Hidekatsu Shibata

1979

December

Feature [“Seiyuu 24 Hours”, Animage]:

大学でてすぐ店を持つ

ドラマの出来不出来をきめるキーポイントは、華やかなスポットライトを浴びる主役ではなく、脇役がにぎっているテレビマンたちが口をそろえていうことばである。アフレコの世界でも、同様の法則は生きているようだ。今月登場のベテラン・柴田秀勝さんには、周知のとおり、ことアニメの仕事に関しては主演らしい主演はほとんどない。『タイガーマスク』のミスターX(昭和44年)『海のトリトン』のミノータス(44年)『マジンガーZ』のあしゅら男爵(4年)近いところでは『銀河鉄道999』の機械伯爵『宇宙空母ブルーノア』の土門艦長、さらにはこのほど結成されたファンクラブの名まえにつかわれている『ダンガードA」の一文字断鉄など・・・・・・ぜんぶワキ”だ。それでいて、ジワジワと気になってくる。何かもうひとつ「プラスアルファ」がありそうな大きな存在感でファンの心をとらえてしまう…。実像の柴田さんも、まさにそんなイメージどおりの人だった。『ブルーノア』の音入れがおこなわれている東京・四谷の映広音響で、夜9時過ぎに待ちあわせ。そのまま、柴田さんの店のある新宿へむかうことになった。「ぼくの車で行きましょう」なにげなく、「ハァ」なんぞと答えて路上に出てみれば、そこにサン然と輝くモスグリーンのムスタング!(恥ずかしながら、ふつうの、日本のおクルマかと思っていたのだ)左ハンドルあざやかに、夜の新宿通りを疾駆するガイシャ”のシートに身を沈め、以下、車中会話の一コマ。お店はいつから?「20年前からずっと。昭和33年、大学を卒業した年に買ったんです」――というと、遺産が入ったとか親に買ってもらったとか?「いや、自分でアルバイトしたお金で。なにしろボクは、小学生のときから働いていましたから」

自立心とバイタリティ

ブルー系統で統一したなかなかのダンディスタイル。スイスイとハンドル切りながら、こともなげにそういうけれど、たかだか大学生のバイトで新宿に店買っちゃうなんて、この人いったい、どういう大学生だったんだろ……姿・風体、どうみたって生活の辛酸なめてきたって感じじゃないし・・・・・・などと思いめぐらしているうち、着いたところは夜の新宿・花園町。「先に店を案内しましょう」ということで、路地裏をウネウネと抜け”まさか、まさか”と思っているうち、着いたところは、そのまさかの地、新宿・ゴールデン街。野坂昭如氏とか長部日出雄氏とか、はたまた田中小実昌、大島渚氏、そういう文化人諸氏のたむろする飲み屋街として、近年すっかり有名になったところだ。「わかったでしょう、買えたわけがもともとここは青線地帯。買った昭和33年は売春防止法が実施された年。たったの70万円だったんです」……安かったのはわかるけど(ただし、18歳未満はわからんでよろしい)、やっぱり、この当時の大学生にとっては郷愁の地(たとえば、五木寛之『青春の門』をみよ)に、ポンと、いまの金にすれば一千万近い大金出”して店を買っちゃう精神構造は並みのものではない。

小学4年の納豆売り

昭和11年12月、東京・浅草田原町生まれ。「事情があって、すぐ柴田家へ養子に行った。その関係で戸籍上の生年月日は昭和22年3月25日になっているんです」継子イジメという意味ではないが、養母はきびしい人だった。小4のある夜、勉強をしている柴田少年にこんなことをいった。「勉強は昼間しなさい。夜するんなら、まず自分で電気代を稼いでからしなさい」なみの子どもなら、まずここでイジケ、ヒガミを内向させるところ。が、この人はちがった。「じゃあ稼ごうってワケで、納豆売りはじめた。7円50銭で仕入れて15円で売るんですが、なかなか売れない。だから最初に買ってくれた人なんか、いまだにおぼえている。飯倉に下宿している大学生だった。で、そのうち、いいこと思いついたんです。同級生のうちのまわりを歩くこと。これ、一発ネ。母親がでてきてまあ、こんなに朝早くから、少しは柴田クン見習いなさい”なんてしかりながらかならず買ってくれる。毎朝行ってぜんぶ売り切れ」イジケ虫などしっぽを巻いて逃げ出していくバイタリティ坊やだった。養家が虎ノ門にあった関係で、中学は名門の麻布中学へ。いまでこそ進学校として名を馳せているが、当時の麻布中は、有数のブルジョア学校として名高かった学校だ。「中・高ともに麻布だったけど、まわりは金持ちばっかり。こんなとこに自分みたいな人間がいたってと思いなおし、高2のとき退学届出してパン屋へ住み込みの奉公にいった。そしたら、演劇部の部長と友人が迎えに来てくれましてネ。あと少しだから学校だけは出ておけって。うれしかったですネ。パン屋の主人もいい人で、住み込みのまま通わしてくれました」高校を卒業すると「やっぱり大学へ行きたくなり」日大芸術学部へ。

