Kazuo Komatsubara

1980

October

Feature Article [“Interview with an Anime Human”, The Anime]:

動きの中で見せる本モノのギャグをつくりたい
絵を描いたり踊り狂ったりの 少年時代だった

TA. 子供の頃の話から聞かせていただきたい のですが、どんな少年だったんですか?

Komatsubara. そうですね、比較的家の中で黙って 絵を描いていることが多かったですね。紙と エンピツさえあれば、それで一日過ごせた。

TA. 子供の頃から絵を?

Komatsubara. ええ、幼稚園の頃から絵を描くのが 好きでしたし、子供にしては上手だったんじ ゃないですかね。僕の親父は描くのはダメだ ったんだけど、絵を見たり、批評したりする のが好きだったんですよ。ですから血のつな りというか、影響はありますよね。妹なん かも絵が上手だったんですからね。

TA. 外で遊ぶことは、ほとんどなかった?

Komatsubara. そうでもないですよ。僕は一風変っ 子供でしてね。外で遊ぶときなんか、たと えば、近所の連中を集めて、兄貴のたたくカ ンカラに合わせて、皆んなでフルチンになっ て踊りまわったりね(笑)

TA. …!?

Komatsubara. 両極端なんですね。家の中で一人で 絵を描いているときと。今でもそういう面が ありますよ(笑)。ちょっと酒なんか入ると、 ひょっとこ踊りとか、考えられないことをや りますからね。お祭りの演芸大会にとび入り で参加したり、そういうことが好きなんです ね。ですから、もしアニメーターになってい なかったら、芸能関係にすすんでいたんじゃ ないかと思ってるぐらいです。ノド自慢大会 にもよくでましたしね。

TA. へえ、どんな歌を?

Komatsubara. えー、美空ひばりとか、三橋美智也 とか、もっと古いところでは高田浩吉とか、 年がわかるなあ(笑)。とにかく、僕の生ま れが昭和18年の12月24日で、クリスマス・イ ヴですから、人間がめでたくできてるんです よね(笑)。

TA. 子供の頃、好きだった絵に関する思い出 といいますと。

Komatsubara. そうですね、小学校のときは描けば 必ず教室に貼られたというのを覚えています ね。なにしろ絵の授業でなくとも、絵を描い て、先生のところへもっていくんです。そし てほめてもらって教室に貼ってもらったほど ですから。クラスのヤツらに嫌な顔されたり ね(笑)。

TA. そのほかには、

Komatsubara. 休みの日などは、父親によく写生に 連れてってもらいました。家が横浜でしたか 横浜とか、山下公園とか、鎌倉とかへね。 今から三十年近く前のことですけど、その当 時のことっていうのは、今でも思いだせます ね。絵っていうのは写真と違って、同じ風景 を何時間も見続けて、どういう木があって、 どんな形の屋根があって、どうのこうのって 描いていくので、色彩感覚が養われたり、も のに対する観察力が育てられたりして、今の 仕事に役立っているんじゃないかと思ってい ます。月に一、二回、あとは夏休みなんか、 弁当をもって写生へ行ったことを覚えていま す。そのほかの思い出としては、雑誌の似顔 絵コンクールに投稿して、よく掲載されたこ とかなあ……。

TA. その頃アニメについても関心がありまし たか?

Komatsubara. いえいえ、今の子供はアニメで育っ ているけど、僕らの時代は、テレビもなかっ たし、雑誌も月刊誌が数冊あったぐらいで、 今と比べると情報量が全然違いましたから、 アニメのアの字も知りませんでした。 マンガ も好きだったけど、それも人並みで、ですか らアニメーターになろうとか、マンガ家にな ろうなんて気持は全然なかったですね。

TA. 中学、高校時代は?

Komatsubara. 中学の頃は、もちろん絵も描いてい ましたけど、テニス部に入りまして三年間夢 中になっていました。 中学二、三年の頃かな 肖像画に凝りだしましてね。 その当時縁日で 肖像画を描く拡大器を売っていましてね。

TA. 拡大器?

