My Anime #03 (June 1981)

pg. 9-16: JUN (Shotaro Ishinomori)

pg. 23-29: Space Runaway Ideon

pg. 30-31: Sugata Sanshirou

pg. 32-33: Kyoufu Densetsu Kaiki! Frankenstein

pg. 34-37: Adieu Galaxy Express 999

pg. 38-41: Tomorrow’s Joe 2, Captain

pg. 42-47: Mobile Suit Gundam II – Soldiers of Sorrow

pg. 48-52: My Anime Life – Yoshikazu Yasuhiko

「気がついたら十年間 アニメをやってきていた」

「東京に来たら “なんとか”なっ てしまった」

もう何度も言ってきたことなのだ けれど、アニメーションを仕事とし て始めたのはほんの偶然がきっかけ だった。2、3センチ四方くらいの 小さな求人記事をたまたま見つけた という、たったそれだけのことが僕 アニメに引き合わせたのだ。 仕事は70年の秋から、より正確 には77年のお正月明けの、新番組 「さすらいの太陽」製作開始から 始まった。しかし、正直に言って”水 を得た!”というような劇的な感じ はなかった。自分にもなんとかつと まりそうだという、ややホッとした ような漠然とした印象の他には、め ぼしい感興は何もなかったと言って もっとも、それはそれなりに大変 なことではあった。不器用で、要領 が悪くて、世間知らずで、無能で、 大学さえ出ておらず、もとより何の ライセンスもなかった僕にとって、 恰好の仕事などそうそうある訳はな かったからだ。事実、右も左も判ら 東京で職を探してウロウロして いる間にも、何人かの人から僕はこ う言われた。 「東京へ来りゃなんとかなるって考 えてのことだろうけど、甘いよ。そ んなものじゃないんだよ世の中って ・・」身に滲みる苦言だった。事実、 「東京でならなんとか……」と、僕は 大変に甘く、そう踏んでいたからだ。 なんとか”になどなってはいけな いのだった。少なくとも世の中の常 としては……。 しかし、何の間違い のせいかこれが”なんとか”なって しまった。僕に、よりによってこの 僕に割合向いていると思われる仕事 が見つかってしまったのだ。 っぱり東京だ ―と僕は思った。そ して、この仕事には当面、とにかく しがみついていなければと思った。 振り落とされでもしたら、それこそ 本当に僕は完璧に路頭に迷うしかな い。早い話が、絶対に生きていけな い――そう否応なしに確信できたからだ。

「アニメづくりって、 因果な仕事だなァ・・」

とにかく仕事にはくらいついた。 当然薄給だったから、アルバイトに なるような小仕事も喜んでさせても らった。コンテの清書、宣材やタイ トルバックの作画、なんでもやった。 単調な動画仕事からしばしのがれて そうした雑用に手を染めることがで きるのは、それだけで嬉しくもあっ た。そして何よりもそうした雑用の 地点というのは、言ってみればちょ っとした小高い丘のようなもので、 そこからは比較的良く 「TVアニメ 作り」という、仕事の景観を見通す ことができた。 皆目、様態の定かではなかった「T Vアニメの世界」というものが段々 と良く見えるようになって、僕はよ うやく自分のいる地点、立場の ようなものがのみ込めてきた。そし て、言ってはなんなのだが、少々ゲ ンナリしてしまった。 アニメ作りというのは因果な仕事 なと僕は思った。少なくともそ れは、どこをどう見てもおよそ魅力的 ではなかった。まず、全工程をどこ で切ってみても決まって出てくる金 太郎アメみたいな一定のカオ――「莫 「大な手仕事」という現実があった。 バカバカしいほどの労苦の産物とし てのアニメーション。それが、しか 現実にはどう見ても社会的にはま ともに扱われていないという実感も 無論あった。 みみっちい原作の拝借、 仰々しい制作のカセ、自主規制、 高 い制作原価、そして安い売り値、制 作スタッフの没主体性・・・・・・斜陽期に しかかった虫プロダクションとい 会社ならではの部分も無論あった だろうが、ともかく見るもの聞くも の、気の滅入るネタばかり…という のが実際のところで、僕はいよいよ かたくなに、この仕事を〝メシのタ ネ”と厳しく規定せざるをえなった。

