
1978
October
Interview [for Gatchaman II , Animage]:
今回は、僕が声がわりをしてしまったので新イメージの甚平にならざるえないでしょう。ただ、甚平のマスコット的味は残したいです。
1979
September
Feature [“Seiyuu 24 Hours”, Animage]:
ブルーのスニーカーがよく似合う
ニッポン放送の調査によれば、日本人25歳以上と以下に分け、そのもっとも顕著な世代差を現わすのがスニーカーの所有率だそうである。25歳以下の若者は78%が所有しているのに、25歳以上は40・2%。ちなみに、Gパンの所有率は25歳以下=95%、25歳以上=66%。『ガッチャマンⅡ』のアテレコをやっている東京タワー近くのシネビームスタジオ。玄関のゲタ箱に、14~15足の声優さんたちのクツが並んでいた。皮靴がほとんどの中に、一足だけ、ひときわ目立つブルーのスニーカー。時間待ちしながら「若づくりじゃなく、本物のヤング声優さんがいるんだな・・・」ばく然とそう考えていたら、「お待たせしました。外へ出ましょうか」部屋から出てきた塩屋さんが、スッとくだんのスニーカーに手をのばした。『海のトリトン』のトリトン『ガッチャマン』の甚平のあの声でおなじみ塩屋翼さん。芸名と錯覚しそうだが、本名である。「おばあさんがつけたって聞きました。いわれ?翼のようにはばたけって意味かなァ。もしかしたら、おじさんがパイロット志望で、いま自衛隊にいるから、それと関係あるのかなァ」どっちでもいいや・・・と、ちょっとフテたような調子でボソボソ・・・。白のパイル地のポロシャツにブルージーンズ、スニーカー。タバコを持つ手が少ぎこちない。昭和33年6月生まれだから、ちょうど24歳になったばかりのところ。が、どうみたって、内気な高校生の男の子と話してるって感じである。だが、芸歴は10数年に及ぶというこの道の大ベテランなのだ。
声優として不安な部分とは?
男性にはめずらしい子役出身の声優さんである。昭和4年、小学校2年で劇団『ひまわり』に入団して以来、ほぼ、切れ目なくこの仕事にかかわってきた。「『ひまわり』に入った動機って、べつになかったんですよネ。兄貴がとっても無口で、ああいうところへ入ればそれがなおるだろうってことで入団することになって、じゃあ、ついでだから、弟のほう一緒にってことで・・・」それがいままでつづいちゃったのは2女性はともかく、男の人の場合、中学ぐらいになるとやめちゃう人、多いでしょう。「仕事するってほどの量の仕事やっていなかったからかな。でも、中学・高校のころは悩みましたよ。勉強も遅れるし、こんなことやってて食べていけるのかななんて。高校卒業して、アルバイト意識がなくなって、ようやく、つづけたいと思うようになったけど、いまだに不安な部分はあるんです」10数年も、この世界に生きてきた人にしては、およそ芸能人ずれしていない人である。まるっきり、大人になりかけて急に親兄弟と口をきかなくなったティーンエージャーの男の子を相手にしているような気分。現在は、レギュラーが『ガッチャマンⅡ』と『ドカベン』の2本。それに不定期の洋画の吹き替えなどが加わって、「月収は同じ歳のサラリーマンよりほんのすこし、多いくらい。両親と同居中だから、食事代として3分の1ぐらい入れて、あとは自分で使ってるけど、何に使ったって自覚のないうちに、いつのまにかなくなっちゃっているんです。ほく、だいたい何やってもそんな感じ・・・」中途はんぱ人間だと自己分析してみせた。たとえば、子どものころやっていたピアノを最近になってまたやりはじめた。「音楽は好きで、作詞とか作曲とかやって、自分の歌みたいなもの作りたくて、それでポロン、ポロンやってるんだけど、かといって、それを人前で発表したいとか、プロになりたいとかって気もないんです」「ギターも、高校のとき、一時期夢中になってやったけど、いつのまにかやめちやったし、クラブ活動も、放送部に1年ぐらいいたけど、それも中途半ばに終わっちゃったし…」列挙してみせ、「なんとなく、いまのところ、熱中するものないんですよネ」
日常はナミの若者
