Yūji Mitsuya

1980

April

Feature Article [“Voice Actor 24 Hours”, Animage]:

「ほんとは何をやりたいのか……」

声優にかぎらず、芸能界で売り出し中 の若手タレント一般にとって、春秋のテ レビ番組2大改編期は最大の“勝負”の 時である。ここで新番組のレギュラーの 座をがっちり確保できれば、上昇中の人 気をより定着させることができるし、な によりも、むこう半年から一年の生活は バッチリ保障されるからだ。 いきおい、この時期になると若手たち は、必死になってレギュラー出演のため の活動をはじめることになるのだが、こ こにひとり”レギュラーなんていらない よ。それよりアメリカに遊びに行きたい” と米国遊学宣言、さっさと4月スタート の新番組ぜんぶ降りちゃうという豪の 者”が現われた。 人気声優の三ツ矢雄二さんだ。 話はしたがって、仕事のほうはそっち のけ、まずはアメリカ行きの話題に集中。 ―むこうにはどれくらい? 5月下旬から7月まで約2か月。去年 から思いつめてて、ふだんは金銭感覚ゼ 口だけど、ちょっとまじめにお金貯めて、 ……………。2か月だと旅費、滞在費ふくめて 百万円ぐらい。できたらニューヨークで アパート借りて、そんなゼイタクするつ もりないから ブロードウェイでミュ ージカルをじっくり見てきたいんです」 昭和30年10月8日生まれだから、ただ いま24歳。160秒、45という小柄な 体に加えてごらんのとおりの童顔。ちょ っと見はせいぜい大学一年生といったく ったくのない表情で、アメリカ行きの動 機を語りつづける。 「帰ってきて、また同じように仕事が入 ってくるかどうか何の保証もない。不安 がないといえばウソになりますよネ」 と認めながら、それでもこの時期に渡 米を決意したのは、つまるところ、 「声優として恵まれ過ぎたスタートをき たしかに居心地がいいんで、安易に ここまできちゃったけど、このままズル ズルいっちゃうのはこわいと思い出した。 自分はいったい何やってるのか、ほんと は何をやりたいのか、白紙の状態でゆっ くり考えてみたかったから」

学生アルバイトだった声の仕事

自ら恵まれ過ぎたスタートと認めるよ うに、三ツ矢さんの声優歴は、まだたっ たの3年。いわゆるアニメブームの渦中 に声優となり、下積み経験ゼロでけっこ うお金を稼げるようになった。声優界で は例外的存在である。 生まれ育ちは名古屋市。 小学校6年ご ろから名古屋国際児童劇団に所属、地元 のテレビやラジオに子役として出演して いた。 「NHKの〝中学生日記〟にも竹下景子 さんなんかといっしょに出ていました。 ぼくは童顔なんで、高校時代もふくめ4 年ぐらい中学生やらされたけど」 そのまま役者になるか別の道にすすむ か、シカと決めかねたまま、両親にも進 学するがごとくしないがごとく、アイマ 言質を残したまま高卒と同時に上京。 「親には内緒で、すぐアメリカに行っち やった。子役のころの貯えが少しありま したからね。ニューヨーク、シカゴを中 心にベビーシッターなんかしながら3か 月ぐらい暮らしてヨーロッパまわって帰 ってきた。その旅行で、やっぱり大学へ 行って4年間を執行猶予期間にして、進 む道をゆっくり考えようと思ったわけ」 「大学行くから学資出して」と両親に申 し入れ、半年の受験勉強ののち、翌年春、 明治大学に入学。 「ちょうどそのころ〝中学生日記”のデ イレクターがNHK名古屋から東京に転 勤になったんですね。大学2年のとき、 教育テレビの“ぷるるクン”という人形 劇の声をバイトでやらないかと声かけて くれて、軽い気持ちで出演した」 共演にベテラン永井一郎さんがいた。 『コンバトラーV』のオーディションを 受けてみないかとすすめられ、 なんとなく受けたら受かっちゃ って、その後はチョロチョロと、 切れ目なく仕事が来るようにな り、大学3年の後半には月収20 ~25万円は稼ぐ身分に。 「で、大学出るころには大変な アニメブームでしょ。声優の仕 事自体は好きだけど、ハタと気 づいたら、オレ何やってるんだ ろうって感じ。考えてみたら、 人脈に恵まれてここまで来たっ 感じもあるし、大学4年間が 執行猶予にならなかったから、 もう一度、執行猶予期間を設け、 考えなおしてみようってのが、 アメリカ行きの一番の動機なん です。」

