Takao Koyama

1982

January

Spotlight [TV Anime World, Animage]:

ヤットデタマン、企画集団Q、早大文学部演劇専修、194センチ、大利根月夜これらから連想される人はだれでしょう? 答は今月のゲスト小山高男さん。「シリーズ構成という仕事は具体的にはどういったものですか?」「ひとつの作品で1話から最終回までずっとひとりの人が脚本を書くわけではなく、だいたい4、5人の方に交代で書いていただいています。しかし当然のことながらひとつのこととして前後関係、設定、セリフのいいまわしなどの統一が必要です。そこをトータルに見る仕事がシリーズ構成ですね。脚本家の方と事前に打ち合わせをしたり、あがってきたものをチェックしてなおしていただいたり。ようするに、脚本に関する責任者ですかね」自らシナリオを書くこともある。『ヤットデタマン』最終回の前・後編は小山さんが担当している。昔から「原稿用紙に字を書くことでメシを食って行きたい」と思っていた。本当は作詞家になりたかった。とりあえずテレビ、マスコミの世界に渡りをつけておこうと早大2年のときに企画集団Q”のオーディションを受け合格。昭和44年4月から46年の終わりまで「クイズ・タイムショック」の問題作りをする。いくら作っても採用されなければお金にならない。「プロのきびしさを知りました」という。昭和47年3月、卒業と同時に竜の子プロに入社。企画文芸部員として、鳥海尽三氏、陶山智氏、酒井あきよし氏らにしごかれる。「かいけつタマゴン」「けろっ子デメタン」「新造人間キャシャーン」「てんとう虫の歌」などの脚本を担当した。「けろっ子デメタン」では何書いても鬼の酒井氏にボツにされつづけ、OKが出るまでに3か月かかった。「新造人間キャシャーン」では8回の書きなおし。しかし、これらの試練を通して少しずつ脚本のことがわかってきた。そしてまた一番印象に残っているのもこの2つの作品なのだ。昭和50年8月に独立。フリーになりたてでは仕事もそんなに来ないだろうと覚悟していたが、思いがけずつぎからつぎへと入ってきた。パンクしそうだったが断わるわけにはいかない。不眠不休の日々がつづいた。身長194センチの頑強なからだの持ち主もついに半年目に倒れてしまった。肝臓病で2年半の休業。昭和53年、再び仕事を開始。この年結婚もした。からの再スタートだった。そして現在までフル回転。「ヤットデタマン」のシリーズ構成の他に「ダッシュ勝平」「うる星やつら」の脚本を書いている。またテレビ朝日クイズ番組「ヒントでピント」問題作り。「アニメで人生を語ろうとは思わない。とにかくりくつ抜きでおもしろいものを作りたい。30分間テレビの前にくぎづけになって、終わった後”あーおつかれさま”と満足してもらえればうれしい」ニワルでは各番組の見どころ紹介のために毎月シナリオを送っていただいている。小山さんから送られてくる「ヤットデタマン」のシナリオには、表紙をめくるとつぎのようなことばが小山氏自身のペンで書かれている。「奇しきご縁によりあなたのお手元にお届けします。かわいがっていただけましたら幸いです」中学生時代からの作詞の夢は捨てていない。「一生のうちに1編でいいから人の心に残る歌を作りたい」と。そして小山さんの心に残っている歌は、藤田まさと作詞の「大利根月夜」、矢島寵児作詞「名月赤城山」、阿久悠作詞の「舟唄」。現在、「ヤットデタマン」の後番組「逆転イッパツマン」準備に忙しい毎日だ。

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