1979
November
Feature [“Seiyuu 24 Hours”, Animage]:
「おばら」ではなく「スカーレット・オハラのおはら」と読むのだそうである。あのブリジット・バルドーのというか、クラウディア・カルディナーレというか、ミレーヌ・ドモンジョ、はたまたジェーン・フォンダ、シャーリー・マクレーンというか、あるいはまたガラっとイメージを変えて、コナン、ペーター、メガネ、ブンブン・・・・・・とにかく、その当たり役をあげていったらきりのない大ベテラン小原乃梨子さんの登場である。
各世代に高い知名度
ランデブー場所はNHK103スタジオ『おかあさんといっしょ』の収録現場であった。3歳児20人ばかりがけたたましく騒ぎまわり、まるで保育園の運動場と化したスタジオ内に、小さなボックス(ブース)がひとつ。なかに鎮座ましますは山田康雄、肝付兼太、小原乃梨子。当代人気随一の実力派声優3人。もし、スタジオに集まったのが中高生だったら、番組収録なんぞそっちのけ、このボックスに殺到し、収集のつかない騒ぎになるところだが、そこはまだ、ヨチヨチ歩きに毛のはえた程度の保育園児、大好きなブンブン(小原)つねきち(山田)ゴジャエモン(肝付)の声をどなたが出していようと興味のラチ外のようで、その目はひたすら舞台の上の大きなぬいぐるみに集中している。したがって、ボックスのなかのお三方、のびのび、ブンブンやりたい放題。山田さんなんぞは、例によって例のごとし、台本にないセリフをポンポンしゃべっちやって涼しい顔である。いちばんエバっているのが小原さん。なんたって、3人のうちで最先輩なのだ。声優だけではない。たとえば・・・・・「女優座のあとテアトル・エコーの5周年記念公演にもずうっと出ていたから・・・。ええ、主人が熊倉一雄さんなんかと一緒の創立メンバーだったし。えーと、康べェが入ってきたのは何年か。私たちの結婚式が昭和35年で、そのとき康ベェも出席してたから3年かなァ」こんな調子。主人とは、テアトル・エコーの演出家えりぐちたかし江里口喬氏のこと。昭和35年に結婚、高校生になる一人息子あり。声優フィーバーというのはティーンエージというかぎられた年齢層のあいだでこそまさに熱狂的だが、それ以外の世代には圧倒的に認知度が低いというのが、残念ながらわがニッポンの現状。そういうなかで、小原さんは各世代にまんべんなく高い知名度を持つ稀有な声優さんである。
仕事は昭和20年代から
アニメもそうだけど、高い知名度の源泉は、なんたって洋画の吹きかえにおけ圧倒的持ち役の多さ。しかも、冒頭に列挙したとおり、欧米映画界で〝いい女”のシンボルとしてそれぞれ一時代を画し代表的女優ばかりである。どこから金が出て生活しているか知らないが、とにかく小粋で、コケティッシュで、ちょっと退廃的な女の声をアテさせたら天下一品。「情事を終えてベッドから出てきたとき、きたなさを感じさせない声優」専門家筋の小原さん評である。この評価が彼女にB・B以下、ドモンジョ、カルディナーレと、日本には絶対にいないタイプのヨーロッパ女優のアテレコを総ナメさせているのだが、どうやら、これは単に演技力というより、彼女個人の持つ人柄に由来しているといってよさそう。その身辺に、およそ生活臭というものが感じられないのだ。昭和10年10月生まれの44歳、立派な中年である。昭和20年代、NHKのラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の時代からこの仕事をしているから、芸能生活もかれこれ30年近く。一児の母親であり、一家の主婦であり、しかも「子どもが小学校5年のときからお手伝いさんなし。手抜きは多いけど、そうじ・洗タク・炊事、いちおう全部一人でやっている」という一人三役のスーパーレディなのだ。当然、その生活環境にふさわしい日常生活のシガラミらしきものが、その周辺に漂っていてもよさそうなのに、これがみごとにない。母親・女優・主婦、そんな肩書はあくまで属性。そこに小原乃梨子というひとりの女性、人間がいるというさわやかな存在感。思わず、こんな30代、40代になれたら年をとるのも悪くないな、そう思わせてしまう不思議な個性の持ち主である。
恵まれた環境が育てた個性