青春のアンニュイ時代のまっただ中って顔で、ニヒリステイックに笑ってみせる。くちびるを心もちゆがめ、そこのところは、たしかにニヒルなんだけど、糸みたいに細くなった目は、ひどくすなおで、やさしくて、ナイーブでそういう笑い方。もちろん、だからといって、四六時中、この人が「悩み」って表情で、頭かかえ込み、うつうつと心楽しまぬ日々を過ごしているという意味ではない。インタビューなんぞという席で、正面きって、アホな質問をされ、さて、自分がいま、何にシャカリキになってるかナ、改めて考えてみて、言葉にしてみたら、こうなったというだけの話。日常生活は、ナミの芸能人ではなく、ナミの若者とおなじ。「休みのときは、仲間で集まって、みん彼女なんていない男ばっかしだけど、マージャンやったり、ドライブいったり、海いったり、酒飲んだり」タバコの持ち方がぎこちないと書いたけれど、「酒もタバコも高校時代におぼえた」とのことだから、3~4年のキャリアはある。ただ、高校時代の酒、タバコは、周知のごとく、なんたって、大人の目をかすめてやるもの。その意識がいまだ抜けきっていないらしい。飲んべぞろいの先輩声優連と、仕事のあと、飲みに行く機会もしばしばあるが、「外で飲んでも、緊張してるのかなァ、飲んだって気しないんですネ。量もすすまないし」先輩じゃなく、中高校時代のホントの仲間と、ディスコあたりへくり出すこともタマにはあるが、「踊れないから、行くと恥かく。みんなワーワー騒いでるのに、はじっこのほうで一人すわって、お酒をチビリ、チビリ、ミジメーですから」結局、どうなるかというと、自宅の自分の部屋か、友だちの家に、野郎ばっかりでボトルぶらさげて集まり、戸を閉めきって車座。ポテトチップスとかイカくんなんぞをつまみつつ、ワーワー、ギャースカのワンパターン。「そろそろ寝ようか、パッと寝れる、そくるまざういうふんい気でないと安心して飲めないんです」「百恵ちゃんの太モモがいい!」「バカ、フルーイ。イクエのボインじゃ。なんたって、アレ、最高、イクエチャーン」てなバカの話に(この部分の会話は、当方の想像です、悪しからず)花咲かせつつ、一人あたりボトル半分ぐらいはあけちゃうのだそうだ。ああ、悲しい酒。
字のきれいな人が好き!!
――GFいないっていったけど、好みの女性のタイプは?「いないわけじゃないんですけどネ、まず、字のきれいな人。(ファン諸嬢、塩屋さんあてのレター書くときは気をつけて)具体的には、ウーンと、ウーン、日本の女優さんにもいないし、外国っても、ウーンと、エー」などと約3分間長考の末、「具体的には、ちょっと思い浮かばない。どっちかっていうと、きれいな人より、かわいい人がいいけど」TVアニメで育った世代だから「いまのアニメブーム、言葉ではいえないけど、なんとなく実感としてわかる」そうで、当然のこととして、仕事としてではなく、一私人としてマンガ通。いま、いちばん愛読しているのが、「いしいひさいち。あの人、ぼく『漫画アクション』に『がんんばれタブチくん』始める前から、目つけてたんです。たしか、大阪の業界誌かなんかに描いてて。いま、夕刊フジにも描いてるでしょう。朝汐を。アレ、相撲のあるときだけかな。ほかに知りませんか。とにかく全部読みたい」多少の悩みはあるけれど、当面は「声優を本業に」と考えている。子役時代には、テレビドラマにもしょっちゅう顔を出していたが、「いまは、いわゆる俳優になりたいとは思いません。自分でみてて、ボクの顔も姿・形も、みんな、なんとなくイヤなんほんとうは、芝居も、顔出しもやです。らなきゃいけないんだろうけど、なんとなく、のりきれない。子役からやってる人って、誰でも、こういう時期に直面するって聞いたけど、なんとなく、仕事にものりきれないって、一種の、ボクの病気かなァ」たぶん、青春まっただ中の倦怠病。
孤独な若者のアンニュイ
子どものときから10数年も見つづけているのだから、この世界のスイもアマイも、だいたい知りつくしてしまっている。が、同じくらいのキャリアを持声優仲間とくれば、みんな言葉も思考回路も全然ちがう、世代古い30以上のおとなばかり。キャリアがキャリアだから、純粋に同世代の若者と同化しきることもできない。そういうエアポケットの中にひとりポツンと立ちつくしている。そろそろと、倦怠のカベをつき破るべく始動も開始した。8月7日には中野公会堂で生まれてはじめての舞台に立つ。森功至、石丸博也さんらの自主公演『天狗女房』で、大男の力持ちの役をやるのだという。「舞台には、このごろすごい興味持ち出したんです。ほんとうなら、どっかの劇団に入って基礎からやったほうがいいんだろうけど、とにかく、歩き方ひとつから特訓受けています」170秒、60。5月に胃炎をおこし、7やせてしまったのだそうだ。いままでやった役で、いちばん好きな役はといったら「甚平です」。これだけは、ためらいもなく、くちもゆがめず、100パーセンやさしさだけの顔で、キッパリと答えた。(塩屋さんから一言――7月1日をもって、新しいプロダクションに所属することになりました。メンバーは、平林尚三、石丸博也、有馬瑞子といった人たちです。みんなハりきっています。今後とも、以前にもまして御支援を、よろしくお願いいたします)
