へも、高校生がたくさん訪 ねてきてくれるようになりました。 私は彼らと会うことによって、若い 人が何を考え、何を欲しているのか ということをつかむようにしました。 そしてそれに対して、作家として何 を訴えかけていけばいいのかという ことをよく考えるようになっていま した。だれが見ても楽しい作品を書 きたい。しかし、ただ楽しいだけ、 若い人に迎合するだけの仕事はした くないという気持ちからでした。本 当にいいものには、楽しみながら何 かを感じてもらえるものを持ってい るはずです。私はいつも志を高く持 っていようと心がけてきました。そ のおかげで、いろいろな方から一緒 に仕事をしようと誘っていただける のだと思っているのです。そしてこ れは世の中の常ですが、一歩でも二 歩でも前進したら、前進した力でし なければならないことが出てくるも のです。 でき上がった企画にのって、 とにかく脚本を書くという新人時代 とは違った責任のようなものを感じ るようになっていきました。若い脚 本家が、あいつを目標にしてやろう と思ってもらえるような仕事の仕方 をしようと思うようになったのです。 私は私生活も仕事中心に切り換え ました。そして、三年間無茶苦茶に 仕事を続けたら一年はゆっくりする ようにすること。それから一年のう ちでも、春、夏、秋にはきっちりと一 週間ぐらいずつ休みを取って、旅行 をしようと決めました。休息をとる のと同時に、新鮮な刺激を受けてま た仕事を向かうためです。脚本家に なってつくづく思うのは、自制心の 勝負だということです。自分に克て ない者は絶対に駄目です。そしてあ らゆることに興味を持つこと。これ 決めて何かを実現しようという時 は、たとえ困難があってもじっと我 慢しながら、一歩一歩目標へ近づい ていかなければなりません。何かに 賭ける執念がなかったら、何もでき ないと思うからです。

「存在は地味だが、理解と信頼に 応えるために―」

アニメーションでやれそうなこと はすべてやってみようという気持ち で仕事を続けていました。このころ 書いたものには、「新エースをねらえ !(劇場)」「さすらいの少女ネル」「チ ルチルミチルの冒険旅行」「宇宙戦 艦ヤマトⅢ(劇場)」「マリンスノーの 伝説(TVスペシャル)」「永遠の旅人 エメラルダス(TVスペシャル)」 「宇 宙戦艦ヤマトⅢ」「君は母のように愛 せるか」(TVスペシャル) 「鉄人28号」 「Xボンバー(人形アニメ)」があり ます。傾向としては、大型作品が大 変ふえてきているのと、実写、アニ メーションを問らず、企画依頼が大 変多くなってきていることです。 今、私はすこしでもやりたいこと を自由にやれる時がきているように 思っています。脚本家の存在は地味 なものですが、作品を決定づける力 を持っているのも脚本家だと思って います。そういう意味で、私の作品 に向かう情熱に理解を示してくださ る方が、次々と出てきてくださるの は、この上なく嬉しいことです。 しかし、それだけに責任も大きく のしかかっていると思っています。 今はアニメーションの将来のために も、有能な若い脚本家を一人でも二 人でも育てて押し出したいと思いま す。とにかく、技術的なことは何年 かたばみんな上手くなっていくも のです。それでは何で差が出てくる のか。それは未知のものに立ち向か う努力とハートだと思います。どう きっちりと脚本が書けても、何も漂 ってこない脚本はいい脚本とはいえ ません。温かで豊かな心を持ち、何 を開拓しようという決心で脚本を 書くことです。アニメーションはそ こから始まるのです。

「後追いをせず、無限の可能性に 賭けてゆこう・・・」

今年に入って、「荒野の叫び声・吹 えろバック(TVスペシャル)」「どん べえ物語(TVスペシャル)」が放映 され、春から「新竹取物語・10 0年女王」が始まりました。そして 同時に、来年春に劇場公開する映画 の脚本を執筆しています。 松本零士 さんとホテルにこもったりして、打 ち合わせを重ねていますが、一味違 ったSFを作りたい、と思っていま す。それと、もう何年もの間あたた めている素材があり、それに映画化 のお話もきています。また、いろい な障害と戦いながら、その実現を目指 して、じっくりと準備を進めていか なくてはなりません。 しかし、どうも私は昔からぬるま 湯が嫌いで、大きな目標に向かって じっくり迫っていく作業が好きだし、 その結果が大きく花開くことが多い ようです。さて、これからどういう ことになるか 孤独で厳しい作 業を自分に課して、一歩一歩あるい ています。支えは温かな目で応援し てくださる同志の力だけです。 アニメーションを愛してくださる みなさんへ、いろいろお話しをさせ ていただきました。私のアニメーシ ョンへの取り組み方がどんなものか、 すこしはわかっていただけたのでは ないかと思います。とにかく、楽し くてずしりとした作品を作りたいの です。 これからアニメーション作りに取 り組まれようとする人は、脚本家で あれ、他の分野の人であれ、現実は どうであろうと、志を高く持って、 とにかく自分の作品を作り上げるん だという情熱を持っていただきたい と思います。そして、自分のどうし てもやりたいものを実現するために、 血みどろになって葛藤していただき たいと思います。そういう努力もし ないで愚痴をこぼしていても何もな りません。私自身、昔からそういう ことに賭けてずたずたになりながら 書いてきました。それゆえに強くも なれました。これからもずっとそう してゆくでしょう。他人の後追いを しないという決心を持って アニメーションには、無限の可能 性があります。ただ溺れているだけ ではなくて、しっかりと見るものは 見て前進していきましょう。 どうかこれからもずっと見つめて いてください。いろいろな人に出会 い、いろいろな人に助けられながら、 一生懸命書き続けていきます。

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