1980
January
Feature Article [“Interview with an Anime Human”, The Anime]:
TA. 森さんがアニメーターになろうと思われたのは何歳のころですか?
Mori. 上野の美術学校を出たてのころですから、24歳くらいでしたか。それまでは漫画なんか描いたこともなかったんです。
TA. 美術学校(現芸大)ではなにを専攻されたのですか?
Mori. 建築科です。
TA. 建築科の学生がアニメーターになろうとした、その経緯をお聞きしたいですね。
Mori. たいしたことじゃあないんです。ただ在学中に、実習というか、アルバイトで歌舞伎座の復旧工事の図面を描いたのです。先生は山本五十八というひとでね。のちに文化勲章をもらった偉い先生なんです。 「おまえは細かい図面を描くのがうまいから…・・・・・」と言われてね。それで、座席のひとつひとつにいたるまで細かく描いたのですが、こんな仕事は辛いなあ、と思いました。定規で描くことはつまらないとつくづく思ったんですね。
TA. アニメーションの世界にはいったきかけは?
Mori. 同級生は皆建築の方面へすすんでいったのですが、ボクはそうしなかった。どうしようかなと思っているところへ、政岡憲三を知っている人から、「会ってみないか」という話をいただいた。
TA. 当時、山本早苗と日本動画社をやっていたはずですね。
Mori. そうです。ボクは、定規で線を引くのは芸術的ではないと思っていましたから(笑)、すぐ会いに行ったんですね。美術学校の卒業制作に、ボクは「動物園計画」という風変りな作品をつくっていましたから、それを持って。そしたら、「もったいない、この世界は徒弟制度だから、美術学校の学生がくるべきところじゃない」と言われました。 でもボクは、若かった気負いもあって、「面白術は こうあるべきだ」と、すっかりアニメーションに魅せられてね。
TA. 政岡憲三の「くもとチューリップ」はご覧になっていましたか?
Mori. 学生の時にすでに観ていました。あの作品は政岡憲三の傑作ですね。芸術の香りがしていました。アニメーションは映画よりは絵画的だし、音楽もあるし、とにかくほんとに面白い、と思ったんですね。
TA. 当時アニメーターという職業さえよく知られていなかったのでは?
Mori. そうですね。全国のアニメーターが集ま 大会があったのですが、50人もいなかったですね。「アニメーターって、何? ] 」という時代でした。
TA. すると、政岡憲三、山本早苗との出会いがアニメーターとしての出発点になったわけですね。
Mori. その会社が3年後につぶれて、ボクは西武百貨店の宣伝課にはいった。そこでは、ポスターを描いたり、大売出しという文字を描言いたり……………。
TA. 日本動画社の方は?
Mori. メインスタッフが残って、細々とアニメーションをつくっていました。ボクはそのお手伝いをしながら、雑誌の連載マンガなんかも描いたりしてましたね。
TA. そのころですね。日動が東映と合併されたのは…?
Mori. 日動が東映に買われたのですが、ボクはその直前に「白いきこり、黒いきこり」というカラーの作品をつくりましたね。それはボクにとって、はじめてのカラーで、大工原章や古沢日出夫もいっしょでした。そのあと、東映に移ったのですが、とても嬉しかった。またアニメーションがつくれるということと、そこが素晴しいスタジオだったので……。それまでのスタジオは、学校の二階と一階を借りてつくった吹きさらしの作業場でしたから。冷暖房完備に大感激しましたね。まったく夢のような気分でした。
TA. 森さんのアニメーションに強く影響を与えた人、もしくは作品をあげるとしたら?
