Masako Nozawa

1978

November

Interview [Animage, for Galaxy Express 999, w/ Kaneta Kimotsuki, Masako Ikeda]:

Animage: まず、 アフレコを終えてみての感想を……

Nozawa: 「ごく単純にいえば絵とともに内容が充実していますね。 未知のものへのあこがれをいだかせるメルヘン的な絵です。 アフレコをしていて、なんというか吸いこまれるような楽しさがありますね」

Ikeda:「とっても美しく、情緒ある絵ですね。統一された色で構成されていてすてき。 とくに1話目で、鉄郎と母親が雪の中で上空を走る特急をみあげるシーンがあるでしょ。上を走って行く列車がとても印象的でした」

Kimotsuki:「すばらしい画面ですね。ぼくの車掌さん役はまだ出番が少なく、性格的にもどうやってよいか迷っています。原作を読んで、コンピューターのようなセリフかなと思ってみたり、明るい車掌のほうがよいのではと思ったりして。回を追うごとにコミカルな部分が多くなりそうで、期待しています」

Nozawa:「そうね、車掌さんはホッとする明るい部分じゃないかしら」

Animage: 車掌さんの性格の話がでてきましたが、鉄郎とメーテルについてはいかがですか?

Nozawa:「鉄郎は第三者の立場でみるとナイーブな少年ですね。 私の声が太いので、孤児で旅に出るという設定であっても、なるべく明るさを出すようやっています。 元気すぎるかもしれませんが」

Ikeda:「メーテルは人間でなく、謎につつまれた人物なので、しゃべり方や感情をなまぐさく出してはいけません。ゆっくりした話し方なので起伏がなく、 一本調子になりやすい。その点に気をつけています。 鉄郎に対して母親的やさしさだとか恋人的な役割りでの感情の出し方がむずかしいですね。ただ、まだメーテルと自分の呼吸があわず、苦労しています」

Kimotsuki:「ゆっくり話すというのは、早口でしゃべるよりむずかしいのですよ。内面的にきちっとしたものがうまってないと、ことばがバラバラになってしまうのです。 話はそれますが、FMで城達也さんの『ジェットストリーム』という番組がありますが、あのようなスロテンポで語れるかたは、ほかにいないですね。 城さんには多くの人が一目おいています」

Ikeda:「テンポがゆっくりだと、へたをするとことばが死ぬ可能性や、まのびしてしまうことも出てくるんです。どうやってメーテルの神秘性を出していくか、これからも考えながらやっていかなくては」

Animage: 声の出し方、感情の作りなどの面で「999」は特にむずかしいのですか?

Kimotsuki:「いや、そうでもないですよ。 メーテルの場合は特別だと思う。他のSF作品とくらべても演技の組み立て方、ことばの質などは変わりません。声の出し方などは、画面から与えられる状況・役柄・テンポ感情の違いで無意識的に変わってでてくるものです。それが、声優の演技です。」
Nozawa: 「声優である前に俳優ですからもたされた役の感情の起伏のつながりや、変えをスムーズにもっていくのが役者です。 アニメの場合、特に「999」では心理感情のもち上げ方 テンポが私たちの心とびったりマッチしていて、すばらしいというのが印象です」

Animage: そうですか。 最後に「999」について一言ずつお願いします。

Nozawa:「いまの人たちは、夢を追時間がないので、もっと夢を追う時間をもつてほしい。 情的で、毎日のアフレコが楽しみです」

Ikeda:「メーテルを早く自分のものにしたい。 それと、この作品だけはテレビの前にすわって、 ゆつくりをおちつけて見てください」

Kimotsuki: 「はじめての鉄道 にそって、みなさんにすかれるよう乗っていきたいです。 最終駅のないことを望みます。 永遠にね・・・。」

1980

January

Interview [Keibunsha’s Encyclopedia: Galaxy Express 999 Encyclopedia PART 3 – Continued TV Edition]:

野沢雅子

出身地: 東京都

誕生日: 10月25日

所属: ぷろだくしょんバオバブ

出演作: ゲゲゲの鬼太郎、いなかっぺ大将、おれは鉄平他。


Q: 鉄郎という役をどう思いますか? 観” をきかせてください。
Nozawa: 鉄郎少年というのは、見ていただけばわかりますが、とっても明るくて、感情豊かなんですよね。それで、今までの鉄郎のセリフの中で〝男は涙を流すことはないけれど、人のために流す涙は恥ずかしくない”というのがあるんですけれど、私はそれがとても印象に残っているんです。鉄郎っていうのは、そういう少年なんですよ、自分のためには涙をガマンするけれど、人のためにだとすぐ涙を流すような、私はそういう鉄郎が大好きですね。もう私自身が鉄郎になっちゃってますから…。

Q: 映画の仕事が途中で入って、しかも鉄郎の設定がテレビとはずい分違いましたね、そういうことでのとまどいはなかったですか?
Nozawa: 私はないですね。だいたい私の場合は絵を見るとスッと入っていける方ですので……。それに15歳というのは私にできる範囲だし、鉄郎の年齢が変わっただけで、鉄郎の性格や本的な部分は変わりませんからね。だから抵抗も苦労もなかったわけです。

Q: 野沢さんの場合「ゲゲゲの鬼太郎」とか、少年役が多いのですが、特別に声をつくるのですか? 秘訣があれば聞かせてください。
Nozawa: 私は秘訣っていうのがあまりないんですよ。テレビの映画が生本番の時代から、私はずっと少年役をやっているので、少年役ということに特別な抵抗はありません。年齢も若かったですしね。

Q: そうすると少年役は得意なジャンルということになりますか?
Nozawa: そうですね、役者ですので、自分の”女”を演じることはできますけども。少年役に関しては、まぁ、私がだいたいボーイッシュなところがありますし、違和感はないですね。

Q: 「ゲゲゲの鬼太郎」から「鉄郎」まで、いろんな少年を演じられたわけですが、鉄郎という彼はその中でどれぐらいの愛着がありますか? 例えば一番好きだ、とか……。
Nozawa: それが一番困る質問なんですよ、どれも甲乙つけがたいんですよ。鬼太郎にしてもいなかっぺ大将にしても、みんな愛着があるんですね。ただ、鉄郎の場合は現在やっているという意味で、比重が重いわけです。これが鉄郎の役を離れた後でしたら、みんな同じように愛着があるので、どれかひとつというわけにはいかないでしょうね。

Q: 「銀河鉄道999」のレギュラーのみなさんのチームワークは?
Nozawa: ほんとに家族的でいい雰囲気ですよ。ですから、ゲストの方もやりやすいんじゃないかしら。ともかくチームワークはいいですね。

Q: 最後にファンの方へのメッセージを!
Nozawa: いつも応援していただいて、もう本当に感謝しています。それで、いただいたお手紙を読むと、何かこう明日の仕事への糧になるんですね。疲れて家へ帰っても、みなさんのお手紙を読むと「サァ、明日もガンバロウ」というような気持ちになりますね。本当に感謝していますので、この場を借りてファンのみなさんにお礼をしたいです。どうもありがとうございます。

Q: お疲れのところ、どうも御苦労様でした。

July

Comment [for The Adventures of Tom Sawyer, Animage]:

「釣りキチ三平」の三平、「銀河鉄道999」の鉄郎、そしてトムと、3人の少年を演らせてもらっています。そのなかで、トムは一番イタズラッ子でひどいこともケロッという少年です。でも、それがアッケラカンとしていて、すごく好き! のんびりとしたおおらかさせりふまわしで、と思ってます。

1981

July

Feature Article [“Hisashi Katsuta’s Biography of Japanese Voice Actors #1“, My Anime]:

少女は夢を見る。夢を見るから少 女なのである。 東京・荒川区の日暮里に生まれた 野沢雅子も、やはり、少女のころ夢 を見た。大きな舞台でスカートをひ るがえし、精一杯演じて、満場の客 かつさい から割れるような喝采を浴びる。そ んな夢を見たものだ。 昭和の初め、人々がまだ映画のこ 活動写真と呼んでいたころのこ と、松竹映画蒲田撮影所に佐々木清 乃という清純スターがいた。 その映画スターを叔母として生ま れた野沢雅子は、わずか三歳の時に、 もう映画カメラの前に立たされてい た。 監督さんの言う通りに、カメラの 前で笑ってみたり、泣いてみたり、 知らず知らずの間に演ずる心を身に つけていた。 しかし、幼いながらも、一コマ一 コマ、細切れに演じていくことに何 となく不満を感じ、やがて物心のつ いたころには、大きな舞台で精一杯 演じられたら……と、舞台俳優を夢 見るようになっていったのだ。 高校一年の終わりのころ、舞台女 優目指して、劇団「東芸」に研究生 として飛び込んだ。 当時そこでは、大塚周夫、森山周 一郎、富田耕生らが、まだ二十歳台 の新人として、汗にまみれて稽古に 励んでいた。 女優陣には、テレビでの売れっ子 さんもいたし、地味なワキ役さんも いた。まだ高校生の彼女にとって、 すべてが吸収できるすばらしい日々 が続いた。