小原さんの世代の役者さんて、たいてい一度は食えない時代を経験しているものですが、小原さんにはそれはなかったんじゃあ?「そう、そういえば、ハングリー体験てないですねえ。子ども時代もふくめて」父は戦前からの弁護士、母はカソリック教徒、そういう家庭環境だった。小学校6年のとき「虹の橋」という児童劇団に入ったのがこの世界に首をつっ込んだきっかけだが、当時よくあった、生活を助けるためなんて動機ではない。「父はお座敷なんかで芸者さんを遊ばせてしまうくらいの粋人だったらしいし、子どものころから娘3人に、それぞれ流派の違う日本舞踊を習わせて、お正月には3人並べて、お座敷でその成果を披露させたり。クリスマスには母がオルガンひいて、みんなでお祝いするとか、そういうものなんだって感覚で育ってきた。そういえば、疎開先にまでオルガン持っていったり、戦争に負けそうだとわかると急に娘3人にローマ字の特訓はじめたり、やっぱり、ふつうの家庭とは、ちょっと変わってたかナァ」ぎょうこう日本中がその日のカテを得るのに血マナコになっていた戦中から終戦直後にかけての話である。リベラルでハイセンスな、当時の日本にあっては幸”といってもいい恵まれた環境のみが育て得た個性、それが一度もそこなわれることなくおとなになり、30代となり、40代をむかえた、その全身をつつむ精神的豊かさが、対峙している人間の心を自然になごませる。「息子はねえ、すごいアニメ狂。自分で絵コンテ作ったり、もう大変なもの。だから、いまのアニメ人気って、わりと感覚としてわかるのネ。なにごとにつけ一番キビしい批評家ですしネ。”ママ、きょう何のミソ汁?”きょう?フのミソ汁”間パツを入れず、こういう受け答えしないとごきげんナナメ。一週間後におんなヒギャグやってるようじゃ、もう相手にしてもらえないし・・・」
40代にして好奇心のかたまり
「仕事は、やれっていわれてやってるものじゃないでしょ。帰って”疲れたー”なんていおうものなら、男ふたり、ニヤっとして疲れるんだったらやめればア”やらしていただいてるんだから、いい仕事しないとおふたりさんに悪い」生活がかかっているわけじゃないから、仕事は自由に選んでできるが、小原さんぐらいの超売れっ子ともなれば『おかあさんといっしょ』『ドラえもん』『ゼンダマン』などのレギュラーのほか、洋画の吹きかえやCMなどの仕事がひきもきらず。結局、休日は「ちょっとひまなときで週一日とれればいいほう」という過密スケジュール。家事一切もこなしているわけだから、余暇などあるはずないのに、実にこまめに映画をみている。「公開された作品は、ほとんど見てるんじゃないかな?。新聞の広告見て、上映館、上映時間、ぜんぶ手帳にメモしておくの。仕事で待ち時間なんかできたらパッと開いて、あっ、これなら一本見れるってふうにとんでいく」好奇心の固まりみたいな20代までならわかるけど、小原さんぐらいの年代になってその行動力、やっぱり驚異という……..「仕事するのは、つまり自分の切り売りでしょう。つづけていると、だんだん自分がからっぽになっていくようで息がつまってくる。そういう飢餓感、感じたことありません?私はダメ、ああ映画がみたい、絵をみたい、本読みたい、音楽聞きたい、そういうもの補充していかないととても生きていけないって感じになってくる。そうやって仕入れたものが、ソク仕事にどう役立つか、そんな次元のお話じゃないの」
天びん座の女性の特性とは?
文化は豊饒〟のなかからしか生まれない。文化とは、ぼう大なムダの集積の上にはじめて花咲くとは、さる高名な社会学者の言葉。経済大国の呼び名にうかれ、自分ではいっぱし文化生活を送っているつもりになっているけれど、ヨーロッパ文明の水準からみれば、日本人の生活なんて、しょせん「ウサギ小屋に住む働きバチ」でしかないという現状で、小原さんはムダの効用〟を感覚としてわかっている特異な人でもある。どうしても40代にはみえない精神的肉体的若さの秘密も、小原さんの生活感覚が、昭和30年代以降の豊かな時代しか知らない10代、20代の若者たち感覚に、より近似しているせいかもしれない。インタビュー当日は、ちょうど『未来少年コナン』が、ニッポン放送で4時間ドラマとして生放送された日。時間待ちのあいだに一緒に夕食をとった。小原さんは、スープからはじまり、コーヒーまで、フルコースをきちんと注文し、つけ焼刃のマナーではとてもまねのできない自然な、実にきれいな動作で口に運んでいった。「将来は自分でお話書いて、簡単なセット作って、子どもたち集めて〝バーバパパ”(かつて12チャンネルで放送、小原さんが女性の声をぜんぶ演じた)みたいな舞台を作ってみたい」という。文章のほうも、月刊誌からエッセーの依頼がどんどんくるくらいでお手のもの。「洋裁も、ヒマがあると、自分の服などデザインして縫っちゃうから、衣裳も自分で作れる。だいたい、お金のない小劇向きにできている人間なのネ」本人はさりげなくそういうけれど、改めて彼女の一日の行動量を反すうしてみると、ひたすら驚嘆あるのみ。「結局、欲ばりなのかな。いつも、もっと楽しいこと、もっと興味のあること、何かあるんじゃないかって思っているから、もういいって思うことないのね。それに、私は天びん座。なにかに常に夢中になって頭の片すみでは醒めている。日々、熱狂とシラケのくり返し。きょう、自分ほどダメな人間はいないっておち込むだけ落ち込んでも、一夜あければ世の中バラ色、スーパーマンみたいになんでもできそうな気分になっている。こんな起伏の激しい人間と20年近くもつきあって、うちのご主人、エライワネ・・・・・・」かえりぎわ、ふたたび思った。こういう40代になれるなら年をとるのも悪くない。
