Masatō Ibu

1979

April

Feature [“Seiyuu 24 Hours”, Animage]:

食えないから声優・芝居兼業

ご存じ、あの武士(もののふ)魂を持つ尊敬すべき敵役デスラー総統を演じる伊武雅之さんである。「ゆうべは劇団の仕事でとうとう徹夜になっちゃって…」と目をしょぼつかせながらヌーっと約束場所に現われた伊武さん。ダボダボのアノラックふうコートを太い皮ベルトで締め、なんとなく帝政ロシアのコサック兵スタイル。アッ、伊武さんも本職はお芝居ですか?とっさに、そう聞いたら、「いや、職業としては声優、CM、テレビドラマ出演などなどです。芝居は、現実それだけでは食えないんだから職業と「はいえません」と、しょぼついていた目をギロリとむいて、ピシャリ。ちょっとしたデスラーなみの迫力である。

主なアニメ出演は『宇宙戦艦ヤマト』のデスラー総統と『ドカベン』 犬飼小次郎。ほかに単発もので『エースをねらえ』(太田コーチ) 『ガッチャマン』(ホークゲッツ)「野球狂の詩』(鬼島刑事) 「闘将ダイモス』『ビートルズ』(ジョン・レノン役)などがある。

昭和24年生まれの28歳。芝居と声優を兼業する役者としては、若いほうだ。幼い日に第二次世界大戦の記憶を持ち、昭和30年前後に演劇の洗礼を受け、芝居をのめりこむように愛している野沢那智、富山敬井上真樹夫らにくらべ、ちょう一世代若い。そのあたりが、みずからも『春秋団』という劇団を持ち、年二回公演という地道な演劇活動をつづけながらも「食えないものは本職とはいえない」とクールにいわせる事情だろうか。伊武さんがこの世界に首をつっこんだのは、ちょうど唐十郎の状況劇場、早稲田小劇場などアングラ演劇が全盛を誇ったころだった。「それも見ましたけどね。直接、芝居をやろうと思いだしたのは、名古屋で劇団『四季』『雲』などの芝居を見たことからです。加賀まりこが”オンディーヌ”をやっていたころです。石坂浩二なんかも来ましてね。つまり動機は、あこがれからですよ」

肉体労働のアルバイトも

伊武さんは東京生まれだが、家庭の事情で、10代の数年間を名古屋で過ごしている。その間、名古屋のテレビ局で、たとえばNHK「中学生日記』などいくつかの番組に出演する少年タレントだった。「石坂浩二なんか、名古屋公演のついでにラジオなどに出演する。それで仕事場で一緒になったりしたのが刺激となって、18歳のとき思いきって上京しました」まず劇団『雲』の養成所、ついで早野寿郎、小沢昭一らが主宰する劇団『俳小』の養成所に入った。もちろん、新劇の養成所がオアシをくれるわけもないから「食うために肉体労働、コンパやキャバレーの呼び込み、バーテン、ありとあらゆるアルバイトをやりました。だけど二つの養成所で大して学んだことはなかったなあ。だいいち『雲』なんて金持ちで裕福な人ばっかり。ふんい気あわないんですよネ。貧乏なのはオレ一人」やがて両養成所ともやめてフリーとなり、気のあった仲間とともにアングラ芝居公演で有名な新宿・蠍座、アートシアターなどで細々と公演活動をつづけていた。「この世界でメシを食えだしたのはアニメや洋画のアフレコをやりだしてから」伊武さんの最初のアニメ出演は意外に遅く、あの『宇宙戦艦ヤマト』PARTⅠのもちろんデスラー総統役でである。

