1981
April
Feature Article [“Anime Human Interview”, The Anime]:
「日本昔ばなし」は 自分なりの工夫を盛りこ めるのが魅力
TA. 門野さんの作品歴を見てみますと、 本昔ばなし」の仕事が多いようですが、本数 でいうと、どのくらいやってらっしゃるので すか。
Kadono. 「ー昔ばなし」だけですと15本ですけ ど、同じグループタックの「まんがこども文 もやっていまして、あわせて22本ですね。 「 昔ばなし」より「こども文庫」の 仕事のほうが早くて、いちばんはじめは赤 い靴”という作品を担当しました。
TA. いちばんはじめに、その「赤い靴」をや られたときの印象は?
Kadono. とにかく、いまだってそうなんだけど それほど多くのアニメをやってきたわけでは ないでしょ。アニメの世界に入ってから三年 たっていなかったわけだもの。だから、何が いいのか、悪いのか、ぜんぜんわからないわ けね。それで、ただ一生懸命にやったという 印象だけが残っています。 仕事の内容に関する印象もそうなんだけど、 それよりも、わたしの名前が “美術監督”と してはじめて出た作品なんですね。だから、 母なんか、もう大喜びだったんです。わたし も、ああ、親孝行できたなって思ったことを いまでも覚えています。そのあと「―――こど も文庫」と 一昔ばなし」を交互にやって いきました。はじめは「こども文庫」の ほうが多かったかな。
TA. 芝山(努)さんとの出会いも、そのころですか。
Kadono. そうなんです。そもそも、わたしが「- ーこども文庫」や「 昔ばなし」をやるチ ャンスをつくってくれたのが芝山さんなんで すね。東京ムービーで仕事をしているころ、 同じ部屋に芝山さんがいらっしゃって、知り 会いになったわけなんです。そのとき、わた しは、ムービーでの仕事が一段落して、その あとのスケジュールが決っていなかったのね。 そしたら芝山さんが「 昔ばなし」でもや ってみないかって、誘ってくださったんです。 わたしにしたら「 昔ばなし」はテレビで もずっと見ていたくらいの、大ファンでした から、ぜひやらせてくださいって逆に頼みこ んだくらいでした。 最初は芝山さんが、キチンキチンとていね いなボードをつくってくださいましてね。そ うね……一作について10枚くらい描いてくだ さいましたね。それを、ひとつひとつマネて 感じをつかんでいきました。 あのときの仕事 は、ほんとに勉強になったなって、いま思い ますね。
TA. 「昔ばなし」の中で、とくに印象深 い作品をあげていただけますか。
Kadono. そうね・・・・・・。いちばん最初の仕事とい うこともあって、「くらっこ鳥」という作品が 忘れられませんね。
TA. その「くらっこ鳥」もふくめて、そもそも 昔ばなし」の魅力というと、どのへん にあるとお考えですか。
Kadono. そうですねえ。あくまで制作する立場 からの興味ということでいいますと、「 ばなし」の場合、自分なりの工夫をいろいろ と盛りこめるっていうことがまずあるのね。 この作品は、こうした技法でやってみようと か、こんな色をつかってみたら、おもしろい んじゃないかとかね。シリーズものっていう のは、最初から決まっていますし、そうした イタズラできないでしょ。イタズラっていい 方は、よくないかな(笑)。
TA. それじゃあ「 昔ばなし」への愛着は かなりなもんでしょ。
Kadono. ええ、それはもう強いです。
サンリオで色のつかい方 アニメの基本を教わった
TA. そもそも門野さんが、アニメを始められ たきっかけというのは、いつごろ、どういう かたちで?