Komatsubara. ええ、小さな顔写真を上からなぞっ て描くと、その筆と連動している木の枠の中 に写真そのままの絵が拡大されて描けるって いうヤツですよ。それにエンピツで描きたし 肖像画を描いていたわけですけど、そのう 拡大器なしで、写真を見ながら描くように なってね。とにかくもう凝ってしまって、松 竹の肖像画コンクールにだして入選したり、 両親や兄妹の肖像画を描きまくって、縁起で もない!なんて怒られたりね(笑)。 中学を卒業したあと、本当は神奈川工業高 校の図案科にいきたかったんですけど、受験・ に見事失敗しました。 神奈川にある職業訓練 所で塗装工の訓練を四ヵ月ぐらい受けたのち 三菱電機へ就職したんです。夜は横浜工業高 校の定時制へ通っていました。

TA. やはり絵に関する勉強を?

Komatsubara. いや、なぜか全然関係のない電機通 信科でしてね。今考えても何を勉強したのか 覚えてません。何しろ今だにラジオひとつ組 み立てることができないんですから(笑)。で も定時制での四年間というのは、今思えば、 すごく勉強になりましたね。 働きながら学ぶ っていう経験と、学生は、大工さんとか、い ろいろな人がきてるわけですけど、そういう 人たちと接触ができたという面ですね。

TA. 学校を退めましたね。

Komatsubara. そうです。仕事も毎日同じことの繰 り返してもの足りなかったし、ちょうど、そ の頃、新聞に虫プロの募集広告があったんで それで応募してみたんですけど、採用試 験でみごとに落ちました。四十人ぐらいの募 集に千何百人来ていましたね。僕は未経験だ ったし、専門学校も出ていませんでしたから、 そのあとも三、四回受けたけど、みんなダメ でした。

夜中にバイトした頃が いちばん苦しかった

TA. そうしますと、仕事としてのアニメの最初の仕事は?

Komatsubara. 東映動画の分室のようなものが大森 にできまして、そこの募集に応募したら受か ったんです。二十歳ぐらいだったかなその頃。

TA. 入社してまずはじめにやらされたことと いいますと?

Komatsubara. 4ヵ月間は、走りとか歩きとかいう 動きの基本の教材十種類ぐらいを毎月描かさ れました。 東映動画から先生が来ましてね。 その頃は必死でしたよ。とにかく食えるよう にならなくちゃという一心で、朝早く出勤し 掃除したりお茶を沸かして先生を待った ものでした。今の若い人たちには、そういう 精神が足りないような気がしますね。 もっと も今は、仕事もたくさんありますから、一つ のところで断られても、別のところへ行けば いけますからね、あの当時は、「狼少年ケン」 とか「鉄腕アトム」とか二、三本でしたから ね。

TA. はじめての仕事は?

Komatsubara. 東映動画の下請けですから「少年」 ケン」の動画ですよ。今考えると、夜も5時 ぐらいに終っていましたし、徹夜することも なかったし、健康的でしたね。毎日弁当持参 で通っていましたもんね。

TA. そこでは東映以外の仕事は?

Komatsubara. 今のエイケンの「鉄人28号」とか、 「宇宙少年ソラン」、虫プロの「W3」 や 「オ バQ」なんかもやってましたね。

TA. 何年間そこにいらっしゃったのですか?

Komatsubara. そうですね、四、五年ぐらいかな。 ちょうど、そこのプロダクションの企画で、 赤塚不二夫さんの「オソ松くん」をはじめた んですけど、それがブームにも乗って受けま して、会社としても多少蓄えができたんです ね。それでつぎに、アメリカの小さなプロダ クションとの合作もので「ジョニー・サイフ 「アー」というSFの5分ぐらいの短い番組を やったんですけど、これが大赤字で会社もつ ぶれて、僕も、おっぱりだされたかたちにな ってしまったんです。 そのあと、そこの会社の人の紹介で銀座の 朝日フィルムというところで六ヵ月ぐらい、 「巨人の星」の原動画をやったんですけど 給料を貰えなくて、夜中に汐留の駅で荷物下 しのアルバイトをしたりして、今考えてみる といちばん苦しかった時期ですね。 安定して 三菱電機を退社して、両親の猛反対を押 切って、自活するっていって出てきたわけ ですから、家に帰ろうにも帰れませんしね。

TA. その後は?

