Shotaro Ishinomori

1980

November

Interview [The Anime, for Cyborg 009 – Legend of the Super Galaxy]:

ジョーはモテすぎる? でも……

TA. 本日はお忙しい中をありがとう ございます。今回は、劇場用の新作アニ メとして製作が進行中の009について、 おうかがいしたいのですが····· 石森先 生は総指揮をやっておられるそうですね。

Ishinomori. そうです。また今回東映が正月映 画で、アニメをやるのは実は初めてなん です。それに、僕自信の原稿7万枚突破 記念でもあるんですよ。

TA. 先生の作家生活の25周年目でも ありますね。

Ishinomori. ええ。そういった意味合いも兼ね 大きな節目でもあることですし、 ぜひ 大作にしたいと思っています。スタッフ も非常に乗っていますよ。

TA. 初のお正月アニメという事です が、先生の抱負を詳しくお話しいただき たいんですが……。

Ishinomori. そうですねえ、中高生だけでなく、 お正月ですから家族みんなで見てもらえ るような、娯楽大作にしたいと思ってい ます。 “愛”とか“宇宙”とかいった素 材を扱っていますが、より大きく”あら ゆる愛を超えた愛”、”あらゆるSFを超 えたSF” といったものを目差していま す。

TA. 作品のテーマといいますと…。

Ishinomori. やはり愛ですね。しかし、その中 にはゼロゼロナンバー間の友情もありま すし、今回タマラというヒロイン格の女 性が登場する事を含めて男女間の愛、 さ らに地球や銀河系宇宙を愛する愛もあり ます。 全ての愛の根源、愛そのものの根 源にもふれたいと思っています。

TA. なるほど。では、この映画の見 どころといったらどんな所でしょうか?

Ishinomori. 愛はメインテーマですが、SF的 なアイデアがとにかくいっぱい入ってい ます。また、アニメの技術の限界に挑戦 して「2001年』 や 『スターウォーズ』 等をも超えた映像を実現したいと思って います。アニメ技術、ストーリーの面白 さは何といっても見どころですよ。

TA. 今回の物語は、「009」には めずらしく宇宙へ飛び出す話ですね。

Ishinomori. そうですね、「009」の設定自 体があまり未来ではないので、これまで 宇宙を舞台にしたものはほとんどなかっ たですね。ですけど、今度はアニメ映画 として新たに作るわけですから、絵づら もハデにしてスケールの大きさを出して みたかった。それで、あえて宇宙へ挑戦 したんですね。そのほうが面白い。(笑)

TA. ストーリー作りには、非常に時 間をかけたそうですが……。

Ishinomori. ええ、ストーリーだけで、実に半 年以上かけていますね。

TA. ジェフ・シーガルがシナリオ協 力ということで参加していますが、彼を 加える構想は以前から持たれていたので すか?

Ishinomori. ジェフ・シーガルは、例の「スタ ー・ウォーズ』のライターですが、SF らしいSFを作るために交渉し、OKを 得ました。彼はSF的アイデアを豊富に 個条書きにしてくれたので、それをこち サイドのストーリーにピックアップし、 一つのまとまった大きなストーリーにし てあるんですよ。

TA. アイデアが多過ぎてストーリー 作りに苦労したのでは?

Ishinomori. そうですね。けれど最終的には僕自 身の意見を取り入れてもらいました。 メ インの話自体は僕の考えです。

TA. 今回のニュー・キャラクターと して、タマラという女性が登場しますね。

Ishinomori. ええ、タマラというキャラは僕が 設定したものです。

TA. 彼女とジョーとの恋愛を扱った 場面がありますが、ファンの反響がすご いんじゃないですか?

Ishinomori. 今までもマンガの中で、ジョーは いろんな女の子に好かれたりするので、 浮気ものだという評価をされた時もあり ましたが……。 (笑) しかし好かれるのはどうしようもない 事で、他の002や004も、けっ こう恋愛はしてるんですけどねえ。 やは り、009がつい目立っちゃうんでしょ うね。なぜなら003という恋人がいる から、けしからんという事なのでしょう。 でも、タマラの場合は、タマラの方から の一方的な切ない恋ですから余り問題は ないと思いますよ。(笑)

テーマを貫くものは”愛”だ!

TA. 009は17~18年も続けてお描 きになられているモチーフですが、最初 の発想はどんな所から……?

Ishinomori. 最初は野球ゲームの面白さをSF に取り入れてみようとした所からスター トしたんです。選手9人に監督一人 これはギルモア博士ですが、それに相手 チームが絡んでくるという構想なんです ね。当時はサイボーグなんて難し過ぎ る”なんて言われたものですが、ある時 強引に連載を始めてね、そしたら、たま たまヒットしたわけですよ。

TA. 009は、時代をセンセーショ ナルに先取りする作品だったんですね。

Ishinomori. まあ、サイボーグ戦士の話という のは、自分でも面白いものだったと思い ますね。それに、僕自身一番最初に描い たエンターティンメント、マンガらしい マンガだったということが、この作品を 思い出深いものにしていますね。

TA. 先生の作品には宇宙ものや時代 劇など、いろんなジャンルがありますが、 お仕事にかかる際の気構えは区別してい るのですか?