「とにかく前へ、 他人よりも前へ・・・・・」

大学という回り道のおかげで、 虫プロ入社時、僕はもう二十二歳 という、言ってみれば分別ざかり の齢になっていた。幸い僕と同期 の養成所生には同い齢の男が二人 い、更に途中からはT君という一 層の年長者が加わってきたりもし て、おかげで年齢的な悲哀をなめ ることは少なかったが、それでも 安穏としておられないという事情 には変わりがなかった。ハラをく くって仕事にくらいつくという 悟ができると、今度は少しでも早 ・他人よりも上手くならなければ という焦りが昂じてきた。 上京したての田舎者がまず出っ わす驚きに、東京の盛り場の雑踏、 そしてその中を泳ぐように歩く人 の足の速さがあるが、見わたす限り 人、人・・・・・・で満たされた感のあるア ニメの制作現場の事情もそれと似通 っていた。雑踏の只中のような見通 しの悪い身の置きどころにあっては、 さしあたっての問題はともかくも、 他人よりも前に出、そして視野を広 げ、自分にとっての可能性の領域を いていくということ、 ただそ れだけしかないのだから…… 僕は都会の人々に負けない速足で 歩くことにした。肩を巧みに使い、 狭い人と人との間をすり抜ける術も 覚えた。ノンビリとしている人たち などは、得たりとゴボウ抜きにする ことにした。着実に増加する負債に 屈して虫プロが倒産に追い込まれる ころには、そんなわけで僕は、かろ うじて「一人前」と呼ばれる程度 TVアニメーターになっていた。

キレイゴトで、 マイナーなんて・・・
僕を拾ってくれた創映社(現日本 サンライズ)は、当初からマイナ ”を地でいくような会社だった。 虫プロの現場プロデューサークラス が設立したこの会社は、口の悪い連 中に言わせると「虫プロという沈没 船からいち早く逃げたネズミたちの ケチ会社」ということになっていて、 事実そのような印象もないわけでは なかった。 確固たる製作理念のなさそうなこ とは一見して知れたし、金銭的な羽 振りも良くはなさそうだった。野心 も、冒険心もなく、あるのは少数の 人たちの間の、なにがしかの共生感 のみ……虫プロの「疲れ」もしくは 「カゲ」そのもののような創映社と、 そこに出入りしていた人たちの図は、 今にして思えば、例えば南シナ海を 漂うボートピープルのような風情だ った。 マイナー”という話が少数者の威 勢のいいかけ声として一般的に使わ れだしたのは、比較的最近のことだと 思う。とにかく昨今ときてはパリパ リのメジャーでさえもが“マイナー” という呼称を、勲章として欲しがった りもする。そのような変な時代だか 気を付けなくてはならないのだ が、元来、マイナー”とは〝悲哀” の代名詞であったはずである。 手塚治虫という日本マンガの主柱 をバックとして、文字通り業界の大 メジャーであった虫プロダクション から「創映社」への転落、当事者にと ってそのプロセスは「悲哀」そのもの であったことだろう。創映社=サン ライズの意気のあがらぬのは当然の 話だった。「マジンガーZ」が敢然と して切り拓いてくれていた「低俗商 業アニメ」への途へ、サンライズが自 暴自棄的にのめり込んでいくのは、 見えすぎた必然であったに違いない。

「偽善がこんなにも まかり通るということ・・」

およそ子供を相手にした文化と称 される世界ほど、「偽善」というもの がおおっぴらに横行している領域は 他にあるまい。僕はどっちかという と、「偽善」という言葉の、問答無用的 な切り捨ての語感を好まない。単純 悪よりはよっぽどマシな「偽善」が世 の中には一杯存在することも、それ あってこその、この世間であるこ とも承知している。しかし、実際に 見知ってきた、例えばアニメ界の偽 善のあり様はとにかく愉快ではない。 要するに露骨すぎる。可愛げがなさ すぎるのだ。 早い話、「教育的な愛のドラマ」を 本質的に教育とも愛とも無縁な制作 者がこしらえることは容易である バクチの開帳者がそのアガリを福祉 事業に寄附するというよりも、多分 それは簡単であるはずだ(なんと言 っても当人のハラはちっとも痛まな いのだから……)。しかし、偽善的なバ クチの胴元に対するほどには、世論 は偽善的な子供文化の仕掛人に対し て厳しくはない。 当然たくさんの意識的、無意識的 偽善者たちによって牛耳られた子供 文化の領域は気味悪く歪んだものに なる。さながら風化した言葉や観念 のはき溜めの観を呈したりもする。 ムナクソの悪い押しつけ倫理や、 にもクスリにもならないヒマつぶし ドラマが「天下公共の器」と称され る高価なテレビ電波に乗って全国に バラまかれていく..。 結果として「偽善」に対する反作 用は、例えばザ・ドリフターズふう の「偽悪」的ポーズとして現れてく る。倫理性を、反倫理の立場から見 直すということになる。確かに危険 ではあるが、これは十分に理に叶っ た途なのかもしれない。