Mori. 日動にはいる前に見た、フライシャーのガリバ旅行記にも感心しましたが、なんといってもディズニーにショックを受けました。影響を受けたとすると、絵の感じは政岡憲三、アニメーションそのものに関しては、ディズニーと言えるでしょうね。もっとも、それはボクばかりではないのですが・・・・・・。
TA. その後、「白蛇伝」をつくられていますが、これは海外も含め、多くの賞をとっていますね。
Mori. 藪下泰司の演出、大工原章とボクが原画を担当して、動画は大塚康生が頑張っていました。この作品が日本ではじめての本格長編アニメーションと言えるのでしょう。
TA. その次の作品が「少年猿飛佐助」、そして3作目に「西遊記」ですね。
Mori. 手塚治虫が構成を担当した作品です。あの時、月岡貞夫や石森章太郎をつれてこられましたね。アニメーションについて勉強もさずいぶん興味を持っているようでした。
TA. 森さんは原画をなさったわけですね。
Mori. それと、少年時代の猿やサブキャラクター メイン・ キャラクターはもちろん手塚治虫でね。この作品のほかにも、手塚治虫といっしょにすすめた企画も何点かあったのですが、流れてしまいましたね。
TA. このほかには、シンドバットの冒険も手塚治虫が構成していますね。
Mori. あの作品は手塚治虫の満足のいく作品ではなかったようですね。
TA. 当時、アニメをつくる会社としては東映1社だけだったのですか?
Mori. いえ、横山隆一のおとぎプロがありましたね。ペリーヌ物語の斉藤博や、鈴木伸一はおとぎプロ出身ですね。
TA. その後、手塚治虫の虫プロが誕生するわけですね。
Mori. そうですね。その時は東映からずいぶん人が移りましたね。
TA. いまでも一部のファンに根強い人気をもっている「太陽の王子・ホルスの大冒険」、あれはずいぶん難行したと聞きますが。
Mori. 会社側の方から、お金がかかりすぎるし、なかなかすまないので、一旦中止させられたんです。そして再開された時に、大工原章のかわりにボクが作画監督ということで……。
TA. それまでは作画監督という呼び方はなかったようですね。
Mori. キャラクターデザインという言葉もなかったようです。キャラクターをつくるにも、原画の人たちが各々持ち寄って、あれがいいこれがいい、という具合でね。でも、そうすると、キャラクターの傾向がバラバラになってしまうので、作画監督は全体の絵の傾向を統一する役目ももっていましたね。
TA. 場面設定という呼び方もあのころは なかったようですね。
Mori. とにかくあの作品には力のある人たちが多くいて、もの凄い雰囲気でしたね。宮崎駿は、絵の力でグイグイ引っぱっていくし、高・畑勲、小田部羊一、大塚康生もいましたから。宮崎駿は場面設定もむろんそうですが、絵をとおして作品そのものをつくりあげていましたね。
TA. その「ホルスの大冒険」ですが、興業的にはあまり良い成績ではなかったとか。
Mori. 良くなかったみたいですね。ボクが子供を連れて見に後った時は、子供とボクとたっ二人でね、千葉の映画館でしたが……。
TA. 傑作かならずしもヒット作にならずということですね。
Mori. ボクがつくったものは全然ヒットしないんですね。だから宇宙戦艦ヤマトとか、銀河鉄道999の話を聞くと、うらやましいというのを超えて、ただもう不思議ですね(笑)。
TA. その次の作品は長靴をはいた猫、これは前回のホルスとは対照的な作品ですね。
Mori. 前作は、肩が凝る内容だったので、今度はギャグに徹した気楽なものということで決定されたのでしょう。とにかく、スタッフが最高でしたね。
TA. その後、続編ということで、「ながぐつ三銃士」がつくられていますね。
Mori. これは良くなかったですね。良いスタッフがいなければ、面白いアニメーションは生まれない。
TA. その後、「どうぶつ宝島」、「パンダの大冒険」と続き、それからズイヨー映像へと移られたのですね。
Mori. アニメーターとして存分にうごけたのはどうぶつ宝島まででしょうか。眼を悪くしましてね。
TA. ズイヨーでは「山ねずみロッキーチャック」ですね。そのあとに、「アルプスの少女ハイジ」
Mori. ハイジはパイロットフィルムとオープニンの部分だけ参加させてもらいました。このシリーズでは「フランダースの犬」、「くまの子ジャッキー」。「草原の少女ローラ」や「リスのバナー」もこの系統の作品でしたね。
TA. キャラクターデザインの作風をおもちのようですが…
Mori. いま あったかい、ほのぼのとしたキャラクターの方が好きですが、若いころはスマートで気取ったキャラクターを志向していましたね。「わんぱく王子のおろち退治」なんかは直線的でデフォルメなんかも大胆で、握った手をマルだけ、服のシワは全部とってしまいましたもの。意欲的だったのでしょうが、いまこわくてできませんね。
TA. 自分のつくったキャラクターにも気にいったものと、そうでないものというのがありますか?