ピアノ、合唱団、バレエ、絵・・・・・・

ふつうの24歳の感覚でいけば、きわめ て納得のいく説明ではある。が、ブーム の渦中にあり、そのブームの恩恵をフル に享受している人間の言葉として考えれ ば、なんともクールなつき放しようとい うか、決断力のよさというか…。 このアメリカ行きにかぎらず、一事が 万事、並みの芸能人とはひと味もふた味 も違った肌ざわりで生きている男のようだ。 たとえば、24歳というトシにしてはあ まりに豊富なケイ古歴(?)。 「幼稚園から小6までピアノ。親の意志 でもあったのだけど、ぼくは3人兄弟の 末っ子のうえに両親とも働いていたから、 いわゆるカギっ子だった。やることない から、塾のハシゴをやってたんです。歌 やりたくて合唱団に入ったり、モダンバ レエを6年間ぐらい習ったり、絵の塾に通 ったり、ぜんぶ自主的に通った」 カギっ子によくあるように、テレビに かじりついてアニメに夢中になるなんて こともほとんどなかったという。 「一人で所在ないときはネ、子どものこ ろからフトンにもぐって空想にふけるク セがあった。宇宙のはしのはしのはしは どうなってるんだろうかとか、考えてる とぜんぜん退屈することなかったナァ」 子どものころからそれだけ自分独自 の世界、独自の生きざまを持っていたと すると、友だちなんかとも、そうつるん でなくても不安にはならないほう? 「まんべんなくはつきあうけど、いなく ても、まあ、痛痒は感じないほうかな」 いまでも、時間があると、レコードを 聞くか本を読むのが余暇の過し方。週3 冊平均は読むというが、その本がまたナ ミじゃない。 「演劇関係じゃブレヒトとかスタニスラ フスキー、ギリシャ悲劇から能・狂言の 古典書まで一応ぜんぶかじったと思う。 いま、2DKのアパートに住んでいるけ ど、四畳半の部屋のほうは本とレコード が山積みでまるで倉庫」

アパートに”3人”ずまい

一昔前ならスタニスラフスキーなん てふつうの本屋でもあったけど、ペーパ ーブックスはんらんの最近では捜すのも 大変でしょう? 「だから古本屋専門。新本で買うと3千 円~5千円はするし。大学のころなんて 手ぶらで学校いって、帰りは山ほど本か かえて帰ってくるなんてしょっちゅう」 そういう意味で、声優という仕事は三 ツ矢さんにとってきわめて性に合った仕 事でもあるそうだ。 「空き時間、パッと喫茶店に入って本読 めるし、本屋やレコード屋まわれるし、 フル活用できるんですよネ」 もちろん独身。「マンションじゃなく アパートにネコふたりと」同棲中。「ふ つうの「駄ネコ」とのことだが、蘭丸(オ ス) 竹千代(メス)とも大変かわいがってい るそうだ。 「マメなんです。 そうじもセンタクもき らいじゃないし、料理もアレンジ能力あ るから得意だし、そうなりゃ、奥さんな んていないほうがめんどくさくなくてい いんじゃないかと……」 ニューヨークから戻ってきて、ぜんぜ ん声の仕事がなく「最悪の場合は喫茶店 でバイトをしてもいい」ぐらいの覚悟は しているというが、2か月間むこうで沈 思黙考し、この世界から足を洗っちゃう ということは、まず、ありえないという。 むしろ、むこうへ行く最終目的は「キ ザにいえば、ステージ・パーフォーマー というか、舞台で通用する役者として飛 躍したいから」