「偽善的な〟俗悪〟こそ どうしようもない」 無論、子供文化に於ける「俗悪」 をおしなべて買いかぶる気などはと うにない(ドリフターズだって、僕 は格別に好きではない。最高だった のは元気だったころのクレイジー・ キ キャッツだと、実は今でも確信して いる)。最悪なのは言うまでもなく、 偽善的で、尚かつ低俗という手合い である。そして面倒なことに、サン ライズというマイナーな弱小会社が 主たる仕事の領域として選びとった のは、そのような「最悪のパターン」 に限りなく近い、実にきわどい部分 だったわけなのだ。 いきおい作り手は慎重にならざる をえない。 社会的な賛辞というよう な報いは最初から期待しないとして も、「最悪」のそしりだけはなんとか まぬがれようということになれば、 彼はともかく、注意深く「偽善」的 部分を回避しつつ、できる限り巧 みに「俗悪」を料理するという以 外にない。これは、尋常でない難 である。単に「技術」を売ると いうような、並みの作り手にはで きるわけがない。

「当事者間のアニメ 論があったっていい」

きわどい一線を辿っていく「俗悪」 への風当たりは当然に強い。更に それがまた「アニメ」ということに なると、輝かしい 「正統史」を後 ろ楯にしての批判がこれに加わる。 つまり内容に加え、表現手法もまた俗 悪であり、低劣だというわけである。 優雅にして上品な、かつ、健康な古 典的アニメに与して「俗悪・低劣」を 撃つほどに簡単なことはない。し ばしば実際に見られるのだが、ズブ の素人が、たいそうな高所からこれに 唱和するということもある。いずれ にしても、泥まみれの「当事者」と しては “いい気なもの だ!”とい うほかはない。 アニメというのは因果な仕事だ! という僕の最初の印象は的を得 ていたと、今にして思う。実際それは、 因果めくほどにどうしようもないシ ロモノなのだ。 なによりも面倒なのは、アニメー ションというのが、徹底してつくり ものだという事実である。「ただ単に 歩く」「ただ単に走る」というふう な単純この上ない描写でさえも、 アニメーションにとっては、そして またその技術屋にとっては、実に深 刻な対象なのである。彼等は眉間に シワを寄せ、エンピツとストップウ ォッチを握りしめ、その「ただ単に ・・・」を描出しなければならない。彼 等のチビたエンピツがそれを慎重に 描き出さない限り、たったひとつの 「ただ単に…………」さえもが、スクリ ーン上では作動しないのだ。 えてみれば、これは全くオソロシイ 事実ではないだろうか。 単純な「ただ単に……………」の集積に 始まり、微妙なニュアンスを含む演 技や、気の遠くなるほどに面倒な効 果技術に至るまでの全プロセスを、 徹底して「つくり通す」ということ が作品成立の基本条件となるアニメ ーションは、その技術的な特殊性に よって、どうしてもかなりに閉鎖的 な「作り手側のブロック」を生む。 つまり、つくるという過程の実際の つらさをよく知っている者のみの世 界を、である。 事情通や作り手(当事者)だけの 閉鎖世界といえばどうしても印象は 陰湿になる。実際、現実に考えられ そのようなものは、あまり健全でも なく、建設的なものでもありそうに ない。しかし、アニメーションとい ものが特殊な「一切合切をつくり 抜く」という工程の上に立った表現 領域である以上、本当に実際情況に 見合った、現実的な相互批判や提言 は、そのような当事者間の世界以外 ではなかなかに得られにくいと思う。 早い話、「つくり抜く」という宿命 的課題の重たさを理解しない人間の 無責任な古典賛美などを、僕は拝聴 しようとは思わない。そんな視点か らの提言や圧力に振り回されるのは 御免こうむる。僕はこの因果な仕事 =アニメーションなるものと、何故 かしらかかわり合いしてしまって、 そしてそのことによって、実際に泥 んこになって苦労している御同輩た ちの意識に、より多く学ぼうと思っ ている。