Mori. 愛着があるものというのはありますね。パンダ、いたち、ネズミの親子、ウサギといった可愛いいものが好きですね。長靴をはいたネコより、あの作品に登場してくるネズミの方がボクは好きなんです。
TA. とくに気にいっている作品は?
Mori. 自分の描いたキャラクターが自由に動きまわっているのを見ると、もう胸がいっぱいで、いまでも、「ホルスの大冒険」なんか見ると涙が出てくるシーンが何か所かあります。
TA. 森さんがつくられて、 没になったものを見せてくだかいませんか。
Mori. これは「ギザ耳ウサギ」、やっぱりシートンの作品です。小ウサギのころ、ヘビに耳をかじられたという設定です(図−A)。
TA. 3つのキャラクターがあるようです
Mori. これは案です。マンガ的なもの、リアリティのあるもの、そしてその中間のものです。
TA. これはなぜオンエアされなかったのですか?
Mori. これは「クマの子ジャッキー」の対抗馬だったのですが、エピソードが少なかったせいでしょうね。はじめ、クマの子ジャッキーが内定して、そのあとギザミミウサギに変更され、またクマの子ジャッキーに戻ったんです。
TA. こちらの絵は?
Mori. これは「星物語」で、ネズミの博士(図-B)と天文台に住むネズミの親子が狂言まわしを演じます。 そして本編のアニメーションは星の伝説を素材として構成されています。(図−E・C)
TA. 狂言まわしという発想は、子供たちにやさしく語りかけという姿勢で、いかにも森さんらしいですね。
Mori. ラッコは、アニメーションにする予定はありませんが、ボクはこういう動物が好きですね。
TA. 森さんがアニメーターとして、心掛けていることは?
Mori. アニメーターは役者でなければならないということですね。絵を描けるだけではなく、演技ができなければなりません。目パチ、ロパクも、嬉しい時、悲しい時、はずかしい時にそれぞれ違うでしょう、ただ数で絵をいれるというわけにはいきません。
TA. 感情移入ですね。
Mori. 歩く姿もパターンと考えてはつまらない。感情を持った人が歩くのですから、時にはうなだれ、興奮し、あるいはウキウキして急ぎ足になるという具合にね。
TA. いまのテレビアニメーションではそういう描き分けは無理なのでは。
Mori. 余裕がないのですね。でもアンの高畑さんなどは、それをきちっとやってるようです。
TA. 最近のアニメーションの傾向についてなにか.
Mori. たとえばロートスコーピングのように実写をコピーするのは、東映では安寿と厨子王でもやっていましたが、あまり感心できませんね。省略や誇張があって、感情の移入があってアニメーションは楽しくなるんですね。
TA. それではありがとうございました。 (文中敬称略)
1981
May
Spotlight Article [“My Anime Life”, My Anime]:
「卒業目前にアニメ 志望に切り換える」
MA. 森さんがアニメの世界に入ら れたきっかけは……?
Mori. むかしはアニメーションとい うよりも、漫画映画といった感じで したね。小学校のころはよく見まし た。ですけど、当時はこの道に入ろ うなんて、まったく思ってもいませ んでしたよ。 十八、九のころでしたか、ちょう ど戦争中でしたが、政岡憲三さんの 「くもとちゅうりっぷ」を見たとき も、感動をおぼえたというよりは、 「ム、イイナァ」という程度で、ま だ動画の仕事をやろうという気には なっていなかったんですね。そのこ ろは建築のほうを勉強中でした。
MA. それがどんな風の吹きまわし で、このお仕事に?
Mori. 卒業目前に、バイトを兼ねた 実習で歌舞伎座に行ったんですよ。 すると、図面引きばかりで、学校を 出てもこんなことを毎日やらされた んではかなわないなと思いましてね、 ずいぶん悩んでいました。そんなと きに漫画映画を見て、こっちでいっ てみようかという気になったんです。 たまたま、政岡さんの日本動画社に 勤めている人を知っている人がいま して、それで卒業制作をもってたず ねていったわけです。 それで「とにかくアニメをやりた いんですけど」って言ったら、政岡 さんは「(仕事が)もったいないから、 (アニメは) やめたほうがいいんじゃ ないか」とハナから言われました。 でも、やっぱり建築よりはおもしろ そうだから、どうしてもやらせてく ださいとお願いして入りこんでしま ったわけです。
MA. そうすると、あの政岡さんが 先に、この道をやめろとおっしゃっ たわけですか?