ひとまわり大きな役者に・・・・・・

声優業の片手間にときどき芝居をやり たいということではない。 「戻ってきたら、オーディション受けた り、つてを頼ったりして、自分で舞台の 仕事をみつけることもはじめたい。最終 的にはミュージカルとかショーとか、視 覚的に楽しい舞台を作れる役者になりた いし。声優も好きだし、お金稼げるし、 できればつづけるつもりですけど、この 仕事だって、しゃべれればできるっても んじゃない。長年芝居をやってる人って のは、しゃべりは少々ヘタでも、共演し ていてやっぱり負けると思うもの」 この1月「がらくた工房」の芝居に出 演、そのレッスン中に、モダンバレエを 6年もやったはずの自分が、せいぜい1 年ぐらいのレッスン歴の人間よりはるか っていた。 に体が動かないのを知りガクゼン 「また、レッスンに通い始めたんです。 でも、3月半ばで当面最後のレギュラー の仕事がんばれベアーズ”の収録が終 わって、なんにも仕事がなくなったら、 やっぱり不安になるのかなァー」 最後はちょっぴり弱気の発言。 だいじょうぶ。三ツ矢さんが所属する バオバブの〝大親分”富田耕生さんがい 「若手で、これはのびるナってわかるの は、その子が舞台に 意欲的かどうかって こと。人気の渦中に あっても、芝居をや らなきゃって自覚し 勉強している子は 必ずのびる」 三ツ矢さんは人脈 だけでここまできた といったけれど、そ の人脈とて、三ツ矢 さんが子供のころか らいろんなレッスン を積み、驚嘆するほどの読書量を誇り それだけの中味をそなえた役者だったか らこそ、できあがった人脈と解釈すべき だろう。 心おきなく〝執行猶予の旅”を楽しみ、 ひとまわり大きな役者になって、ふたた び秋の新番組でファンとあいまみえんことを! ファンもそれを期待していよう。 Bon! Voyage!

December

Feature Article [“Anime Star”, The Anime]:

とにかく、三ツ矢雄二という人はファンをびっくりさせるこ とが多い。春の新番組ラッシュのとき、レギュラー番組をひと つも取らず、アメリカへポーンと4日間のひとり旅をしてきた のは、ファンなら記憶に新しいこと。で、去る9月1日で、そ れまで所属していた〝ぷろだくしょんバオバブ”を離れ、フリ ーになってしまった。レギュラー番組がなければそのぶん収入 が減っちゃうし、ましてフリーならなおさらである。なんとま あ、工工根性しとるというか、スゴイ!というか……。 そんな 三ツ矢クンとじっくり話してみたいのだ。 まず、三ツ矢クンの経歴から-。 「小学生のころから、合唱やクラッシックを習っていたんです。 クラシックをやるなら、芝居をやったほうがいいと先生にいわ れたので〝国際児童劇団”に入りました。そうしたら、すぐN HKの少年ドラマの主演になれましてね。 〝海から来た兵太 という番組です。 歌のほうもずっと続けていて、高校ではやは 先生についてポピュラー・ボーカルをやり、大学ではクラブ でジャズを歌っていました。ドラマではNHKの“中学生群像” のレギュラーに続けて出ました。そのときは竹下恵子さんなん かといっしょであ、戸田恵子もいっしょだ。あのひとがセ ーラー服着て、髪がズーツと長いころから知ってるんだ。なん か、今いっしょに仕事してるのが不思議みたいね(笑)。」 書き忘れたけど、三ツ矢クンは名古屋の出身。高校を卒業し てから上京している。そのころは〝マイプロモーション”に所 「バオバブに入って、しばらくイロイロやらせてもらうと、今 度は逆に、自分が声優というワクにとらわれていたような気に なったんです。冷静に考えてみたら、声優だと意識しないのに いつのまにかそうなっちゃったという状況で… じゃあ、自分 が本当にやりたかったことは何なのサって、さぐってみたくな ったんです。 その第一歩が、先にも書いたアメリカへの旅だそうだ。 「ニューヨークでいろんな芝居やミュージカルを見て、そして 多くの人と接したときに気がついたんです。まだ自分というも のが何も確立されていないのに、いろんなことをやりすぎちゃ つたことを…」 アメリカから帰って約2か月、三ツ矢クンはフリー”にな る決心をした。 「たまたまぼくが〝コンバトラーV” をはじめたころから〝ア ニメブーム”がおこって、どんどん上昇してますよね。そのブ ームに意識しないうちに流されちゃったような気がするんです。 逆にいうと、ブームがあったからレコードやステージなどの場 を与えてもらったのだから、ありがたいと思います。そのチャ ンスを生かしたいとは思うけれど、場を与えられて感じること は、本当の自分の力がどれだけなのか把握できないんですよ。 声の仕事がイヤだというのではなく、自分自身を追いつめなけ ればいけないんじゃないか。そう考えて、フリーになりま した。