Komatsubara. やっぱり友達の紹介でハテナ・プロ というところへ入りました。そこは、30人ぐ らいスタッフがいて、東映を主体として「ひ みつのアッコちゃん」「もーれつア太郎」「巨 人の星」「ゲゲゲの鬼太郎」などをやっ てました。 僕は原画で入りまして、 「タイガ ーマスク」を担当したんですけど、 はじめて 二本でまた会社が潰れてしまったんです よ。よくよくついてなかった(笑)。そしてそ れならということでその会社の有志が集まっ て新しい会社をつくろうということになった んですね。それが三つのプロダクションに分 散しましてね。今僕のいるOHプロ、スタジ オ・ジュニオ、スタジオ・メイツの三つにね。 それぞれ麻雀の好きな同士が集ったり、酒呑 み同士が集ってね。

TA. OHプロには?

Komatsubara. もちろん酒呑み集団です(笑)。でも あれから10年過ぎたけど、三つともいまだに 健在なんですよね。

「タイガーマスク」がその後の作品の基盤になった

TA. OHプロでの初仕事は?

Komatsubara. ハテナプロから引き継いだ「タイガ ーマスク」で、僕のはじめての作監の仕事で した。四~六週間に一本の割合でやりました ね。当時OHプロは「タイガーマスク」と「ア タックNO1」を軸にして仕事してました。

TA. そうすると「タイガーマスク」は小松原 さんにとって思い出となる作品になるわけで すね。

Komatsubara. そうですね。まだ作監は早いと思っ ていたんですけど、どういうわけかなってし まいまして・・・・。それと、この作品は、今ま で僕がやってきた作品とは絵柄が全然違った もので、劇画タッチで、動きもオーバーアク ションで映画的だったので、いろいろな面で たいへんでしたからね。

TA. 具体的にいいますと、どのへんですか。

Komatsubara. 当時のテレビアニメは、ほとんど フィックス(カメラ固定)で撮ってましたけ どこの作品では、人物の動きに合わせてカ メラがついていく、いわゆるフォローがふん だんにでてくるわけです。ですから目盛りを 切って撮影したので、少々戸惑いましたね。 それと絵の角度といったものも、従来のもの より、かなり大胆なものを多用しました。ま た内容がプロレスものなので、プロレスの技 も覚えなくちゃならないですしね。よく実際 のプロレスを見にいったものですよ。とにか く番組が終了する頃になって、やっと要領が つかめるようになったほどですから……。

TA. そうしますと「タイガーマスク」がその 後の作品をやる上でも、相当にプラスになっ たということですか?

Komatsubara. そうですね。ちょうど、そのあとの 「キックの鬼」や「デビルマン」の頃から、 サイクルが早くなってきまして、「ゲッター ロボ」や「グレンダイザー」などの、いわゆ るロボット物になるんですけど、ロボット物 なんかでも、どちらかといえば劇画調に近い ですから、そのスケールの大きさとか、おと なしくない絵にする、という面で「タイガー マスク」をやったことが、ずいぶん参考にな っていましたよ。

TA. ロボット物も、はしりの頃ですね。

Komatsubara. ええ、「ゲッターロボ」の場合、そ れより前に「マジンガーZ」がありましたけ ど、「マジンガーZ」は単なるロボットでし だけど、「ゲッターロボ」は、いわゆる合体 もので、そのはしりでした。そのあと超合金 合体もののブームになるわけですからね。で も正直いって、僕はメカものはあまり得意じ ゃないんです。好みからいっても人物のほう が好きだし向いていますね。メカはとにかく 難しいですね。余談ですけど、いま日本のア ニメで戦闘シーンやメカを描かせたら、金田 伊功がいちばん上手いんじゃないかなあ・・・・・・ 彼は若いけど、そりゃあ上手いもんですよ。

TA. 松本零士さんの作品としては、まず「キ ャプテン・ハーロック」があるわけですけど はじめて松本作品に触れたときの印象はどう だったのですか?

