1980
June
Feature Article [“Interview with an Anime Human”, The Anime]:
作品の全ての責任は監督が負っていくという体制がこれからは必要じゃないか はじめての作品は「白蛇伝」
TA. 杉山さんはいつ頃からアニメーションを始めたのですか?
Sugiyama. 昭和三二年に東映動画に入ったのです が、そのときがはじめてです。
TA. おいくつのときですか。
Sugiyama. 二十歳でした。
TA. やはり、アニメをやりたいということで..?
Sugiyama.いや、そうじゃないんですよ。実はそ の頃僕は油絵がやりたくて、美術大学に入ろ うと浪人していたんですが、お金にこまって きて、どうしようかというときに、東映動画 が何か絵を描く人を募集しているというのを 聞いて応募したんです。聞いた話ですと、こ のときの応募者が八百名近くで採用されたの はわずか十数名らしい。どういったことから 僕もその十数名の中に入れまして……
TA. その頃はアニメに対して興味みたいなも のは持っていなかったのですか。
Sugiyama. ディズニーは観たことはありました。 でも、その程度ですね。とにかく、その頃、 日本にアニメがあるなんて知りませんでした から。
TA. 東映動画に入ってからのことを聞かして くださいませんか。
Sugiyama. 入ってまず六ヵ月間アニメ制作の養成 を受けさせられましたね。とにかく、これま で描いてきた絵とはかってが違うので最初随 分まごつきましたが、それでも六ヵ月目頃に は一通りのことはできるようになっていまし たね。
TA. で、はじめて担当されたのは?
Sugiyama. 「白蛇伝」という作品でした。作画担当です。
TA. それ以外では、東映動画ではどんな作品なーー
Sugiyama. 結局僕は東映動画に四年いたのですが この間担当したのは「白蛇伝」を含めて計四 本でした。制作順に「少年猿飛佐助」 「西遊 記」 そして、「安寿と寿子王丸」です。
TA. 本数的には少いですね。
Sugiyama. 現在と比較しますとね。先ほどもちょ っと言いましたように、その当時は実写中心 でアニメと言っても、ほとんど注目されない 時代でしたし…そんなもんだったんですよ。
TA. なるほど。ところで、杉山さんは油絵を やりたいということで浪人までされてたわけ ですが、そちらの方はあきらめてしまった?
Sugiyama. いや続けていました。実は会社(東映 動画)でアニメの仕事をしながら、武蔵野美 術大学の夜間部に通っていたんですよ。
TA. では、東映動画を辞められたのは油絵で やっていくということで?
Sugiyama. いや、そういうことじゃなくて、大学 (武蔵野美術大学)を卒業したかったという ことなんです。今はどうか知りませんが、 あ の頃の武蔵美大は夜間部だけの単位では卒業 できなかったんです。昼間部の単位が必要だ という。それで四年生になったときに会社を 辞めて、また学生に戻っちゃったんですよ。
TA. 武蔵美大を卒業されてからはどうされた のですか。
Sugiyama. ええ、実はあの時、何をしようかいろ いろ迷ったんです。東映動画の方からも”ま たこないか”と声をかけていただきましたが、 せっかく辞めたのだし、別のところでやって みようと、岩波映画に入ったのです。昭和三 七年でした。
TA. 岩波映画でアニメを?
Sugiyama. そのつもりで入ったのです。しかし行 ってみるとアニメの仕事なんかほとんどなか った。そこで、記録映画やPR映画の美術監 督をやりました。一年半ほどそんなことをや ってましたね。
TA. たしか、その後「テレビ動画」に移られる?
Sugiyama. そうです。 この会社はフジテレビがテ レビアニメ時代を見越してつくったのですが、 「プライド博士」「ドルフィン王子」それに「怪 「盗プライド」の三本を作ったところで資金が 続かなくなり、打ち切りになってしまったん ですね。ホント、 ついてない(笑)
TA. 手塚治虫さんの「ワンダースリー」をや られるのは丁度その頃だったんでは?