さかだちすると何が見えるか-!?

属していた。 「東京に出て来てすぐに、NHKの”フルルくん”という人形 劇に出ました。 2年くらいたったころ、永井一郎さんのすすめ で〝コンバトラーV”のオーディションを受けたんです。そう したら、ナゼか主役に選ばれまして(笑)。」 それからは〝声優”として活躍している。〝バラタック”の ユージ、キャンディ・キャンディ”のアーチー、〝ルーベン カイザー”の俊介、 “宇宙戦艦ヤマト2″の新米 “タンサー 5” の夢人、〝ゼンダマン”のテッちゃんなどだ。洋画のほう は “SOAP” のオカマのジョディが有名! 「知らないうちに声の仕事が多くなってきたので、中途半端に やるよりは、自分に向いているかもしれないので」青二プロへ 移った。そしてバオバブの独立に参加している。近ごろでは、 歌手”として大活躍だ。 フリーというと、とてもカッコ良さそうに聞こえるが、じつ はプロダクションに所属しているよりも、何倍もたいへんなの だ。いったい、そこまで自分を追い込む必要があるのだろうか。 「たとえば、ぼくはモダンバレエをやっていたので、みんなか ら踊れるものと思われてるんです。 先日、踊りをはじめたばか りの人と踊る機会があったんですけど、あきらかにぼくは体が 動かせないんですよね。もう2~3年レッスンから遠ざかって いるし、体を動かすことを要求されたわけじゃないので慢心し てると大マチガイなんです。歌にしてもそうです。多少クラッ シックなどをやっていたのに、いざ歌ってみると思った音が出 てこない。音域だって挟まっている。 低下しているんです よ。このままほっといたら、もっともっとダメになっちゃう。 向上どころか、現状をキープすることもできなくなっちゃう。 今のうちに、もう一度勉強し直さないとヤバイんじゃないかつ て思うんです。 勉強するには時間がいる。だが、その時間を作るためにはフ リーになるしかない 「ぼくは完全主義者ではないけれど、ある程度の水準を自分で 作っているような気がします。声優さんがレコード出すからこ んなもんだろう、とか、ステージでもこれくらいっていうのは すごくイヤなんです。10月16日でまたひとつトシをとっちゃつ たけど、30歳まではまだまだ間があります。その間に自分がい 思っているレベルまで達せればいいと思うんです。どうして も声優というワクじゃないところに要求があるので、フンギッ ちゃったんですよね。 しかしまあ、なんとも思い切りのいい人だ。三ツ矢クンとい う人は、ウジウジと思い悩むことなんかないみたい。 「天秤座だからかもしれないけど、二者択一にせまられると困 つちゃうんですよ。でも、まとまっちゃうと思い切りよくなる ようですねえ。それに いろんな人に出会わなかったら、今 のようなことはしていなかったと思います。じゃあ、何をした かつて考えると、何もなかったかもしれない。生活すべても変 わるだろうけど、元がそうならフンギッちゃってもいいんじゃ ないかと思いましてね。声優というのがイヤだというんじゃな くて、生き方”としての問題なんです。わがままだと自分で も思いますけど・ ・ね。ぼくは一度思いたつちゃうと、もうダ メなほうで、かまうこたあない、やっちゃえということが多い ですねえ。人は思慮がないといいます(笑)。こういうことが、 いいことなのか悪いことなのかは ぼくにはよくわかりませ ん。 