Ishinomori. いや、ファッションや表装が変わ るだけで、追求するものは皆同じです。 僕が目差すテーマは、ジャンルが変わっ てもやはり”愛”ですね。愛というと、 非常にキザっぽくなるし、方々でよく使 われているので、口にするのが少し恥か しいんですが。(笑) 大きな意味での愛みたいなものが、作 品の底から出て来ないかと思っています。

TA. “愛”というメインテーマで貫 かれている所は、今回の009も石様先 生の追求する願いが生きている訳ですね。

Ishinomori. そうです。 しかし欲を言えば、も う少し自分の時間をさいて、アニメ作成 にくい込んでみたいのですが、何しろ時 間がないので……。 やがては、細かい所 まで僕自身の手の入った大作アニメを作 りたいと思っています。

TA. そうですか。期待しています。 どうもありがとうございました。

1981

October

Feature Article [“My Anime Life”, My Anime]:

25年間の画稿枚数7万枚 アニメ化されたセル原画枚数 250万枚。だから、我がアニメ ライフを語ってもらった・・・・・

「漫画描きの動機は、 自分たちの読む本 がなかったから..」
漫画家生活25周年
「四半世紀で一区切りと いう意味がありましてね、 それで昨年の十月三十一 日に祝っていただいた。 これまで夢中でやってき た。二十五年というとわりに長いん ですが、僕自身としてはあっという 間に過ぎた感じがするんですよ。 だから、これからの二十五年を、 “あっ、今日も一日が過ぎたな”とゆ っくり感じられるような、一年一年 にしてゆきたいなと、そういう気持 ちになったですね。なかな か思うとおりにはいかない でしょうけど、今後は作品 を選びながら、マイペース でこれからはやりたいなと いう感じをもったですね」 漫画との出会い 「自分 で描いたのは、自分で創っ 雑誌が最初だったと思いますよ。 とにかく終戦前後ですから、自分で です。それで、おやじの書棚から引 きだして、カントとかヘーゲルとか 小学校の頃に読んだんです。意味 なんかわからなくても、字をおぼえ て本が読みたかったし、自分たちの 読む本がないというので、姉と二人 で本をつくって、さし絵を描いたり、 漫画を描いたりしたんです。それが 漫画を描きはじめた動機ですね。 それと、漫画で読んだものとして は、戦前の『少年倶楽部』とか『幼 年倶楽部』とか、家にあったもので ね。『トラの子トラちゃん』とか、『の らくろ』とか、そういったものが漫 画とのいちばん最初の出会いじゃな なかったかと思いますよ」 同人誌づくり「東日本漫画研究 会をつくったのは、たしか小学二年 生の頃なんですよ。近所の子どもだ けを集めましてね、僕自身でつくっ 漫画雑誌の延長としてはじめたわ けです。しかし、急造の漫画マニア のもんだから、集めた子どもたちが なかなか描かないわけですよ。 これじゃしょうがないというんで、 その頃から『毎日小学生新聞』 に投 稿しまして、これが入選し投稿熱に 取り憑かれました。それで投稿雑誌 として知られていた『漫画少年』に も投稿しだしたんです。そういうこ から、東日本漫画研究会も会員を 集めようと、投稿欄みたいので募集 しまして・・・、それで後に有名になる 『墨汁一滴』という会誌がつく どに会員が集まったわけです。一 人くらい応募がありました。 その中から、とても恐れおおいこ とでしたけど選ばせていただいて、 それで赤塚不二夫)とか、長谷(邦 夫)とか、横田(徳男)とか、そう いう連中が入ってきたわけです。後 に貝塚ひろしさんとか梅田秀俊さん なんかも応募して落とされたと聞き、 ひじょうに恐縮しました」

「小説・映画作家が 第一志望で、漫画 作家は第二志望..」 ■デビュー 「(『二級天 使』が雑誌に載ること 自体、これで印刷されて 読んでもらえるというこ で、(連載開始も)ただ ただ嬉しいという感じで したね。まだ漫画家になるとは、あ まり思っていませんでした。ちょう どその頃(高校二年)は、他にやり たいことがあったわけですよ。小説 書いたり、映画をつくったりしたり というのが第一志望で、漫画は第二 志望だったわけで………。ですから、 これでとにかく東京に出るきっかけ ができたという程度のことしか考え ていなかったような気がします」 手塚治虫からの招待 「(『漫画少 年』から)依頼のある半年ぐらい前 じゃないですか、手伝いに呼ばれた のは。僕は(手塚先生の)大ファン でしたから、大変すばらしいことだ と、すぐ上京したわけです。後に漫 画家として上京したときの緊張感と ちがって、有名な漫画家に呼ばれた という感動で胸がいっぱいでした ね」 姉が第一の読者「(上京して二年 目に)たまたま郷里から上京してき ていた姉が、(映画に行って留守をし ていたときに)死んでしまったので す。それが最大のショックでしたね。 僕自身は少女漫画”から入ったと いうこともありますけど、それまで 姉を読者にして描いていたんですよ。 姉が読んでくれるということを前提 にして漫画を描いていたものですか ら、読者を失ったような気がしまし てね。プライベートなことでいえば、 これがショックでした」 ライバル意識「(昭和三十一年か らの)トキワ荘時代は、いろんな仲 間ができて、無意識のうちに研鑽し あったというか、彼がああいうのを やっているのなら、俺はこういうの をやってみようと、そういう無意識 のライバル意識が育ち、それが大変 役に立ったなあと、今でも思ってい るわけです。その後、今日までつき あっていられるというのは、それだ けすばらしい仲間が集まっていたと いうことでしょうね」 はじめての海外旅行 「トキワ荘 から出る半年くらい前 (二十三歳の とき)、三ヵ月ほど世界一周旅行にで かけました。当時は自由化の前でし たから、まだ面倒くさい手続きを要 しましたし、お金もかかったんです けど、思いきって行って視野が広が ったというか、よかったですよ。 この旅行をきっかけにして、それ まで姉一人を読者に、いいかえれば わりとマイナー志向でやっていた仕 事をパーッと切りかえたわけです。 エンターテインメントといいますか、 それに徹底してみようと思って描き はじめたのが『サイボーグ009』 です」 ペンネーム「(赤塚不二夫と組ん だ) 石塚不二太郎というのや、(それ 水野英子も加わった) Uマイアー があります。僕自身は、いずみあす という名前で、これは『幻魔大戦』 なんかで使いました。それから、 江子というのもあります。この名前 少女漫画を一本だけ描いたことが ありますね。ほかにもS イシュメ ル トーマス・ショウなど 石森” や章太郎”をもじり、片仮名にし たのもありますよ。 ところで、いろいろペンネームを 変えたのは、これによって画風も変 えたかったんですよ。僕はね、いろ んなジャンルを描けないと漫画家で はないと思っていたし、いろんなジ ャンルのものを描くには、いろんな 画風があっていいと考えていたわけ です。つまり、名前を変えることで、 画風も変わるのではないかという期 待感があった。でも、なかなか変え られませんでしたよ」 尊敬する二先輩 「漫画家に限ら ず、絵描きには若年描き、中年描き、 老年描きみたいなことがありまして ね。いずれにしても若いエネルギー がないと駄目なんです。自分でそれ がなくなったと思ったときに、潔 筆を折ったほうがよいと、僕は 思うんです。日本人的感覚からいえ ばね。僕自身もそれに惹かれるもの があるわけですよ。 そういう意味じゃ、手塚さんとい うのは年をとっても年齢を感じさせ ない若さがあるでしょ。そういう若 さというのはピカソだって同じでね、 モノ描きには必要だと思うんです。 ただ僕らにはそれがないんであって ね。そのない部分が手塚さんにはあ る…それがすばらしいと思うわけで すよ。 寺田ヒロオ)さんの場合は、 本人的潔さ。僕は心情的にはよく わかります。そういうことで、お 二人は傑出した先輩だと思うんです けどね」