Kadono. わたしの場合、まだまだ経験も浅いし、 ほんとに未熟で・・・・・・だから、こういったイン タビューに出るのも、恥しいんですけど・・・・・・。 そもそものきっかけっていうのは、52年なん ですけど、そのころサンリオで「ユニコ」を つくっていまして、美術がたりないというこ 描くのが好きでしたから、なんとかわたしに もできるんじゃないかと思って応募したんで す。そして8月に正式にサンリオのフィルム 部へ入ったわけです。
TA. 小さいころから、絵を描くのが好きだっ たわけですか。
Kadono. 子供のころもそうですけど、高校が工 業高校(岡山工業高校)でデザイン科でした から、毎日絵は描いてました。ほんとうは、 高校で勉強した工業デザインの道に進みたか ったんです。その方面では才能がなかったみ たいだから……。
TA. じゃあ、卒業後は、その道に進まずに?
Kadono. いいえ、いちおう高校を出て、そうし 道に進んだことは進んでみたんです。でも 入ってみたら、けっきょく電話番みたいなこ とばかりやらされましてね。つまらなくなっ て辞めてしまったの。一年間くらいはいたの かな。 それで、どこかいいとこないかなって毎日、 新聞の募集広告を見ていたんです。そんなと き、さっきいいましたサンリオの募集広告を 見たんです。
TA. なるほど。それでサンリオへ入ってから まず、どういう仕事をされたわけですか。
Kadono. そのときサンリオではさっきもいいま した「ユニコ」と「チリンの鈴」という作品 をつくっていまして、わたしは、その背景を 描かされました。
TA. 入ってすぐにですか。
Kadono. ええ入ってすぐです。そのときの美術 の責任者が安部行夫さんで、とてもキビしい 人でしたよ。ものすごくシゴかれました。 でも、安部さんという人は、ものすごくう まい人なんです。 だから、はじめていっしょに仕事をしたとき、 こんなにうまい人がいたのかって感じでビッ クリしました。 もう絶句って感じで……。
TA. しごかれたって、どういうふうに。
Kadono. そうねえ。安部さんは、どちらかって いいますと、手とり足とりあれこれていねい に教えてくれるっていうタイプじゃなく、教 わりたかったら、自分が描いているものを見 て盗みとれっていうタイプの人でしたね。つ いてきたくないものは、ほうっておくってい う感じのね。
TA. そういう教え方だと、新人としたら当惑 しなかった?
Kadono. そう、ほんとにこまりますよね(笑)。 とにかく、ああしろ、こうしろって、ぜんぜ んいってくれないわけでしょ。だから、はじ めは、やたらオロオロするばかりで。それに すごく恐いんですよね。たとえば、はじめは 何もわからないから、ボードを丸うつしにし てもっていくんですね。そうすると、ダメ! ってひとこと。とにかくオーケーかダメかの どちらかしかいわない人なんです。ダメ!っ ていわれると、ついわたしも、「どうしてです か?」って聞き返してしまうんですけど、そ うすると「そんなこという必要はない。ダメ なものはダメなんだ」というような顔をする んです。もうくやしくてくやしくてね(笑)。 でも、そういうキビしい教わり方が、すごく 勉強になったんだなって気がします。新人に 対しては、そういう教え方はよくないってい う人もいたようですけど、わたしには、その とき教わったことが、すごく身についていま すし、よかったと思っています。 それから、一年くらいたって、やっと絵の 具が思うようにぬれるようになりましたね。 それまでは、ダメをだされると当然描き直す わけでしょ。一枚の絵で何回もダメをだされ て描き直すわけですから、絵の具がだんだん たい積してきてぶ厚くなってくるんです。 いたりすると、ポロポロこぼれ落ちたりして ね(笑)。
TA. いま考えて、そのとき学んだことで、い ちばん身についていると思うことは?
Kadono. そうですねえ······。あのころは、アニ メについて、何ひとつ知らなかったし······い までも、よく知らないってオコられますけど (笑)。そう、色のつかい方なんかは、あのこ ろのことが、すごく勉強になっていますね。 とにかく、基本的なことが、もっとも大切な んだっていうことを、たたきこまれましたか ……………あのころのこと思い出してみると、 わたしって、迷惑ばかりかけていたのね(笑)。
東京ムービーで食べた 「吉野屋の牛どん」が 忘れられない
TA.「ユニコ」のあとは何を?