Mori. ぼくも、今、アニメーター志 望の若者がたずねてきたら、同じよ うにやっぱりやめろと言いますね、 ハハハハ ハ……………。当時は、アニメー ーの生活は苦しかったですし、好き でなきゃ、ほんとにやってられなか ったですよ。最近は状況も変わって、 アニメーションで儲けようという人 も出るようになりましたが、あのこ ろは芝居と同じで、アニメは絶対に 儲からないというのがふつうの考え でしたから……。 ですから、アニメ製作会社の数も 少なく、給料も安かったですね。た しか、「日本漫画」 「近代映画」 して、ぼくが入った「日本動画」の 三つだけだったかな。日動のスタッ クは、たしか十五、六人だったんで すが、それでも今と比べれば比べよ うがないくらい、のどかで、のんび りしていたことをおぼえています。 とにかく十分モノをつくるのに、二 ヵ月、三ヵ月かかるのがふつうだと 思っていましたよ。今じゃ、三十分 モノが一週間ですからね。そんな調 子でも、やっぱり徹夜もありました。 それでも、合い間に「ガリバー旅 行記」「白雪姫」や「バッタくん」 などは会社で観賞に行った記憶があ ります。しかし、ああいう長編は、 我々にはできないと思い込んでいま したよ。
「原画描きのあとに なった脚本づくり」
MA. ところで、最初に森さんが手 がけた作品は?
Mori. 熊川正雄さんが演出と原画を 担当された「ポッポやさん・のんき 駅長」(二巻・十八分)で動画を担当 しました。と言っても、今とちがって 原画と動画はひじょうに密着した関 係にあり、ほんとうにみんなでつく っているという実感と雰囲気があり ました。 その後、「ポッポやさん・のんき機 関士」、政岡さんが演出された「トラ ちゃんと花嫁」、古沢秀雄さんの「小 人と青虫」の動画を担当したわけで す。 ところが、この日動はぼくが入っ てから二年ほどでつぶれてしまった んですよ。仕方がないので、西武の 宣伝部へ行ったり、看板屋へ行った り、カットの仕事をやったりしまし てね、しばらくアニメから遠ざかざ るを得なくなりました。それでも、 その間、動画の監督さんなんかから キャラクターをやってくれとかいう 話がちょくちょくありましてね。 そうこうしている間に、東映の中に 動画部門をつくるということになり、 日動が吸収され、それでお声がかか りまして、以後、アニメ一筋という ことになったわけです。 話は前後しますが、東映動画に移 る前に、ぼくが演出した作品に「子 うさぎものがたり」(製作・ 日本動画)というのがあります。そ して、もう一本は「黒いきこりと白 いきこり」(製作・日本動画)で、こ れは浜田広介さんの原作をもとに、 脚色、絵コンテからキャラクター設 定まで全部やった二巻モノ(十五分)。 これが、ぼくの最初にやったカラー 作品ということになります。
MA. 東映動画に移って最初に取り 組んだ作品は、戦後初の長編カラー アニメ「白蛇伝」ということですが、 そのへんの苦労話を……。
Mori. スタッフのだれも長編の経験 がなく、試行錯誤の連続でした。 も絵として見ると、ヘタクソでバ クなど統一がとれていず、バラバラ なんですよ。しかし、八方破れの 力みたいなものはありますね。 とにかく原画担当の経験者は、ぼ 大工原(章)の二人だけで、原 作はあっても脚本はなし(準備稿で できていた脚本はボツになった) 絵コンテも通しではできていなかっ たんですから大変でした。 ぼくのほ うで原画を描いても、動画マンの間 でキャラクターの統一がないんです よだれがどこをやっているか、全 然見当もつかない。 しかも、絵が完 成してから脚本をつくるという、今 とまったく逆の状態でしたね。です から、アニメというよりも劇映画の つくりかたに似ていたと言えるので はないでしょうか。演出の藪下(泰 司)さんも、暗中模索だったと思い ますよ。 こうした苦い経験を経て、つぎの 長編「わんぱく王子の大蛇退治」の ときには、キャラクターの統一をと る作画監督システムが生まれました。
「動画でありながら 止めた絵が多い・・・」
MA. 昭和三十八年にはTVアニメ が始まりましたが、新媒体との関わり についてはどうだったのでしょうか?