「喫茶店でのアイデア 練りは、トキワ荘 時代からの習い..」

影響を受けた映画 「最初に観た映画という のは記憶が定かでないん ですけど。多分、家で連 れて行ってもらって観た 時代劇かなんかだと思う んです。 れから、当時、学校の校 庭なんかで観せてくれたソビエトの 漫画映画なども記憶に残っています ね。鮮明に焼きついているのが、ジ ュリアン・デヴィヴィエが監督した 『巨人ゴーレム』です。監督の名は 後で知ったのですが、土の人形が大 きくなって逃げだすなんて、強烈な 印象でしたよ。 漫画を描きたいというよりも映画 をつくりたいという気持ちで観たも のです。ディズニーの『白雪姫』、『フ ァンタジア』、キャロル・リードの『第 三の男』、黒沢明の『七人の侍』など には、すごく影響を受けたと思いま すね」 読書歴 「夏目漱石のものに影響 を受けたと思います。さっきもいっ カントやヘーゲルも、ただむずか しいという印象が残っているだけで、 内容は全然わからなかった。しかし、 いろんな感じで印象に残っていると いうことで影響は受けているんでし ょう。田山花袋なんかも全部読んだ ものです。 それと並行して自分でもわかるは じめての書物に出会ったのが海野十 三の『火星兵団』ですよ。あの当時 は戦後まもなくで”兵団”という字 がまだ使えなかった。それで『火星 魔団』というタイトルで出ていた。 現在は多読、乱読ですが、いちばん ミステリーが多いんじゃな いでしょうか。SFは最近 あんまりおもしろいと思わ ないんで、それほど読まな くなりました」 愛用の文具類 「ずいぶ ん長い間使っているものに ペンがありますけどね。そ のペンの中で、短くてポンと押す 飛びだす仕掛けになっているやつ、 今ではないんじゃないですか。それ をずいぶん長いこと愛用しています。 あと、本なんか大事にしていますよ。 ナポレオン時代の週刊誌とか……。 ただモノにあまり執着しないほうな ので、これが愛蔵品というようなも のはありませんね。 それよりも、かつて僕はわりと恥 ずかしがり屋で、他人としゃべるの が得意じゃなかった。そういう意味 では、道具や筆記具を愛用するとい う気持ちよりは、友だちを大事にす 大切にしたいという気持ちのほ うが強くありますよ」 アイデアの源泉 「アイデアが湧 いてくる前の蓄積みたいなものが必 ずあるわけです。雑録めいた知識 の断片が、いろんなつながりかたを して、いろいろなアイデアに変化し ていくんですね。しかも、つながり かたにはいろいろなバリエーション あります。それをタテにしたり、 ヨコにしたりと変えながら、あとは 頭の中にあるいろんながらくたの知 識を組みあわせてゆく。人とつきあ ったり、本を読む、映画を観る、旅 行する、そういったものがすべて役 に立っているわけです。それをつな ぎあわせてゆくのが、その人の才能 だと思うんですよね。もちろん、才 能はあるなしという問題ではなく、 ふつう考えるときは、そういう風に なると思うんです」 実作まで1 「あと僕の場合はコ ・ヒーと雑音でしょうね。音楽なん かも含めて….そういったものがき っかけになってアイデアに結びつい てゆく。 ここ(喫茶店ラタン)は、もう二 十年来使っていますが、こうした喫 茶店でアイデアを練るようになった のは、否応なしにトキワ荘時代から の習慣なんですよ。あの頃はクーラ もなかったし、扇風機も買えなか ったし、暑くなると喫茶店へ行って やらざるを得なかった。それがむし 習い性になって……………。 一時、〝なが 族〟というのが流行ったんですけ ど、僕らはそのハ じゃないかと 思いますね」 実作まで2 「それと僕はわりと 切り替えが早いんですよ。机の上か パッと離れたら、仕事のことはす っかり忘れちゃうんですよ。ですか モヤモヤの状態というのがまった 暑くないんです。原稿用紙が前にあっ てはじめて仕事をするという気分 になるんです。 よくアイデアは歩きながらとか、 トイレに入ってというように、いろ んなことをいう人がいますね。僕は 白紙の上じゃないとアイデアが浮か ばないんです。とにかく平面でもい いし、白い空間を見ないと。何もな いという状態が大切ですね。