Kadono. ええ、「ユニコ」が終ったあと、サンリ オはやめてしまったんです。というのは、「ユ ニュ」をつくっているころは、背景の人間が ぜんぶで5人いたんですね。それで終ってし まったら、サンリオとしても、背景は2人し か必要じゃないっていうことになったんです。 それならって思って、やめてしまいました。
TA. そのあとは?
Kadono. サンリオに一年間いてやめてから、三 ヵ月くらいは、何もしないでブラブラしてま した。わたしがサンリオをやめたとき、安部 さんもやっぱりやめられていたんですけど、 安部さんは、すぐ東京ムービーの劇場用「ル パン三世」をやることになっていたんです。 それで、わたしにも声をかけてくださったの で、喜んでやらせていただくことにしました。
TA. やはり背景で?
Kadono. ええそうです。肩書きは、いちおう”美 術助監督〟ということになっていたんですけ ど、実際は、それほどカッコイイものではあ りませんで、はやい話が、ベタの直しばかり をやりました(笑)。
TA. そうすると「ルパン」は途中から参 加されたわけですか。
Kadono. そうですね。 どちらかというと、最後 の追いこみの、すごい状態のときに、ノコノ コ入っていった感じね。スタッフの人たちな んか、みんな徹夜徹夜でしたものね。わたし なんか、そういう経験ぜんぜんなかったから かえって、おもしろかったですよ。もちろん 徹夜もあって、たいへんだったんですけど。 ああ、そうそう、徹夜とか夜遅くなると、 夜食を食べるでしょ。夜食というと、もう決 っていて、あの有名な“吉野屋の牛どん”な んですね。そればかり(笑)。その時間になる 南阿佐谷の駅前にある吉野屋へ、進行さん がみんなの分をまとめて買いにいくんです。 けっこう楽しかったなあ。いま思うと。
TA.「ルパン」はどのくらいの期間やられたわけですか。
Kadono. わたしが入ったのが9月でしょ。だか ら、そうですね。完全に終ったのが11月末で、 2ヵ月間ですね。
TA. そのあとも東京ムービーで?
Kadono. それがまた、そのあと何も決っていな かったんです。だから「ルパン――」が終っ た段階で、安部さんもいろいろ心配してくれ ましたし、わたしも、どうなるのかわからな い状態だったんです。それで、同じ部屋に芝 山さんがレイアウトのお仕事をされていまし て、いちばんはじめにお話ししたように「こ どもマンガ文庫」のお話しがあったんです。
ヘコたれたときに 芝山さんがおこってくれた
TA. 出会いが大きな比重を占めていることは、 よくわかったんですけど、じっさいに門野さ んにとって芝山さんという人は、どういう人 ですか?
Kadono. とにかくおこってくれる人ですね。わ たしっていつもヘコたれてしまうんですよね、 もうダメだあーって。そうすると、しっかり しろって、いつもおこられるんです。ダメだ なんて思って仕事をするなって。そういう仕 事の仕方をしていると、本当にダメになって しまうぞってね。
TA. ダメだって思うのは、門野さん自身理想 が高いというか、自分のイメージしたものが 完璧なかたちで、あらわれてこないとイヤに なっちゃう、みたいなところがあるんじゃな いんですか。
Kadono. 芝山さんにも、その点についてよくい われるんです。自分のイメージしたものに近 づけないからダメだと思うけど、そんなこと はじめからムリなんだって。それよりも、 分なりのものをだしていこうとすることのほ うが、いい仕事ができるものだって、いつも いわれるんです。 「マコトちゃん」のときにも、わたしなりに なんとか「サザエさん」より見栄えのするも のを描いてみたいとがんばってみたんですけ ど、じっさいに描いてみると、溝引きは引け ないし、線も曲がってしまうし(笑)最悪で、 ああ、これはもうダメだって、すごく落ちこ んじゃったんですね。それで打ち合わせの帰 りの電車の中で、芝山さんに「もうできませ ん」ていったんです。そしたら、いまでもは っきり覚えていますけど、すごくおこられま した。
TA. キビしい人ですね。