歌舞伎役者志望だったが・・・

「学資、生活費、すべてバイトでまかないました。常時3つはやってましたヨ」そのあまりで店まで買っちゃったのは前述の通り。おそるべき生活力である。エネルギーの源泉になったのは「結局、役者が好きで、しかも役者ってのはつねにカッコよくなきゃいけないと考えていて、しかも、それを他人の犠牲のもとにやっちゃいけないと考えていた。つまるところ、自分でフル稼動してつねにカッよく役者でありつづける環境を作るよりないわけでしょ」明快ではあるが、並みの意志力ではとうてい実行はおぼつかない行動哲学だ。その好きな役者、これもちょっと驚きだが、もともとは歌舞伎役者志望だった。「日大の4年間、歌舞伎ひと筋だった。アヌイ(仏の劇作家)全盛時代で、それにもひかれたけど、日本の役者ならまず日本の演劇を知らなければと思い、近松や黙阿弥を徹底的に勉強した。で、当時、いみょうだいきなり名代でデビューできた関西歌舞伎の就職試験を受けて、そこへ行けることになっていたのに、卒業したとたん、関西歌舞伎が解散」――しかたなく、百八十度ジャンル転換。まんが家・水森亜土さんのご主人里吉茂美氏の主宰する未来劇場に籍を置き、テレビドラマの仕事をはじめたのが、そもそもの芸能界デビューだった。で、食えない分をおぎなうため声のアルバイトをやり、とくれば、並みの声優さんコースになるのだが、役者になる前から役者に専心するために店をもっちゃうくらいの柴田さん、並のコースはいかない。なんと、声優というジャンルが独立に存在しうるなんてことをだれも考えることすらしなかった10年以上も前、まず声優専門のプロダクションを作り、しかるのち、声の役者としておもむろに登場するという異色のデビュー。シンフォニックドラマを生んだ発想「青二プロの久保社長は、大学のときの歌舞伎仲間なんです。その彼が声優専門のプロダクションを作りたいといい出し、一緒に参加したのがきっかけなんです。だから、声のデビューは非常に遅く、44年の“タイガーマスク”のミスターXが最初の仕事でした」冒頭に、アニメの主演作品はほとんどないと書いたけれど、それもそのはず、声優界に足をふみ入れた発想そのものが、いかに声優という仕事を独立したジャンルに引きあげるかという大きなところにあるのだから、自分の役をうんぬんなんて、ちいセェ、ちいセェ。そんな柴田さんだ。昨今の声優ブームを察知するのも早かった。「おととしのお正月でしたかネ。会社へ行ったら入れないんですよ。ファンから声優さんたちへの年賀状の山で。これは、と思い、これにこたえる方法をなんとか考えねば・・・・・・と思いましてネ」たどりついたのが、昨夏、東京・九段会館で公演したシンフォニックドラマ「お七炎上」の発想。シンフォニックドラマを生んだ発想「青二プロの久保社長は、大学のときの歌舞伎仲間なんです。その彼が声優専門のプロダクションを作りたいといい出し、一緒に参加したのがきっかけなんです。だから、声のデビューは非常に遅く、44年の“タイガーマスク”のミスターXが最初の仕事でした」冒頭に、アニメの主演作品はほとんどないと書いたけれど、それもそのはず、声優界に足をふみ入れた発想そのものが、いかに声優という仕事を独立したジャンルに引きあげるかという大きなところにあるのだから、自分の役をうんぬんなんて、ちいセェ、ちいセェ。そんな柴田さんだ。昨今の声優ブームを察知するのも早かった。「おととしのお正月でしたかネ。会社へ行ったら入れないんですよ。ファンから声優さんたちへの年賀状の山で。これは、と思い、これにこたえる方法をなんとか考えねば・・・・・・と思いましてネ」たどりついたのが、昨夏、東京・九段会館で公演したシンフォニックドラマ「お七炎上」の発想。「イベントをやるにしても、声優が舞台で見せられる独自なものって何なんだっていうのが発想の発端。声優は舞台に出るが、声だけで演技し、オーケストラを置いて、音楽、効果音すべてオンステージでみせるシンフォニックドラマの形を思いつき、歌舞伎の八百屋お七〟を題材に書いてみたんです。作・演出・構成はぜんぶボクがやりました。オーケストラの指揮までやっちゃった(笑)」このシンフォニックドラマというジャンルを、この声優ブームの正統的な果実として結実させたいというのが、柴田さんの当面の関心事である。「第2弾で、ことしの春に”津軽雪女”をやり、この11月8日には手塚治虫さんのOKをようやくもらって、渋谷公会堂で”火の鳥”をやります。これまでぼくたちは歌ったり芝居したり、ファンの方たちが喜ぶことばかりを選んでやってきたと思う。いま、ファンにお願いしたいのは、どうか若い声優さにしないでということ。んたちを、歌手声優としてのステージをしっかり見守り、育ててほしいということです。シンフォニックドラマは、その声優としてのステージのひとつの試金石でもあるんです」

その超人的行動力

結婚は早く、4歳にして高2(男)中2(女)の2児のパパ。「でも独身。8年前に離婚したから」まさか、お子さん、柴田さんが引き取ったっていうんじゃ·····「引き取りましたよ、2人とも。当時はメこれぞ20年のキャリアの証明。手っきもあざやかに“キノコ野菜イタ子どもも小さかったし、どうしようかと、ホント、頭かかえましたけどね」夕方、大急ぎで帰宅し、食事をさせ寝かしつけ、それから店に出て(20年間、ほとんど毎晩、マスター兼板前として店に出ているという)1時半ごろまでそこにいて、また家に帰り、明け方4時ごろ寝て、朝10時にはスタジオ入り。ずっとそんな生活だったという。現在、声優のほうのレギュラーは『ブルーノア』と『ウルトラマン」の2本だが「火の鳥」公演の準備にくわえ、店のマスター業もあり、4時に寝て、朝10時にはスタジオというような毎日がつづいている。まずは、人間の生理限度いっぱいのフル稼動ぶりといえよう。それを深刻ぶりもせず、まっすぐにグイグイとやりとげていく―みごとというほかはない、意志的で骨太な男の生きざま。とにかく、そう快な人であった。

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