Mori. 月岡(貞夫)さんの「狼少年 ケン」がTVアニメの最初だと思い ますが、ぼく自身は長編の班に属し ていたので、すぐに関わりをもつこ とはなかったんですが、キャラクタ ーを設定してくれというのはありま した。 「宇宙パトロールホッパ」が それにあたります。 これは後に「宇宙っ 「子ジュン」に改 題されまし たがね。 もう一作、「ハッスルパンチ」とい うのがありますが、これは会社の中 の懸賞募集に応募して当選したもの です。
MA. TVアニメ時代というものを どのように感じられてきましたか?
Mori. アニメーターにとって、いち ばんつらいのは枚数が使えないとい うことなんですよ。その一方で、最 近の子どもたちはむしろ動きの速い アニメに慣れてしまっている。 こま かいことですが、カット割りなんか でも人間の歩きかたというのは半秒 ちょっとで一足だったんです。それ が、今では逆に半秒ぴったりでない とおかしいんですね。 また、動画で絵を止めちゃダメだ と言われてきましたが、それもみん な止めちゃっても平気で見られるよ うになってきている。アニメに対す るリズム感とかテンポが変わってと らえられるようになってきたのはた しかでしょうね。
MA. そういう制作者の立 場から見て、最近のアニメ ブームについても複雑な心 境でしょうね。
Mori. コマ落としの傾向に 関連づけて言えば、アニメ ーターもそれに慣れて、動 画でありながら”見せる絵” というか”止めた絵〟という か、そういう画風のものが 増えていますね。ブームの 最中でこう言うのも変です が、血が通っていないとい うか、さわっても温かみが ないという気がします。そ ういう意味では、もう一度 漫画映画〟に戻ったほうが いいのではないかと思うん ですよ。 その漫画というのも、雑 誌の漫画をアニメにすると いうのは考えものですね。 はっきり言ってネタがない から、すぐ漫画に飛びつく というのはどうなんでしょうね。や っぱり漫画とアニメは本質的に違う ものですから、キャラクターの人気 もあり、筋もそれほど考える必要が ないということで、漫画をそのまま 動かすというのは、ほんとうのアニ メではないと思います。ディズニー が言っているように、現実には不可 能な、つまり実写や特撮では不可能 な動きのあるものを創造してこそ、 アニメと言えるんじゃないですか。 たとえば、自分の作品にしても、「草 原の少女ローラ」なんかは実写でも よかったんじゃないかと、今でも思 っているくらいなんですよ。 それから、現在のアニメづくりは あまりにも職能が細分化されすぎて、 大集団作業になってしまった結果、 自分の知らないうちに映画になって しまう……………そういう意味でも、おも しろみがなくなりましたね。描かれ た原画が、どこかで動画にされ、ま たちがうところで撮影され、ほんと うに、だれが、どこで、何をやって いるのかわからなくなっている。ま、 アニメの本流にいる連中からみれば、 こういう見方をするぼくなんか、 う古いんでしょうね。
「作画監督として、 お気に入りの場面」
MA. 自分で手がけられたキャラク ターの中で、好きなもの、気に入ら れているものに、どんなものがあり ますか?