工夫したデスラーの声

デスラーの話になると、声に急に熱がこもってきた。「アニメをやるとき、ぼくは芝居の役づくりと同じに考える。ただ、アニメの場合、絵が先にできあがり、その絵の”間”にあわせ、どう声を入れていくかがいちばんむずかしいんです。それにデスラーの場合は、あのころぼくはまだ24~25歳。はるかに大人の役です。青春まっただ中、ズバズバ生きていたぼくが、このデスラの大人の余裕をどうだすか、いちばん苦労した。アニメの場合、ふつう声を張って発声するんですが、それを逆にまず地声より一段低い声を出し、しかもアクセントもイントネーションもまったくつけず、平板に声を張らないでボソボソとしゃべる方法をとってみた。そのほうが見るほうのイメージがふくらむと思ったんです」その成果のほどは、読者諸君が一番よく知っているところだ。それにしても、アニメの役づくりをかくも情熱的に一生懸命語る役者さんがいたということは強烈な驚きであった。いろいろなふうに発言して見せるけれど、多くのベテラン俳優にとって声優の仕事は、その実、副業的印象が強い。それを、こと金を稼ぐことにおいてはドライに割り切ることで定評のある純然たる戦後っ子の彼が、なぜ・・・。「ぼくはアニメをやるということに真剣に取り組みましたよ。それでメシを食うんだから、あたりまえでしょう。いくら芝居が好きだからって、もうからない芝本職だ本職だとアリバイ証明みたいにいってもしようがないでしょう。いやですね、ぼくは、そんなの」もちろん、伊武さんは芝居なんかどうでもいいというのではない。それどころか、この人の夢は赤字になることが目に見えた客の入らない公演を、自己満足的に打ちつづける現在の中小新劇団の域を一日も早く脱し「おもしろくて客もガバガバ入って、やるほうももうかる芝居の打てる劇団をつくること」にある。「とにかく、ゼニもうけできる役者になりたいですよ。そして芝居も打ちたいし、映画も1本撮りたいし、もっと理想をいえば半年仕事し、半年遊ぶ生活をやりたいですねえ」

ゼニもうけできる役者に。。。

「この世界はテレビにしろ芝居にしろ、しょせんよいしょ”(芸能界用語でゴマスリの意)の世界。ぼくは性格的には絶対よいしょのできない人間ですが、それでも毎日毎日の中で、自分の持っているものを切り捨て切り捨てしながら生きていると思う。どこかで補充しないと、自分がボロボロの貧困状況になってしまう気がする。その補充のために、ナップザック一個持ってフラーっとアフリカあたりに出かけたくなるんです」そのためには、あれはイヤ、これはイヤなどと気どったことはいわない。「テレビドラマ?いいですねえ、どんどん仕事ください。アッ、だけど「ムー一族』みたいのならスッとんで行くけど燃えられないドラマだとやっぱりダメ。若いとき、もっとテレビ関係の人や先輩役者によいしょ”しときゃよかったかなァ。ぼくは若い人にはどんどん”よいしょ”しなさいってすすめますね」そのくせほんとに”よいしょ”する後輩が目の前にあらわれたら、絶対好きにならないだろうといった表情でいっているのだから世話はない。私生活では、むろん、すでに結婚していて、もうすぐ最初の子供が生まれる。「女房の実家は鹿児島の田舎町なんですけどね、結婚披露のとき、新郎○○はってのがあるでしょう。あれで職業をなんというか困っちゃって。田舎の人に新劇やってるったってわかんないでしょう。そしたら紹介者がいってましたよ。『エ新郎はたまにテレビに出て、週一回FM東京というところでディスクジョッキーというものをやっております』どうしようもないね。ああ、ゼニもうけできる役者になりたい」「役者はね、女遊びやら、いろんな放蕩をしなきゃあいい役者になれないって、いうでしょう。それも一理あると思うけど、ぼくは結婚したとき、まず未来にいい家庭を築きたいと思った。それまでが決して幸福とはいえない環境でしたからね。理屈抜きにいい家庭をつくりたいんです」趣味は、一人でフラッと旅をすることと、レコード鑑賞と、お酒を飲むこと。「レコードはロックなんかも聞くけど、もともとはジャズが好き。お酒はショーチュー専門。ショーチューのお湯割り飲みつつジャズ聞くってのが、ヒマなときの平均的パターン。だけど一世代前の人たちによくあるような、ジャズ狂的なものじゃない。だいたい音楽にしろ芝居にしろ、ぼくはのめりこむってことはできないみたいですね」冗談話をするときも真剣な口調で語るときも、不思議に身辺に孤独なふんい気の漂っている人でもある。甘えも、センチメンタリズムもまったくない厳とした孤独感。育った時代ゆえか、それとも環境がもたらしたものなのか。デスラーの役を「キキャラクターとしても「好きだ」というのがよくわかるような気がする。線の太い役者だ。

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