「気がついたら十年・・・ でもごれからも当分・・」

これを手放したらもう本当に食う アテがない――そういう切羽つまっ た思い込みがあったとはいえ、移り 気な僕を十年余りもつなぎとめてく れたアニメーションという、この因 果な仕事の不思議さそれはやは 「魅力」と呼ぶべき何かなのだろう。 そして、それに加え、現在の僕にア ニメーション技術と同等、もしくは それ以上にアテになる技術の持ち合 わせのないことも確かな事実であ る。ならば当分、僕のパートナーは アニメーションであってくれなけれ ば困る。幸い、ここ数年の情況の変化 は、「激変」というに近い。どんな可 能性や新しい局面が前途に拓けてく るか、好ましくない分をも含めて、 まるで見当もつかない。 ままよ、いってみるしか方法はな い。マイナー”は幸か不幸か尊称 と化した。「俗悪」に偏し、時とし て低俗に近づいたとしても、でき得る 限り偽善的なクサミは排する、という 姿勢にも反省はない。 画業を例えにすれば、ようよう絵 筆の持ち方を覚えたというあたりが 現在のところかとも思う。キャンバ スに向かうのはむしろこれからであ る。数年後に一体何が描けているか、 そもそも何かが描かれ得るものか・・・・・。 自分自身としても、興味は結構、 尽きない。

pg. 57-64: Jarinko Chie

pg. 65-80: Space Battleship Yamato III Anime Comic

pg. 81-88: Stargraph – Shuichi Ikeda

pg. 92-97: Kami Densetsu Sadamoebius #3 (Ippei Kuri)

pg. 98-99: B&B 4-coma (Yuji Amemiya)

pg. 101-123: TV Radar

We’re Anime People:

Covered series (Commenter, if any):

  • Ginga Patrol PJ
  • Yattodetaman
  • Muteking, The Dashing Warrior
  • Doraemon
  • Manga Kotowaja Jiten
  • Ojamanga Yamada-kun (Tsuchida Production)
  • The Swiss Family Robinson: Flone of the Mysterious Island (Nippon Animation)
  • Tomorrow’s Joe 2
  • Tsurikichi Sanpei
  • Tiger Mask II
  • Ikkyū-san (Tokyo University Department of Religious Studies)
  • Kaibutsu-kun
  • Belle and Sebastian
  • Beast King GoLion
  • Astro Boy
  • Dr. Slump Arale-chan
  • Queen Millennia
  • Golden Warrior Gold Lightan
  • Hoero! Bun Bun (Wako Productions)
  • Tetsujin 28-gou
  • Ai no Gakkou Cuore Monogatari
  • Hello! Sandybell (Toei Animation)
  • Manga Hajimete Monogatari
  • Saikyo Robo Daioja
  • Mechakko Dotakon
  • Manga Nippon Mukashibanashi
  • Ohayou! Spank
  • Fūsen no Doratarō
  • Hokahoka Kazoku
  • Kirin Ashita no Calendar

pg. 124-127: My Anime Information Corner

pg. 128-129: Record Radar

pg. 130-131: Anime World Information #1

pg. 132-133: Hisashi Katsuta’s Biography of Japanese Voice Actors #3 – Makio Inoue

pg. 134-137: Scenario File #3 – Gatchaman Episode 44

pg. 139-145: Character Sheet Collection #3 – Captain Future

pg. 149-164: My Anime Jockey

pg. 165-175: Queen 1313 #3 (Kaoru Shintani)

pg. 176-180: Hideo no 5 Wārudo #3 (Hideo Azuma)

pg. 181-185: Animetopia (Yoko Asagami & Rihoko Yoshida)

pg. 186-188: Director Note #3: Yūgo Serikawa

pg. 191: Horoscope

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