野沢蓼洲と号す日本画家の父は、 芸術家であっても、やはり、大事な一 人娘のこととなると、世の親と同じ で、彼女が高校生のうちから演劇に 熱中することを好ましくは思ってな かったという。そして、学業第一が、 彼女に課せられた厳命であった。 しかし、彼女も賢い少女、若いな がらも自分の立場をよく認識して、 まず高校の学業に精を出し、余暇を 作っては劇団の稽古場へ通うように していた。公演の際にも、舞台に立 ちたいというはやる心を抑えて、小 道具作りや、効果音作りなどの裏方 さんのお手伝いとして参加、高校生 としての立場を守った。 授業を終え、週に数日、放課後駈 けつける劇団の稽古場では、先輩 ちが汗を流して稽古に励み、演出家 がきびしいダメを出す(悪い点を指 摘すること)。仲間たちが、あれやこ れやと意見を出し合い、創造上の議 論をする。 そんな稽古場の雰囲気が、彼女は たまらなく好きであった。 やがて高校卒業。卒業と同時に、 やっと父の許しが出た。そして、彼 女はどっぷりと劇団生活につかって いく。 彼女は劇団で最年少ということも かわい あって、先輩たちには可愛がられ、 また、彼女もたちまち先輩たちに溶 けこみ、すぐに娘役として舞台に立 つことが できた。 ラジオや テレビへ の出演の 機会にも 恵まれ、 役者とし て、ラッ キーなスタートがきれた。 先輩や仲間は、みんな気のいい人 ばかり、しかし、みんな限りなく貧 芝であった。たまのテレビ出演で得 る収入だけでは、食べることにさえ こと欠く始末。それでもみんな劇団 へ通ってくる。 朝、下宿で目覚めたら、財布に十 しかない。さて、この十円でコッ ペパンを買って食べるか、それとも 電車賃にして劇団に行くか・・・・・・、ハ ムレットのように迷いに迷ったあげ く、やっぱり劇団へやって来た、 と いう先輩もいた。 彼女は、ラジオやテレビの出演で もらったギャラをはたいては、よく パンや弁当をしこたま買い込み、そ れを抱えて劇団へ通ったものだ。 劇団の連中は、演劇の世界にしか 生きられない、世間を上手に渡り歩 くこともできない芝居バカばかり。 そんな不器 用な仲間たち が、彼女はた まらなく好き だったし、そ んな人間にな りたいと思っ たものだ。 こうした世 界に溶け込めたのも、父や母の理解 があったからだと、彼女は今も思っ ている。 劇団の公演が近づくと、それぞれ に何十枚とキップの割り当てがあっ て、それを売ってこなくてはならな い。劇団員にとって、一番憂うつな 仕事だ。しかし、彼女の場合は、い つもそれを、父が黙って買い上げてく れた。 高校時代には厳しく反対していた父 が、今は女優として成長していこうと する自分に力を貸してくれている。そ んなやさしい父の心を知った時、彼女 は涙がこぼれたという。