「仕事が趣味だから、 作品が変われば、 それが気分転換…」

好みのジャンル 「勝 手に描きなさいといわれ たら、実験作みたいのが 必ず出てくるでしょうね。 それと、マイナー読者相 手の仕事になってくると 思います。だから、それをできるだ け抑えるようにしています。 つまり、僕の漫画家としての信条 の中には、漫画というのはあくまで も”おやつ”だという観念があるわ けです。シビアな生活の中でフッと 息を抜けるオアシスでありたいと思 うわけです。ですから、楽しく、わ かりやすく、おもしろくというとこ ろに、創作のポイントをおいて描か なければならないと思うし、また、 みんなに読んでもらいたいから描く んですよ。あくまでマイナーになっ ちゃいかんという、自分を抑える気 持ちが強く働いていますね」 実験作としての「ジュン」「ただ、 その反面で完結的な実験作を、僕は 絶対に欠かしてはいません。そして、 これは使えるなと思うものをピック アップするようにしていますけども ね。本当はSFの地味なやつを描い てみたいとか、そういう欲求はある んです。まっ、現在は、それも読ま せるため、読んでいただくために描 いている。そういう意識でつくって いますね」 スランプ 「まったく”創る”と いう行為に関しては変わらないです ね。スランプというのは、いくら考 えてもアイデアが浮かんでこない状 態が続くことをいうわけで、そうい う意味ではスランプというものがな かった。さっきいった世界 旅行も、それまでの考えか を切り替えるためのもの で、当時、アイデアが出て こなかったわけではなく、 手に余る仕事を外遊先にま で持っていったくらいなん ですよ。その後もスランプ は感じませんね」 気分転換 「僕は自分をいじめた 仕事をしてはいないという感じがあ るわけです。それと、自分が興味を もつジャンルの多さもありますね。 だから、作品が変われば、その時点 で気分転換ができているんですよ。 仕事が趣味みたいなものだから、他 に趣味を持たなくてもいいみたいで すし、気分転換は新しい作品にかか ればすむことです」 変身願望 「僕自身はね、最初に 描いたSFものはエスパーものが多 いんですよ。それは自分の非力さに 対してイライラして、もっと力があ れば、こういうとき、こういうこと ができるのに……〟という願望が そのまま僕の漫画になったんです。 もうひとつは、時間のなさ・・・もっ 時間があれば、 もっと作品ができ るのにという状態が二十数年続いて いるわけですよ。そこから逃れたい というのが底にあるかもしれない。 いわゆる”変身ブーム”は、意識し てつくったわけじゃないんですよ」 ヒー・ロー観 「今は自分の好みの 人物をヒーローに仕立てているみた いなところがありますが、むかしは 美男で、力が強くて、人に愛される 男なり女なり、ほりがヒーローだという気 持ちをもっていました。だんだん美 男でないまでも、人間的に魅力的で ある そういったものを描こうと 努力してはいますが、ヒーロー像っ ていうのは変わらないんじゃないか っていう気も一面ではします。 読者 にとっては、自分にない部分を小説 なり漫画なりに求めてみるんじゃな いですかね」

「アニメらしいアニメ 作品がないのが、 原作者として不..」

愛着のあるアニメ作品 「できがよかったという 点では『星の子チョビン』 でしょうね。『佐武と市 物控』も、石森プロとし ては最初のモノクロもの で、なおかつおとなものとしてつく りましたからね、ひじょうに密度の 高い作品になったと思うん ですよ。それから『空飛ぶ ゆうれい船』。これもSFア ニメのはしりというべきも ので、あの頃のものとして はひじょうに夢もあり、で きがよかったと思います。 ディズニーと比較したら”な あんだ”という感じでした が、今のアニメーションと 比較すると、ひじょうに緻 密につくってあったんじゃ ないかな」 影響を受けた外国アニメ 「いち ばん感受性の強い中学生のときに観 たということで、やっぱりディズニ ーの諸作品、特に『白雪姫』と『ピ ノキオ』にはひじょうに強い影響を 受けました。それから、これがアニ メーションと思ったのは『ファンタ ジア』、今でもアニメーションの最高 傑作という気がしますけど。 フランスの『やぶにらみの暴君』。 これも、アニメーションでここまで できるのかというくらいキャラクタ の表情が生きていた。文芸映画み たいな香りが濃厚にあり、〝あっ、こ ういうのを創ってみたいな”と思う ほど魅きつけられました。 ところが、最近はアニメーション らしいアニメーションがな いような気がしますね。と いうのは、アニメじゃなき できない世界があるはず なんですが、そこを外して、 むしろ『未知との遭遇』と 『スターウォーズ』のよ うに、かつてはアニメでや ったことを、今は特撮でやってしま うでしょ。だから、アニメはアニメ 独特のジャンルを切り拓かなければ いけないんじゃないかという気がす るんですよ」 六〇~七〇点 「僕のモノはアニ メにしにくいみたいですね。原作者 としては、キャラクターがひじょう にポコポコ変わっちゃうので不満に 思っています。だから、僕自身がも っと突っこんで演出までやらないと、 本当に気に入ったものは創れないと つくづく思いますよ。だから、これ までの作品は単に原作を渡しただけ で、出来としては六〇点から七〇点 しかあげられないという感じですね」 アニメブーム 「アニメーション に強く影響されてこの世界に入った ようなものですから、現在のブーム は大変結構だと思っています。ただ、 ごぞんじのように、アニメづくりは 大変手間暇がかかるものです。それ を最近はぶっ飛ばしながらつくって いる状態でしょ。それだけにキャラ クターへの依存度が高いんですね。 むかし、僕らはマクラレンの実験 アニメーションなんかに夢中になっ たものです。動きのおもしろさから 入っていったわけですね。こうした アニメーションの本当のおもしろさ を、アニメブームに乗っかっている 若い子たちは、まだ知らないはずな んです。キャラクターものでも、そ ういうおもしろさがミックスされた すばらしい作品をもっと観せてやり たいなという気がしますね」 現状への不満 「だから、僕自身 の作品でもいいから、今、いったよ うな動きのおもしろさと、自分があ ある程度までつくるということですね。 そうしないと、永遠に不満が残るん じゃないかな。 たとえば、昨年の『サイボーグ0 09』(超銀河伝説) にしても、こち らがこうしたいというのに、“宇宙も の”が受けているからと、どんどん 変わっていくわけ。原作者はそれ以 上いえないし、あとは演出家の腕次 第になっていくということで、特に 劇場用の作品なんかには不満が残る んですよ」 愛のテーマ 「ひとつの隠れミノ としては使ってるようですね。それ だけ世の中が平和で、愛を唱えてい れば、戦争でもなんでも美化されて しまう。本当の愛が何なのか、僕も 二十数年間、テーマとして愛を描い てきたんだけど、それが今さら”描 二十数年間 テーマとして愛を描 いてきた”なんていえなくなってき たわけ……」