Mori. 好きなものはいろいろありま すけど、この間、「わんぱく王子の大 蛇退治」を見て、改めて自分なりに よくできているなと思いましたね。 それまでのものに比べて、えらくシ ャープな線で、今ではちょっとこわ くてできないことをやったという感 じです。たとえば面ばかりで服のシ ワを全部省略するとか、鼻なんかも 三角で描いているくらいで、とにか 作品自体は神話をもとにしている わけですから、ハニワの感じを出そ うということで、つくりだしたキャ ラクターなんですよ。 また、よくできたなと思えるのは 「ホルスの大冒険」ですね。たとえ ば、ヒルダが一匹狼の前で倒れると ころなんかは自分でカット原画を描 いたんですが、今でも好きなところ ですよ。作品というのはみんなでつ くるものですが、カットは自分が直 接手を加えていろいろ工夫していま すから、気に入っているカットはた くさんあります。 「白蛇伝」のパン ダが出てくるところとか、「西遊記」 のリンリンが木の実を孫悟空のとこ ろにもっていくシーンなどですね。 また、「わんぱく王子」は、ぼくがは じめて作画監督を したわけですが、 いちばんはじめの ところで、お母さんが子守歌を歌い ながら、川べりでスサノオの背中を 流すシーンとか、クシナダが崖の上 でラブシーンを演ずるところも 大好きです。
MA. 森さんがキャラクターデ ザインしたものと、実際にアニ メになったものとがかなり違っ てくることもあると思いますが、 そのへんはどう思われますか?
Mori. 原画をやる人がうまいと、 まちがいなく生きてくるもので すね。たとえば、「長靴をはい た猫」の魔王なんて、宮崎駿さ んがやってすごくおもしろくな りましたよ。その逆もあって、 ぼくが気に入ったキャラクター を動かしてみたら、まるっきり みっともないものになってしま ったこともあります。とにかく 原画をやる人の技術に左右され ますね。
MA. 現在、手がけられている 「フーセンのドラ太郎」につい てはどうですか?
Mori. ぼくが最初に企画を出し たときには、「男はつらいよ」 の寅さんみたいな、ほのぼのとした 雰囲気のアニメーションはどうだろ うという程度の軽い気持ちだったん ですよ。だから、幼児向けを考えて、 「長靴をはいた猫」のキャラクター に似ているんです。 ところが、寅さ んのムードでやるというアイデアが、 いつのまにか寅さんをアニメ化する という具合に伝わってしまった。 結 局、寅さんそのものをパロディでや るということになり、だんだん対象 年齢も上がり、今じゃドラ太郎も酒 を飲んだりしてますからね。ほんと う言うと、ぼくはそういうのは苦手 なんです。大体、ぼくは幼児向きの ものしかできないんですから、気分 的には宇宙ものをやるよりは、ずっ といいことはたしかですが……。
「描いた絵が動けば 貧乏してもいい・・・」
MA. これからどんな作品づくりを しようと考えておられますか?
Mori. ぼくの希望としては、心あた たまる、ほのぼのとした作品をつく りたいということに尽きますね。年 のせいか、幼稚園から小学校低学年 あたりを対象とした、ほんとうに子 どもに向けたもの、馬場のぼるさん の「1匹のネコ」みたいな作品をや りたくなりましたね。 ちょっと話は飛びますが、ぼくも かれこれ三十年近く、原画、キャラ クターデザイン、作画監督なんかを してきましたけど、ぼくよりも古く て原画マンにもならないで、動画だ けをやっている人がいます。 その人 は、エライなと思いますね。アニメ の世界では仕上げよりも動画、動画 よりも原画、原画よりも作画監督が 上だみたいな意識があるんですよ。 しかし、実際はそんなことはあるべ きでなく、それぞれが大事なセクシ ョンであることに変わりないはずで す。今の若い人は、動画で入っても、 すぐに原画にいきたがるし、どうも サラリーマン的な考えかたになって いるようです。 ぼくなんか演助やってるころはな んでもやらされましたが、それてい てどうもカッコイイ人間が描けない ぼくなんか演助やってるころはな んですよ。だから、幼児向きのもの にどうしても目が向くんですね。そ れに徹したいという気持ちは強まる 一方ですよ。
MA. さんをそれほどまでに駆り たてるアニメの魅力とは一体、なん なのでしょうか?
Mori. やっぱり、自分の描いた絵が 動くということ、生命が入れられる ということでしょうね。これはこた えられないほど嬉しいことで、「も う貧乏してもいい」という気になっ てしまいますから。だから、芝居を やる役者さんと同じじゃないでしょ うかね。ただ、作画監督とかキャラ クターデザインとかでは、なかなか そういう気持ちになれません。自分 で描かなければ……。そういう意味 では、根っからのアニメーターなん ですね、ぼくは。 (次回6月号は安彦良和さんの登場です。)