1982
June
Feature [“Anime Star”, The Anime]:
人前に顔をさらすのは大のにがて
はにかみやさんの登場です。塩屋翼、ただいま23歳、6月24日には24歳をむかえる青春どまん中の好青年だ。
しかし、あなどることなかれ。塩屋さんの芸歴は17年を越える大ベテランなのだ。この経歴から察すると、芸能界づれしているのではと思いがちだが、そんな雰囲気は少しもない。
常にほほえみを絶やさず、人前で写真を撮られるのが、あまり好きではないという、はずかしがりやさんだ。こんな人が、よくこの世界で生きてこられたと思っても、少しも不思議でないくらいの素朴な、どこにでもいる若者である。
「とにかく人前に出るのが、あまり好きじゃないんです。顔だって、こんな顔でしょう。あまり見せびらかすものでもありませんから……。テレビや映画で自分の顔を見ると、はずかしくて、はずかしくて、どうしようもありません。ほんと気もちが悪くなってしまいます」
このはにかみやさんが、この世界に入ったのは小学校2年のとき。
「自分から進んでこの世界に入ったわけじゃありません。兄が無口で、親としてはしっかりとしゃべれるようにと、劇団『ひまわり』に入団させたわけです。それじゃ僕もということです。兄貴は途中でやめたんですが、どういうわけか居残ってしまいました」
どういうわけか残ってしまったと謙虚に語る塩屋さんだが、ラジオ、テレビと活躍中の場は広がり始めた。学校と仕事の二重生活は重荷であったはずだが、それをなんなくくぐり抜けていったのだから、根性はあったのだろう。
「仕事といっても、そんなにたくさんやっていたわけじゃありませんから、大したことなかったですね。遊びながらやっていたのと同じですよ。ただ遊びたいときに仕事があると、行くのはいやでしたが、行かなくてはなりませんからねェ」
子どもながらも、プロ意識は確立されていたようだ。しかし、彼も普通の男の子。いたずらもするし、初恋もする。
「僕の住んでいたのは川崎の工場街でしたが、くず鉄置き場や近所のあき地でよく遊びました。誰もがやる男の遊びを。当時はまだ市電が走っていましたので、そのレールの上に釘を置いて遊ぶとか、ベーゴマとか、男子一般のいたずらや遊びはこなしてきたつもりです」
初恋の話になると、はずかしいのか、顔を赤らめながらも楽しそうに……。
「かわいい女の子でした。学校中間じゃなく、ひとつ年下の女の子で仕事で知り合ったんです。『孤独の太陽』というテレビの仕事で、四国の沖ノ島に1ヵ月くらいロケーションにいったのですが、もう楽しくて楽しくて。一緒にいるのがうれしくてしかたなかったんです。仕事が終わって彼女が先に帰ることになったのですが、船での別れは今でも記憶に残っています。淋しかったなあ、涙が出てきそうで、切ない思いがこみ上げてきました」
普通の男の子と同じなのだ。しかし、女性を好きになっても、自分から声を掛けるなどといった行動派でもなかった。眼と眼を合わせただけで、何も言えなくなってしまう少年だった。
不安もあったが、この道しか・・
恋も遊びも人並みに経験しながら、塩屋さんは成長していった。
アニメ声優としての第一歩は「海のトリトン」であった。中2のときである。
「それ以前に洋画の吹き替えはやったことがありましたが、アニメは経験がなかったですから、緊張しました。今までは子役の人もたくさんいたのですが、アニメの場合はずっと年上の人ばかりでなんとなく恐かったし、ぼうっとしていました。合わせるのが精一杯で、何をやっているかわからない内に終わってしまったというかんじです」
声優などの職業を志したのは、小学校高学年あたりからだ。学校の放送部に所属し、アナウンス部長として番組作りにすご腕をふるっていた。
「立川先生が指導してくれたのですが、この先生がなかなかおもしろい人で、自由に番組を作らせてくれましたし、放送のおもしろさみたいなものを教えてくれた人でした」