見たところは、小柄でメロウつぽいシティ・ボーイ風なんだ けど、どっこい内面はまったく違うのよね、これが! 三ツ矢 クンのような生き方は、やっぱりいろいろメンドくさい部分が 出てくると思う。だけど、チンタラチンタラただ何となく日々 を過ごすよりは、よっぽど歯ごたえのある たのしい生きか ただと思う。それに、三ツ矢クンなら、これからもうまくいく はずだ。ところで、フリーになった実感はどうなんだろう。 「正直いって、不安はあります。ひとりきりになったのだから、 その中で方向性を決めるのはぼく自身でしかないでしょう。ま あ、こういった世界の人は、つきるところは個人個人でしかな いんですけどね。ひとりになったいま、自分に何があるのかと いうのを確認したいです。ひょっとすると、今後どこかのプロ ダクションに入るかもしれないけれど、現在ひとりでいる自分 自身の感覚は忘れないと思うんです。いまつていうのは、ぼく にとってすごく自由な部分があり、半面不安もあるという両極 端の状態ですよね。そのときの感情の大きな〝振幅”は、とて たいせつです。この気持ちは、いつも持っていなければいけ ないなって思います。感情の振幅が狭いという生活に慣れちゃ うと、どうしても危機感がなくなっちゃう。そうすると、自分 自身がどんどんマンネリ化しちゃう。そうなったら、イヤです ものね。 三ツ矢クンってものすごくシビアなんだろう 自分という ものに対して。そして、いつでも“上”を見ているって感じだ。 そのせいかな、三ツ矢クンってきれいでしょ? 男がこういう こと書くと誤解されるかもしれないけど、ヘンな意味ではなく きれいなのだよ。(DO YOU UNDERSTAND?) 11月23日、新宿のミュージックスポット〝ルイード”で、小 さなコンサートを開くという。三ツ矢クンにとっては、とても たいせつなステージなのだろう。 「アニメとか、声優というワクを超えたところで、ぼくという 人間を見せたいって思います。 三ツ矢クンの歌を間近で聴きたい人は、ぜて行ってほしい。 夢中になれることうけあい! そして、あなたはきっと、三ツ 矢雄二という人間の、新しい魅力を発見するに違いない。そん な、たのしみなステージなのだ。 ここまで書くと、三ツ矢ワンは完全に歌のほうにかかつちゃ つて、アニメをやめちゃうんじゃないかというファンもいるん じゃないかな。だけどご安心。 「アニメはとてもすきだし、ま ぼくに合っていると思います。これからも、どんどん演りた いですね」といっている。アニメがすきといっても、三ツ矢ク ンはちょっと変わっていて、「いなかっぺ大将がだ〜いすき」 なんだそうだ。あの番組だけは、必死になって見ていたそうな。 これからは、三枚目の悪役というのを演りたいとのこと。 ちょっと話を変えて、いままでに演じてきたキャラクターの ことを聞いてみた。まず、三ツ矢クンといえば”コンバトラー V”の葵豹馬が頭に浮かぶ。 「アニメーションははじめてだったので、右も左もわからない 状態でスタジオに行ったんですよ。そうしたら、画面の前にマ イクが4本並んでいて、ヘエ、こういうところでやるのかと感 心したりして(笑)。ディレクターがヒジョーにきびしいので有 名な長浜忠夫)さんでしたから、シゴかれましたよ。同じセ リフを2回も撮り直したこともあって、次の日に筋肉痛で悩ん だりして(笑)。 けっきょく、ナニガナンだかわからないうちに 一年くらい演ったけど、その無我夢中さが豹馬というキャラク ターに合っていたのかもしれません。