昭和三十二年ごろから、アメリカか らテレビ映画が輸入され、日本語版に して放送されるようになった。いわゆ るアテレコ番組の誕生である。輸入さ れるテレビ映画の本数が増えるにした がって、若い舞台俳優たちが、にわか に忙しくなってきた。それは、一秒間 に二十四コマ、あっという間に飛んで いくフィルムの動きに合わせて、日本 語をピタリと当てていく、そんな仕事 には、鋭い反射神経と演技力、それに 正確な標準語をしゃべることが必要で あり、若い俳優にうってつけの役割だ ったのだ。 彼女もテレビ局のスタジオに通う日 が多くなってきた。そして、若い俳優た ちが、どんどんこの世界に入り込んで きた。後、世にこの俳優たちを声優と いう。 アテレコ初期の時代には、放送と同 時にフィルムに声を当てていくナマ放 送が多かったし、録音の場合も、録 直しは容易でなく、トチリ(失敗)の 少ない、演技力のある俳優が要求さ れた。 少年役を巧みにこなす演技力のあ る彼女に場が多く与えられるように なったのは、至極当然だ。 昭和三十八年、国産テレビアニメ 第一号「鉄腕アトム」誕生、声優の 仕事はアニメへと広がっていった。 もちろん彼女も出演した。すぐ後、 「宇宙パトロールホッパー」「魔法使 いサリー」などにレギュラー出演、 そして四十二年の暮、「ゲゲゲの鬼太 郎」のオーディションを受け、みご とに主役の鬼太郎を射止めた。 言うまでもなく、「鬼太郎」は大ヒ ット。彼女は、個性ある鬼太郎少年 の人気とともに、テレビアニメにお ける少年役の声優として、その地位 を確立した。 その後も、「いなかっぺ大将」の大 ちゃん、「ど根性ガエル」のひろし、 「ドロロンえん魔くん」のえん魔く ん、「おれは鉄兵」の鉄兵と、主役の 少年を演じて大活躍、そして、一時 に「トム・ソーヤの冒険」「銀河鉄道9 99」「釣りキチ三平」「怪物くん」(新 作)の四作品に主演、同時に四人の 主役少年を演ずるという快挙を、彼 女はやってのけた。 今までに出演したアニメの数は、 おびただしく、数えきれないくらい ある。しかし、長い彼女のアニメ出 演の歴史の中で、少女役を演じた記 憶は、「あした のジョー」の ワキ役の少女 だけ、という のも面白い。 彼女の、カ ラッとした性 格、いつも笑 顔で、大きな 目を輝かせて いて、失敗し てもクヨクヨ せず、すぐに 立ち直ること のできるバイ タリティーと、 少年のような 機敏な行動力、 そうしたパー ソナリティー を持っていた からこそ、少 年役をあたえ られたのであ ろうし、人は また、その魅 力のとりこに なったのであ る。 鬼太郎、ひろし、鉄兵、鉄郎・・・・・・ と、それぞれの時代に育ったアニメ ファンは、これから後いつまでも、 それらのキャラクターを忘れること なく、野沢雅子の声も耳に残されて 消えることはないだろう。

アニメにどっぷりつかって、十八 年、今後も続けられる限りは、この 仕事を続けていきたいと、彼女は言う。 しかし、現実は厳しい。マスコミは 常に新たなものの誕生を歓迎し、そ れを追いかける。彼女をマークし、 日夜練習を続けている若い人たちが たくさんいることも確かだ。 このような厳しい世界の中で、 女もまた、たゆみない努力を続けて いる。 アニメの録音の合間を縫っては、 全国各地へとイベントの仕事で出か けて行き、多忙な毎日を送っている 彼女だが、舞台活動の意欲も燃やし 続け、その灯を消そうとはしていな い。つい先ごろも、声優仲間が多く 参加した舞台公演「眠れる森のメタ モルフォーゼ」で、華麗な演技を見 せてくれている。

初めてカメラの前に立ったのが三 歳、それから数えたら、彼女の女優 としての歴史は、もうウン十年となる。 その長い歩みの中で、彼女はいつ も夢を見てきた。 少女時代には、華 やかな衣裳を着て舞台狭しと大活躍 する夢を見、高校時代には、演技力の ある女優目指して、そして、アニメ の中にも夢を追い続け、つねに夢に 向かって歩んできた。 彼女はその夢を一つ一つ実現させ、 アニメ声優として幅広く活躍している。 十五年前、隣家からのもらい火で、 借家と家財を全焼、全くの丸裸にされ たこともあったが、彼女の持ち前のバ イタリティーでそれも克服、現在は、 やさしい旦那様(声優・塚田正昭)と一 粒種の由華ちゃんの三人で、幸せな家 庭を築いている。 今、彼女は自分の歩いて来た道を振 り返ってみて、何一つ後悔することは ない。夢を追いながら精一杯やってき た。そして、それができたことを何より も幸せだと思っていると言う。 (文中敬称略)

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