声優として歩みはじめた塩屋さん。以後、「ガッチャマン」「ドカベン」などで独特の甘い声を武器に、ファンを魅了していった。
「自分で一番好きだった役は、『ガッチャマン』の甚平さんです。中3から高1ぐらいのときでしたが、僕の性格といちばん近かったし、わかり合える部分みたいなところがありましたから…」
幅広く活躍していた塩屋さんであったが、高校卒業のころは悩んだそうだ。この職業で自立していくのか。それとも大学へ行って普通の仕事につくのか。こんなときに相談にのってくれたのが、お母さんであり、バイト先の喫茶店のマスターだった。
「そんなに頭もよくなかったし、大学へ行く気もあまりありませんでしたから、悩みというほどでは……。これしかやることもなかったし、やっていきたいなあと思っていましたから」
自分の声で自然に表現できれば…
仕事にとりかかるときは、自分のペースを守りながら、自分の味を出しきるのに苦労するそうだ。
「役として好きなのは、二枚目より三枚目です。また、ロボットものとか、ファンタジックものとかの固定観念をもたないように注意しています。この役は自分がやるのだから、自分のものができればいいのではないかと思っています」
しかし、自信満々とはいかないらしい。
「自分でやろうとする意欲はあるんですが、何しろ基礎ができていないので、満足できた仕事というのは、あまりありません。一本終えるたびに反省しきりです。ただ、イデオンあたりから、これなんだなあというものが見つけられそうなんです」
「伝説巨神イデオン」のユウキ・コスモ役で声優のなんたるかのヒントをつかんだ塩屋さん。これからもマイペースを守ってやっていきたいとのことだ。
イデオンのとき、富野さんに “自分の声で自然に…” とアドバイスを受けまして、少しわかったような気がします。やはり、自分しかない。これしかないということです。それには、まず基礎をつけることだと考えています。
この夏の「イデオン」に向けて、全力を注ぐため、ボイストレーニングに励み、セリフの〝〟の研究のために俳協落語研究会に通っている。自分の力の限界を知ったうえで、これに取り組もうとする彼の姿は美しい。
「勉強不足だとは思っているのですが、なかなか勉強に手がつかなかったのは事実です。前もボイストレーニングをやっていたのですが、三日坊主で終わってしまいました。しかし、今度は本腰を入れて取り組んでみたいのです」
人前に出るのを嫌っていた塩屋さんだが、過去2回の舞台経験をもっている。それも自分の幅を広げるための模索だ。今年7月にも佐々木功さんの演出で舞台に立つ。
多くのものを吸収しながら、大きくはばたこうとしている塩屋さん、頑張れ!
ワイワイ、ガヤガヤ、遊びは楽しく
現在の仕事量は、レギュラーが2〜3本、これくらいのペースがベターとのこと。週に4〜5本もやると、キャラクターの切り換えがむずかしく、混乱をきたしてしまうそうだ。
「もともと、器用じゃないですから、週2、3本がいちばんいいですね。これ以上は僕の今の力じゃ、無理ですよ。たまには遊びにもいきたいしね」
休日には、一日中ボーとしていたり、野球をしたり、仕事のことはあまり考えずに、一日をすごす。野球は、青二チーム、ポンジョン、ボイスの三チームに籍を置き、三着のユニホームで奮戦中だ。
「ポジションは、ライト。僕としてはピッチャーを目ざしているんですが、やり手が多くて、実現はまず無理でしょう」
最近、免許を取り、この夏はドライブを考えているそうだ。車は、池田秀一さんからもらい受けた50年型のスカイライン。車に乗るのが楽しくてしょうがない時期だ。今夏の目標は、伊勢・賢島へドライブだ。また、スキューバ・ダイビングへの挑戦も考えている。遊びでも、多方面に活躍ということになる。
「どうせ遊びにいくのなら、大勢で行った方が楽しいんです。学校時代の仲間や仕事仲間と、ガイガイワヤワヤやっていた方が、僕には合ってます。ひとり静かに酒なんて、タイプじゃないですよ」
本質的には淋しがりやらしい。そしてはにかみやさん。初めてサインを頼まれたときもびっくり。
「声をやってるだけなのに、なんで…。最初は楷書で書きましたが、それからいろんなパターンを考えたり、苦労しました。さまになっていると思うのですが」
ファンに囲まれても、ドギマギしてしまう塩屋さん。この新鮮さをいつまでも失わないようにして欲しい。そして、自分のものを作りあげてもらいたい。