それに、共演した富田耕 生さんや野沢雅子さんたちにいろんなことを教わって、とても プラスになりました。」 「バラタックはたのしく演れた作品です。水島裕ちゃんとか、 潘恵子ちゃん、石丸博也さんと若い人が多かったですからね。 みんなでワイワイガヤガヤとさわいでました。ぼくのやったユ ジという役は、いちおう主役らしかったけれど、なんか毎回 “おかあさーん”つて叫んでばかりみたいだった(笑)。 キャン ディ・キャンディのアーチーは、ふつうにしゃべつて芝居がで きたから、演りやすかった役です。 ルーベンカイザーの俊介は、 もう二度とできないであろう超二枚目男性的な役です(笑)。事 実、あれからドンドン二枚目が少なくなって(笑)。現在は、ス ーパーアニメラマ”Xボンバー”に出てるんですけれど、PP アダムスキーというロボット役なんですよ。三枚目はだいすき なんだけど、二枚目にも未練があったりして(笑)。わりとレギ ユラーが続いてましたし、役もかなりバラエティーがあったの で、とても勉強になりました。ラッキーなんですよね。ぼくが 今まで歩いてきた道 といっても、そんなに長くないんだけ れど――を見ると、すごくラッキーなことが多いんです。アニ メにしてもそうで、他動的な部分でサジェストしてくれる人や チャンスを与える人がいてくれたんですね。いまでもすごく感 謝してますし、また、それに甘えずに与えてくれたことに答え たいって思います。 洋画吹き替えでは、ナンといっても “SOAP” のオカマの ジョディー! そのことを聞いたら、「あれは一生忘れられな い役です」と意味ありげに笑ってた。どういうことなのかなー。 そういえば、去年の”がらくた工房”の公演でも、オカマの蘭 丸という役だったなー。こりゃーやつぱし: ・あんまり書くと ファンに石を投げられるのでヤメとく。 さて、三ツ矢クンは今後どういう道を歩むのだろうか? 「いま思っているのは、ジャズ音楽の学校に行って本格的に勉 強することです。レコード出したでしょう。やはりもうひとつ 先のレベルに行きたいですよ。根本的には、板の上でなにかや りたい。歌にせよ芝居にせよ、そして声の仕事でもレベルアッ プしたいと思います。そのためのステップを自分の中でプログ ラミングしなきゃいけませんよね・・・・・・ できるなら、来年あたりには製作のオフィスを持ちたいです ね。製作といっても、先立つものがないので(笑)ステージの企 画をやろうと思っています。自分というものをたいせつにしな がら、クリエイティブなこともやりたいんです。そのための下 準備をそろそろはじめなければ。幸い、ブレーンになってくれ る人たちがいるので、ヘンに組織だった感じではなく、同人団 体のような形でいきたいな。現にいま、ひとつ企画を立ててる んです。来年はムリかもしれないけれど、さ来年には舞台でや りたいですね。」 取材を終えて感じたのは、三ツ矢クンはたぶんまたファンを びっくりさせるようなことをするだろう、ということ。考えて いるという舞台の企画も、きっと実現させるだろう。そんな三 ツ矢クンには、ファンの応援がなによりのやすらぎだと思う。 これからも見守っていこうよ! そこには、ぜったいいいこと があるはずなのだから。 (文・加山俊男)

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