Kadono. キビしいというより、ハッキリした方 なのね。いいものとダメなものの区別が。だ から芝山さんにほめられるときは、ほんとに うれしくなって、単純に「ワァーツ」って喜 んでしまうの。それと、どんな小さなことで も親身になってアドバイスしてくれますから、 ありがたいなっていつも思っています。「お じゃまんが山田くん」の話があったときにも、 ほんとはすごく心配だったんです。でも芝山 さんが「やってみたら」って熱心にすすめて くれましたので、ヤル気になったんです。 だから、いまでも失敗はしょっちゅうあり ますけど、ダメだ!ダメだって最近では、い わないようにしているんです。それよりも、 このつぎは、もっといいものを描いてみよ うと思うことにしているんです。
タブチくんでいろいろな 経験をして終ったらゲッ ソリやせていた
TA. 芝山さんといえば、門野さんとの名コン ビということで欠かせないのが「タブチくん」 シリーズですね。
Kadono. ええ。劇場用の作品で美術監督として はじめて参加したのが「タブチくん」です。 この作品も、芝山さんからすすめられてやっ た仕事なんですけど、やっぱりはじめて、ち よっと荷が重いなって思ったものですから、 お断わりしたんです。それで芝山さんが例に よって熱心にすすめてくださいまして、それ ならやってみようって半分意地みたいな もので引き受けました(笑)。
TA. で、じっさいにやってみてどうでした?
Kadono. やっぱり大変でした。まずはじめに困 ったのは、原因がかなり違ってでてきたこと ですね。ご存知のように「タブチくん」は9 話からなるオムニバス作品でしょ。ですから それぞれの話を違う方が描かれるので原図の 描き方が一定していないんです。それを統一 したものにする作業が大変でした。でも、そ れが美監の仕事なんですから、そんなことい っちゃあ、いけないんでしょうけどね。 それと遠近法をつかわないんですよね。そ うした背景というのは、あまりないもので、 どうしても遠近をつけた描き方で上がってく るんです。三作ともわたしが美監をやったん ですけど、そのことでいちばん苦労しました ね。わたし自身、背景原図をきるのが初めて だったもので、みなさんにずいぶん手伝って いただきました。 もうひとつは美術監督という立場の難しさ を感じました。それまで、だいたいわたしの は、ひとりで背景ばかりやっていたわけ でしょ。だから人に、あれやってください。 これやってくださいって頼むのは初めてだっ たんです。わたしより年上の人もいるわけだ し、わたしも、つい生意気いっちゃうほうだ から、ケンカになったこともありました(笑)。 そのへんが難しかったし、勉強になりました ね。もうすこし時間があったら、ひとつのこ とについても、もっとゆっくり話し合いがで きたのにとも思うのね。 とにかくこの作品では、ドドッといろんな 経験を、まとめてしてしまったもので、終っ てみたら、すっかりヤセちゃって(笑)。
TA. これから先、どういう作品をやっていくつもりですか。
Kadono. とにかく変ったものやりたい。たとえ ばっていわれても・・・・・・わかんないなあ…..
TA. ロボットものなんかは?
Kadono. うーん……機械で囲まれているってい うのは描けないなあ。それに、わたしまっす ぐな線が引けないんですね。溝引きなんかや ると途中でガタッとひっかかってしまう(笑)。 ロボットものとかメものっていうのは、そう した線が多いでしょ。できないなあ、わたし には。 そうね。自由な発想を許してもらえるよう な作品をやっていきたい。
TA. 自由な発想って?
Kadono. たとえば「おじゃまんが」でも部 屋を真っ白にするでしょ。すると、なんだ何 にも描いてないじゃないかってことになる。 真っ白でいいからって背景の人にいっても、 できてくると、ちゃんと色がつけてあるのね。 色をつけるというのが、いまは常識としてあ るから仕方ないとも思うけど。コマーシャル なんか、真っ白い背景にキャラがひとつでて きて、あっ新鮮だなって思うものがあるのね。 だから、作品によってはそういう部分を、ど んどんとりいれて、常識を破っていくような おもしろい背景ができたらなって思うんです ね。