Sugiyama. そのすぐ後でした。作り続けられない んなら雑誌に漫画でも描こうかと思っていた ときに、こんなアニメをやりたいんだがディ レクターがいないので、ぜひ、と声をかけら れたんです。
TA. 手手塚さんとは親しかった?
Sugiyama. いや、「西遊記」で来られたときに二、 三度お会いしただけです。ただ、虫プロの人 たちとは、東映動画にいたころから交友はあ りましたが・・・めぐり合わせだと思いましたね。
TA. その後手塚さんとは?
Sugiyama. 手塚さんが「展覧会の絵」という劇場 用の作品を作ることになって、その作画と演 出のお手伝いしました。それから虫プロでか なりの作品を演出し、手塚さんとも一緒に仕 事をすることが多くなって行きました。
常にハングリーな 手塚治虫
TA. ところで、杉山さんは、お話のように手 塚治虫さんと仕事を組まれたりする機会が多 いのですが、杉山さんが見た手塚治虫とはど ういう人ですか。
Sugiyama. どんな人って……とにかくすごい人で すね。
TA. すごいと言いますと――
Sugiyama. 常に実験精神でチャレンジしていると こです。同じパターンで同じものをくり返し 作ることは絶対になさらない。最後の最後ま で独創性を追い求めるんですね。あれだけの 方であるし、自分の守備範囲で作っていれば、 評価も下がらないし安全だと思うのですが絶 対そうしない。常に自分でそうした、ハング リーな状態、最前線に追い込んでいるんです ね。
TA. それに、たいへんな勉強家であるともき きますが。
Sugiyama. 虫プロの人たち自体が昔から非常に勉 強する人が多いのですが、手塚さんはそれに 輪をかけたような人ですね。 映画なんかも、 いつ観るのか、と思うほどよく観てますよ。
TA. なるほどね。ところで次にアニメ全般に ついていろいろお聞きしたいと思うのですが まず、最近「火の鳥」もそうですが、声優 にかわって俳優を使うというのが一種のブー ムになっていますが杉山さんご自身はどう考 えているんですか。
Sugiyama. たしかに最近多くなってきていますね。 しかし、考えてみると、私が東映動画の監督 だったころは、声優さんなんていませんで したから、“声”は全て俳優さんがやっていた わけです。ですから、”声”を俳優がやるとい うのは、決して〝新しいこと”でもなんでも ない。ただ声優というプロフェッショナルな 人にかわって、あえて俳優を起用するという のは監督のそれなりの考えがなくてはね。
TA. 杉山さんの場合、「火の鳥」で竹下景子を つかったのはどうしてですか。
Sugiyama. 僕の場合は、一つには、〝広がり”をつ けたいということがありましたね。声優には 良し悪しは別にして一つのカラーがあります。 広がりをつけるには、このカラーからはみだ した人でなくてはいけない。 しかし、彼女に声優として〝口合わせ”を させたのでは意味がない。〝口合わせ”なら 声優の方がうまいに決っているわけです。「火 の鳥」の中で彼女が口を合わせるシーンは一 つもなかった。
TA.「監督」と言う場合、たとえば映画です と、どんな役割なのか素人の私でもよくわか るのですが、これがアニメになると実にわか りづらいのですが。
Sugiyama. おっしゃるとおり、立場というのがハ ッキリしていないし、それに呼び名も実にい ろいろある。あるときは演出家だったり、あ るときはディレクターだったり、またあると きは、チーフ・ディレクターだったりする。 映画の場合の監督は、作り手のカナメとして の権限と責任の体制が確立されているが、ア ニメ監督にはない。だからいくらでも責任が 分散してしまう。そうでなく作品の全ての責 任は監督が負っていくということでなければ、 これからはいけないと思う。私自身もそうし た体制になっていくように努力して行きたい。