Komatsubara. まず、松本さんの作品ていうのは独 特の絵と不思議な雰囲気がありますよね。そ の世界に馴じむことからはじめました。なか なかできませんでしたけどね。僕がそれまで やってきた仕事とは違って神秘的な魅力があ りましたからね。でも生理的にあの人の作品 が好きなんです。ですから「ハーロック」の ときも、まず松本さんのキャラを見て、これ はいいと思って、僕なりにキャラクターをつ くったんですけど、それを松本さん御自身に 見てもらって一発でOKになりました。それ もやっぱり、それまでいろいろな作品をやっ てきたことが、かなりプラスになっているん じゃないかと思いますね。今やっている「が 「んばれ元気」も絵柄が全然違いますし、それ なりに難しいんですよ。

TA. そのあとが、「999」ですね。

Komatsubara. ええ。僕の場合、劇場用がはじめて だったんですね。その前にすでにテレビ放映 がされてましたから。テレビ版が前にあると いうことで、ちょっと意識しちゃいましたね。 まあ、テレビ版からは独立した長編というこ とで、違った感じをだそうという気持はあり ました。 鉄郎なんかは、テレビのものより相 当年令が上っていましたし、メーテルにして もテレビのとは、微妙に違っていたでしょ。 松本さんに見せたら、どちらかというと僕の 描いたメーテルのほうが、松本さん好みだっ て言ってもらいましたけれどね。そのあとテ レビ版の「999」も担当することになった んですけど、今度はテレビ用のメーテルを描 かなくてはいけないんですけど、描くとどう しても前に描いた劇場用のメーテルになって しまうんで困りました。他の人に合わせなく てはいけないので、意識して変えるようにし ましたけれどね。

絵が上手でも芝居が ダメな場合もある

TA. 今までいっしょに仕事をしてきた方で印 象に残っている人は?

Komatsubara. 演出のりんたろうさんとか、美術の 椋尾(篁)さんとか、いろいろな方がいます ね。りんさんは、僕がそれまで会った人には 感じられなかった独得のムードをもっている んですね。演出的な面でも、いろいろ勉強に なりましたしね。感性が豊かなんでしょうね。 いろいろ勉強もしている方だと思いますね。 僕らは絵コンテみればわかりますよね。あの 人は絵が描ける人でしょ。だから絵コンテも きちんと描いてありますし、その一コマ一コ マに彼の感性がにじみでているんですね。 椋尾さんは技術的な面もさることながら、 あの人間性ですね。アニメーターというのは はっきりいって、仕事柄どうしても時間にル ーズになりがちなんですね。僕も含めて(笑) その点、椋尾さんはプロ意識に徹しているっ ていうのか、時間はちゃんと守りますし、仕 事もかなりつっこんできて、いいかげんなこ とはしません。単純なことかもしれませんけ ど、なかなかできないんですよ。そういう面 ですごく尊敬している人です。

TA. そのほかでは?

Komatsubara. 東映の勝間田さんは、バイタリティ があるし、言いたいことをハッキリ言ってく れますから、僕らも延びますし、勉強になる 方だと思いますね。

TA. 作画、あるいは作監の難しさについて話 して下さい。

Komatsubara. まずアニメの場合は、マンガと違っ て他人の描いたキャラを何枚も似せて描き、 かつ動きを加えるということが、いちばん難 しいですね。横を向いた顔、正面を向いた顔 後姿のキャラを統一しなくてはいけませんか らね。作監というのは、たとえば今やってい る「元気」の場合で言えば、五、六のプロダ クションからあがってきた原画を、一枚一枚 見て統一させるために修正しなくてはならな いんです。 かんたんに直せるものならいいけ プロポーションから何から全然違う絵も あるんですね。そういう場合は全面的に描き 直さなくてはなりませんよね。でも一人でや ってますとやっぱり限界があって、メインキ ャラだけは直しますけど、ゲストキャラにつ いてはノーチェックということもありますね。 また、絵が上手であっても、芝居がダメな場 合もありますよね。動きが悪かったり、タイ ミングが悪かったりね。タイミングっていう のは微妙なんですね。一コマ狂うとめちゃく ちゃになっちゃう。だから絵と同時に動きの 修正もしていくんですけど、正直いって今の ペースで全部直すということは不可能ですね。

TA. ご自身のベスト作品は?

Komatsubara. 「タイガーマスク」か「ハーロック」ですね。

TA. 他の人の作品でお好きなものは?