「もし新しい事業を やるとすれば、や っぱりモノ創り・・・」

職業 「漫画家以外の 仕事をやったことがない。 そのへんが僕の弱点でも あるし、ひじょうにコン プレックスを感じていま す。半村良さんみたいに、 いろんな職業を転々として、結果 としてああいう作品が生まれる。 僕はいろんな作品をつくっています けど、全部観念で描いているわけで、 何ひとつ自分の経験がない。そのへ んが自分でイライラする部分ですね」 趣味 「それだけに、自分の仕事 として、ちょっと苦しむことをやっ てみたいという気持ちが強いですよ。 第一志望の映画、小説のほうで苦し む時間、それをつくっていきたいな あと思っています。それがこれから 一生続くであろう趣味といえるかうか..。」 結婚 「結婚前も結婚後でも仕事 に対する考えかたは、まったく変わ っていません。大体、コンスタントに やってきましたよ。 結婚したあと、 僕の描く女性キャラクターは、女房 に似ているっていわれるんだけど、 ああいうキャラクターは結婚する前 から描いていましたからね。結論か らいえば、女房は僕の絵に似たのを 選んだということですよ」 事業「いちばんおもしろかった は”スタジオ”じゃないかな、 企業としてはね。ともかく零から始 まって零に終わった。その間、一時 は大企業にもなり、一〇〇人以上も 従業員がいましたから会社ごっ こも、最後には会社ごっこでなくな り、はらはらどきどきしましたよ。 仮の話ですが、もし、新 しい事業をやるとすれば、 やっぱりモノを創ること、 たとえば映画を創るための 独立プロダクションとか。 要するに、映画のフィルム カメラ機構が持っている ものをフルに活用したもの を創りたいと思ってい るんです」 嗜好あれこれ 「タ バコは一日に一〇〇本 ぐらい吸いますね。酒 はレミーマルタン(ブ ランデー)を一晩に一 本くらいあけちゃいま す。コーヒーはブラッ クで五杯以上というと ころかな」 食事 「食糧難時代 に育っていますから、 それが今の食習慣にな っています。だから、 食べものの好き嫌いは あまりありません。ど ちらかといえば、肉類が好きです。 果物も大好物のほう。食事回数は昼 夜の二回で、夜食はまったくとり ません」 一日のスケジュール 「午前四~ 五時に仕事を終えて、ビデオを一本 くらい観て、それから読書をし、寝 睡眠時間は五~六時間という ところ。昼には起きています。 そして午後一~五時くらいまで、 ここ(喫茶店ラタン)にいまして、 それから帰宅して絵入れをし、夕食 をとり、あと描いていますね。まっ、 一週間に二日間はテレビ関係の仕事 なんかがありますので外出にあてる …そんなことの繰り返しという ところですよ」 体調 「現在、どこも悪くないで すね。身長一六〇センチ、体重は六 五キロで、すこし太め。だから、五 キロほど減らしたいところ。実は、 この間、六二キロまで減量したんで すけど、みんなにやせすぎだといわ れまして、また太っちゃったんですよ」 スポーツ 「コンスタントにやっ は、 月に一~二回のゴルフ だけ。野球も時々はやりますが、運 動になるほどはしていません。それ 以外は何もやっていないですよ」 好きな言葉 「ひじょうに単純で すが、『石の上にも三年』。 ペンネーム が石森〟だから……。『待てば海路 の日和あり』じゃないけども、石の 上に三年の心境になって努力してい れば、必ず何かものになるものだし。 それで、いろいろな意味をこめて、 これを色紙に書いたりするんです よ」 最近の若者について「若者を批 判しはじめると、年をとった証拠だ といわれるし、僕はなるべく若い人 の考えかたを理解したいと思ってい るわけですがね。僕らも若いときは そうだったんでしょうけど、古いも 一所懸命壊して、それが新しい ものになって出てくる。 ところが、最近の若者 たちは壊したままで、 そのエネルギーを創造 的なものに結びつけな いという感が若干なき にしもあらずですね。 だから、最近問題に なっている校内暴力な んかも、一口で批判で きないんですよ。本当 はおとながもっと夢の ある生活をしなければ いけない気がするんで すけどもね。僕らの世 代まで夢を持っていら れる人は幸せなんです。 今の仕事を通じてなるべくそういう 人を増やしたいなという気持ちがあ りますね。

December

Roundtable w/ Hiroshi Sasagawa, Takashi Iijima, Kenzō Koizumi  [The Anime]:

マンガ雑誌投稿の常連からマンガ家の道

Iijima. 石森さん、スタジオを始められた頃は 確か八百屋の倉庫か何かを借りたんで したっけ。

Ishinomori.―そうそう八百屋さんの。でも倉庫じゃ なくて、一、二階を借りてたんです。 スタジオというのは名ばかりで、床は ミシミシ音がするし、スキ間風がピュ ウピュウ吹き込んでくるんですよ。 で、「スタジオ・ゼロ」を作って何か やろうじゃないかということになった んですが、アニメ界の現状なんて、全 然知らなかったんですよ。ただ、みん な集まればアニメが作れるんじゃない か、と。 ま、きわめて単純な発想でしたネ。そ れくらいだから社長を決めるのもアミ ダクジを引いて決めました。 アニメの 経験者は、その社長一人だけでした。

Iijima. 石森さんはその前にストーリー・ボー ドをお描きになったんではないですか。

Ishinomori. そういえばそうですネ。スタジオの前 に、「西遊記」のストーリー・ボード を作りに行きました。 雑誌の連載があ ったので毎日は行けませんでしたが、 それでも一ヵ月は通いましたか。今 考えると不思議なんですけどネ、タイ ムカードを押させられました(笑)

Iijima.それでストーリー・ボードをお作りに なったわけですネ。

Ishinomori.―いえ、それがスタジオ見物ばかりして ました(笑)

Sasagawa.先日テレビで「トキワ荘物語」をやっ てましたが、当時のみなさんは東北の 出身ですか。

Ishinomori.馬場のぼるさんが確かそうでしたネ。

Sasagawa.―ボクは福島なんですが、トキワ荘のみ なさんのあとに上京したんです。もっ 早く上京してれば早く出会えたのに、 それが残念ですネ。 ボクなんか「トキワ荘物語」を観ると、 あの頃がいちばん楽しかったんじゃな いかな、って気がするんですよネ。

Ishinomori. あの頃は右も左も分りませんでしたか ら。何にも分らない楽しさというのも あるんですよネ。なんとなく明るい未 来があるような気がして、みんな頑張 ってましたから。

Sasagawa.流しで泳ぐシーンがありますけど、あ れは傑作ですネ。

Koizumi.あれはもう語り草になってるみたいで すネ。

Iijima.ートキワ荘時代で感じるのは、石森さん のお姉さんコンプレックスなんです。 それはやっぱりあの頃に形成されたも のなんでしょうか。

Ishinomori. なんども言われたことですが、あの当 時の影響はかなりあるでしょうねェ。

Sasagawa. 話は変りますが、石森さんの本名は確 小野寺さんというんでしたネ。

Ishinomori.―そうです。生まれが宮城の

Ishinomori.町とい うところでしてネ、それをそのまま使 わせてもらってるんですよ。

Sasagawa. 小野寺さんではまずかったんですか。 ウーン、本名の小野寺というのは長っ たらしいし、古臭い感じがしましてネ。

Ishinomori. のほうがモダンな気がしたんです。 それに小野寺という名前のマンガ家も いましたから。

Sasagawa.ボクにとって小野寺さんというのは、 懐しい名前なんですよ。ボクらの少年 時代には「漫画少年」という雑誌があ って、マンガ好きの人が投稿していた んです。小野寺さんという人はいつも 作品が載っていましてネ、ボクは〝ど んな人なんだろ、美しい人だな”と 思ったもんです。その小野寺さんが石 森さんあんですよ。

Koizumi. 直接は会っていなくても、お二人の接 点は相当古くからあったんですねェ。

Ishinomori. 笹川さんもずっと投稿してたんですか。

Sasagawa. エエでも佳作とか、その程度でして。 入選なんてとてもじゃないですが(笑)

Ishinomori. 確か後半は、横網とか大関とか番付で ランクをつけてましたよネ。ぼくはず っと横網を張っていましたけど、 せば横網なので飽きちゃった。送って くる賞品もバッジとバッグでいつも同 じでした(笑) 投稿に飽きてやめちゃったら、むこう から注文がきた。それからマンガを書 き始めたんです。

Iijima.―「漫画少年」というのは一種の登竜門 だったわけですか。

Ishinomori.当時、マンガの投稿専門誌はなかった んですが、あそこは投稿にいちばんス ペースをさいていたんですネ。

Sasagawa.今はマンガに関しても情報があります が、ボクらの少年時代には手塚治虫さ んの「マンガ大学」くらいでしたよ。 ボクなんか田舎にいたから特に情報不 足でしたネ。

Ishinomori.今考えてみれば、ボクらは一から始め たんですネ。ぼくは中学2年のときに 「毎日中学生新聞」というのにマンガ を送りましたが、そのときもインキで 書いたらシミができたりして、自分で 工夫しながら書いていた。

Sasagawa.今アニメやっている人のなかにも「漫 画少年」に投稿していた人は多いんじ ゃないですかネ。あのときのあの人が あなたでしたかということがけっこう 多いですからネ。

Ishinomori. そうでしょうネ。 この前も「漫画少年 の会」というのに顔を出したんですが、 いろんな人が来てました。みんな各分 野で活躍してますネ。

Iijima.ところで、石森さんの第一志望は、本 当は小説家だったんでしょう。

Ishinomori.―エエ、そうですネ。 第一志望は小説家 でした。第二志望が映画監督。で、第 三志望くらいにマンガ家というのがあ ったんですよ。何故か第三志望で止ま っちゃった(笑)

Iijima. でもこれからじゃないですか。

Ishinomori. さァ、それはどうですかネ、もうトシ ですから(笑)

Iijima. 小説のほうに行かないでマンガに行っ たキッカケは何だったんですか。

Ishinomori. それはもうディズニーの影響でしょう 小学校の何年くらいでしたかネ、 ディズニーの「白雪姫」を観まして、 これだと思ったんですネ。 「白雪姫」のあとに「ピノキオ」なん 観たりして、ますます魅かれて行っ たんです。ディズニーの短篇は別とし て、長篇は素晴しかったですネ。で、 マンガを描くようになったんです。

体力が決め手だった(!?)アニメ作り

Koizumi. ディズニーの影響は、やっぱり大きか ったんですネ。わたしなんかもディズ ニーの作品に感動してこれはもう絶対 アニメーターになるしかない、と。 でも当時、アニメーターの登竜門らし きものはなかったですネ。 たまたま「東映動画」で募集があったの 応募してみたら、応募者は四百人い ました。そのなかの合格者が七名で、 わたくしは第三次試験まで行って、何 とか合格しました。

Iijima. ホウ、それはスゴイ。試験の内容はど うでした。

Koizumi. 最初は〝塗り”の試験でした。他の人 情報不足だから、水に溶かして塗っ てるんですよ。こちらは曲がりなりに も二、三回は現場の作業を見学してい ましたから、ドロッと塗っていたん です。どういうわけかこれで成功しま した。 二次は身体検査でした。

Iijima. 二次試験が身体検査、これは面白い。

Koizumi. 当時は残業や徹夜がザラでしたから、 まず丈夫な人間を入れるということだ ったんでしょう(笑) そのあと探偵の素行調査があって、 後が面接でした。

Iijima. その頃は素行がよかったんだ(笑)

Koizumi. 最初は仕上げに回されて、次にトレー ス、撮影などに回され、最後は社内で 動画テストがあったんで、それを受け ました。 いろんな問題がありましたよ。〝椅子 に人が坐っている。この人を立たせな さい”とか”旗はどんなふうになびく 描け”とかですネ。そう言えば、 複雑な模様入りのボールがいっぱいあ って、それをぜんぶ一回転させるのに 往生しました (笑)

Iijima. それは難しいなァ。 試験といえば笹川 さん、その頃の「竜の子プロ」さんの 採用試験はどんな感じだったんですか。

Sasagawa. 絵が描けるかどうかだけみたいでした ネ。面接もあるにはあって立ち会いま したけど、当り外れがあるんですよ ネ。いいなァと思う絵を描いてくるの アニメを描かせてみると、これが全 然描けない(笑)

Iijima. 石森さんのアシスタントはどんなふう にテストしてるんですか。

Ishinomori. まず本人に会って、”これこれしかじ ”を描いてくれといったん帰すんで すが、何回も粘り強く通ってくる人は 使う気になりますネ。 やっぱり体力は関係あるんですか。

Ishinomori. あるでしょうネ。その点、女性は使わ ないことにしています。体力的にも長 続きしないんですよ。

Koizumi.「東映動画」の頃は、定時が10時だっ たんですが、体力が勝負、みたいな感 じがありました。 もっとも女のコが痴漢に襲われたんで、 そのあと8時が定時になりましたけど ネ(笑)みんな夜遅いのが当り前にな ってました。

Ishinomori. ま、定時が8時になっても襲う痴漢は いるだろうけど(笑) 女性にはキツい 仕事なんだろうなァ。

Sasagawa. 石森さんの絵を見ていると、アシスタ ントの入り込む余地はないんじゃない かな、という気がするんですが。

Koizumi. 石森それは、わたしもそう思ってるんです。

Ishinomori. 本人もそれは感じてます(笑) そんな 風だからアニメになりにくい絵なんで しょうネ。アニメにするとガラッと変 るんですネ。

Sasagawa. アニメを作り始められた頃というのは どんなだったんですか。

Ishinomori.売り込んではいるんですが、なかなか 売れなくて(笑)

Koizumi.―「レインボー戦隊」はどうだったんで すか。

Ishinomori. あの頃は、何でも素直に聞いてました よ。〝可愛いいキャラクターを作って くれ”って言われれば、”ハイハイ” (笑) 最初のまとまった仕事だったですから ネ、こっちもそういう気持ちだったん でしょうネ。

Sasagawa. 石森さん、今はどれくらいのペースで 仕事をされてるんですか。月産にして、

Ishinomori.月産にして大体二〇〇ページくらいじ ゃないですか。それでもひと頃に比べ ると半分のペースなんですよ。一時は 月産六〇〇ページということもありま した。一日平均二〇ページですよ。 20代後半でしたから、体力、スタミナ ともにあり余っていた。 今はとてもじゃないが、あんなハイピ ッチは無理ですネ。もう徹夜もききま せんから。

Sasagawa. アイデアとかネタの仕込みはどこでな さるんですか。

Ishinomori. 大体は喫茶店ですネ。 喫茶店にはちゃ んと予約席を設けてありまして(笑) そこでいろいろと。

アニメ隆盛は嬉しいがどう質を高めるか

Iijima. 石森さんというのは不思議な人なんで すよ。これだけ忙しい人なのに、本は たくさん読んでいるし、映画もじつに よくご覧になってる。どこからそんな 時間をとネリ出すんですかネ。

Ishinomori.酒飲む時間と睡眠時間を削ってるだけ の話ですよ。その割には飲む時間だけ はなくならない(笑)

Iijima. しかし、朝早くからの試写会にもおみ えになってる。

Ishinomori. ああそれは、寝ないで行ったんじゃな いですか。

Sasagawa. そこで観る映画などはネタになる場合 もあるんでしょうか。

Ishinomori. スグにということはないですネ。ただ、 どんどん方法が変っていますから、そ ういう面では目を通しておきたいと思 うんです。 たとえば、ディズニーのコンピュータ を使った作品などはどういうものなの 見ておかないと、と思うんです。 と にかく方法が変って行くペースが、じ つに早いです。

Sasagawa. この頃テレビ・アニメが多くなりまし たが、みなさんどれくらい観てるもん ですか。

Iijima. 30数本もあるわけでしょ、とてもそれ だけの数は見きれませんよ。だいいち、 オンエアの時間には、こちらは働いて いるわけだ(笑)

Ishinomori. 確かにテレビアニメは多くなりまし た。しかし、本数が増えた割にはモ 足りないというのが実感ですネ。今 のテレビアニメはおしなべて平均点 を行っているというか、これというも のが少ないですネ。前はピカッと光る ものがあったと思うんですが。

Koizumi. そう言われますと、アニメーターとし ては本当に辛い気がします。これ以上 に本数が増えるとパンクしちゃうんじ やないかと思います。 テクニックを持ったウマい人ならそれ なりにこなして行くでしょうが、そう でない人だと当然、質は落ちますから ネ。テクニックのない人が手を抜いた りしたら、これはもう大変なことにな りますよ。

Ishinomori. 今のテレビ・アニメの隆盛ぶりを見て いると、マンガ週刊誌が次々に出た頃 を思い出しますネ。 あの頃は、こんなにたくさん漫画雑 誌が出てもこなせないんじゃないか” と思ったもんですよ。でも、フウフウ 言いながらも何とかこなしてきたんで すネ。そう考えると、数が増えるのを 悲観ばかりもしていられない。 テレビアニメはこのまま増え続ける のだったら、その上で質を高めて行か なければならないと思います。 質が落ちれば、目の肥えたアニメ・フ アンは離れてしまうでしょうネ。マン ガ週刊誌が出回り始めた頃と同様、フ アンの要求にはこたえて行かなければ ならないと思うんですよ。

Iijima. その通りですネ。アニメの数が増える のはけっして悪いことじゃありません からネ。本数が増えるなかでも手抜き をしないで、どう質を高めて行くかな んですネ。

Sasagawa. 増えたということに関しては、最近、 女性マンガ家の原作をアニメ化するケ ースも増えてますネ。

Ishinomori. そうみたいですネ。もともとアニメ・ ファンには女のコが多いんじゃないん ですか。

Sasagawa. 女性がアニメ界に進出しているのが目 立ちますよ。前は仕上げが中心でした が、今は作画にも入ってますからネ。 あと100年したらディレクターをはじめ スタッフ全員女性という時代がくるん じゃないですか。

Koizumi. それは十分に有り得ますネ。

Ishinomori. アニメの仕事は女性に向いてるのかな。

コンピュータと手作りの二本立てになる

Iijima. それにしてもアニメというのは手間と マのかかる仕事ではありますネ。

Koizumi. そうですネ。わたしの経験を言うと、 午前中に原画を書いて、午後は前のや つの仕上げという段取りで一日二〇〇 枚のペースをこなしてたんですよネ。

Iijima. ノルマがあったんですかァ

Koizumi. エエ、そんなペースを三ヵ月くらい続 けました。一週間ロクすっぽ寝ないの もザラでした。 で、一週間目になるといよいよ限界で 鉛筆を握ったままその場に倒れて寝込 むんです。ヨダレもたれ流しなんです が、もうカッコウなんかかまっていら れないんですネ。

Iijima. それはまた凄じいなァ(笑)

Koizumi. ところが、ハッと我にかえってよく見 てみると、まったく関係のないところ を描いてたりするんですよ。そんなと きはガックリきました(笑) 今の若い人はそういう無茶はしないで すネ。 続かないんです。なかにはイヤ ーホーンをして描いてる人がいるんで すネ。わたしなんか、あれで身が入る のかなと思うんですが、価値観がちが うんでしょうネ。

Ishinomori. ボクなんか喫茶店で仕事していたクチ で、”ながら族”の走りみたいなもん だから、そういうの見ても分るような 気がする。きっとボクらとちがった進 化の仕方をしてるんだろうな。

Sasagawa. とにかくアニメはだんだん女性化して るような気がするんですが。

Ishinomori. 支持者がそうだから、そんな傾向にな るんじゃないですかネ。アニメ・クラ ブで女性が作っているくらいだから。

Iijima. そんなふうにアニメのスソ野が広がる のは嬉しい反面、ちょっと増え過ぎと いうことは否定できないんですよ。 今 のアニメ製作人口からみれば、明らか に質の低下につながると思うんです。

Sasagawa. そうですねェ。今はどこかで張尻を合 わせているような。

Ishinomori. ボクはディズニーの「白雪姫」や「フ 「アンタジア」の感想を、女のコに聞い てみたい気がするんですよ。 たぶんアニメファンの女のコたちは アニメのテクニックよりはキャラクタ ーで見てるんじゃないかと思うんです ボクはもっとテクニックを見てほしい と思うんですが。

Koizumi. それは当っていると思いますネ。本当 アニメを見るというんじゃなくて、 マンガ好きのままアニメに移ってきた という感じですネ。

Ishinomori. アニメがマンガと本質的にちがうとこ ろは動くことです。当り前ですが、そ こに興味を持ってほしいですネ。キャ ラクターだけを見るより、はるかに面 白くなると思うんです。

Iijima. コンピュータ・アニメのようにアニメ が機械化されるとどうなって行くんで しょうか。

Koizumi. コンピュータ・アニメがふつうになる 頃には、機械と手作りの2本立てにな るんじゃないですか。

Ishinomori. 雑誌の仕事は今すでにそうなってます ネ。プロダクション・システムと一人 でコツコツやる方法があります。 アニ メも量産するものはコンピュータで、 手作りのものは手をかけて作るという ことになるんじゃないですか。実験ア ニメに興味を持ってる人も多いから、 いろんな作り方が出てくると思います。 ボク自身は、これがアニメだという作 品を作りたいですネ。それには作品を 作ったあと、”これではいけない”と いう後悔の念を失いたくないですネ。

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