Komatsubara. そうですね。「未来少年コナン」は 好きですね。演出も作画もすぐれています。 話の設定なども、はじめから終りまで一貫し ていて、しっかりしたものになっていますか らすばらしいと思います。

TA. 最後に、これからやってみたい作品の傾 向を聞かせてください。

Komatsubara. 僕は、まだやったことがないんです けど、ギャグ物をぜひやりたいですね。今は ギャグ物も少ないですからね。しゃべりで笑 わせるギャグじゃなくて、動きの中で見せる ギャグをね。キャラクターもストーリーも単 純なヤツでね。そういうのを誰か企画してく れないかな(笑)。

TA. そういう企画が出てくることを期待して います。どうもありがとうございました。

1982

July

Comment [for Arcadia of My Youth, Animage]:

テレビアニメ『宇宙 海賊キ プテン ロック」が53年3月14日 に初放映されて以来、2作の 劇場版『999』をふくめて一貫し てハーロックを描きつづけてきた小松 原一男氏。 もちろん「わが青春のア ルカディア』の作画監督とキャラデ ザインも氏が担当している。 4年半 もの間描いてきたキャラだけに、そ の思い入れもひとしおのはず。周辺 のキ ターもふくめて、氏のハ 口 ク観をインタビューした。ま ずはその出会いから……。

「テレビ版ではじめてハーロックを 手がけたとき、もっていた予備知識 といえば『ヤマト』の松本零士さん の作品であるというぐらいしかあり ませんでした。でも、すんなりとハ ロ クというキャラにとけこめた のをおぼえています。松本さんの絵 は線がやわらかいというか、柔軟性 がある。設定に幅をもたせられるん です。 原作に忠実にするという条件 をおさえたうえで、さらに自分自身 の味を加えられたキャラでした。 製作が進むにつれて、徐々にハー クという人格やその生き方に共 鳴できる部分が多くなってきたので、 それをすぐに作画にいかすことがで きました。ハーロックのみならず、 その周辺のキャラにおいても同じよ うなことがいえます。自分の感覚と キャラが同居できたこと、りんたろ うさんの演出のすばらしさ、また視 聴者にも人気の高かったこともふく めて忘れがたい作品ですね」

55年の第1回アニメ・グランプリ キャラクター部門においてハーロッ クは1位を獲得。作品自身の人気も さることながらハーロックというひ とりの男の生きざまに多くのファン が共鳴したといえる。テレビ版放映 終了後、ハーロックは劇場版『99 9』と『さよなら999』で映画に 登場する。

「劇場版『999』のハーロックは テレビ版にくらべて、多少、おとな びた感じになりました。ハーロック のイメージとしてストイッ イックな、動 作に重みのある演技が定着したこと、 主人公でなかったので寡黙だったこ とによるのでしょうが、それだけで なく、長いあいだ同じキャラを描き つづけてくると、そのキャラが自分 の中で少しずつ成長してくるんです。 『さよなら 999』で、いっそう その傾向が強まったようです」 「今度の作品では若いころ(24歳ぐら い)のハー ックを描いていますが、 ハーロックは両目を描くとえらく若 若しくなってしまう。というのは両 目をみせるために前髪をあげなけれ ばならないからです。また、服装 まっ赤でせりふも血気にはやった感 じ。青年ハーロックを描くのだから これでいいのですが、ハーロックは あくまでハーロック、若いからとい って軽々しい男ではないんです。 そ の描き方がむずかしい。で、それ以 上に苦心しているのは、おなじみの コスチュームを着込み、アルカディ ア号に乗ったときのハーロックと若 いハーロックとの心情の違いを自然 にみせることです。黒マントに眼帯 をつけた、いわば本来の姿の ハーロックとい うのはやはり悠然とかまえていたほ うが絵になる。むこうみずともいえ るアクティブなキャラから、情熱を 内に秘めたタイプに移行させる過程 を絵の上でどう処理するか、むずか しい問題です。ぼくとしては、やは り長い間親しんできた黒マントのハ ーロックが描きやすい。 手の内に入ったキャラ という気がしてい るので。今後も 機会があれば 描きつづけた いですね」

Short Q&A [for Arcadia of My Youth, Animedia]:

AN. 小松原さん自身、新しいキャラクタ ーをデザインされましたか。

Komatsubara. いえ、もともとは松本さんの原 図がありますから、それを整理して、ア ニメ用にするといったところですね。

AN. 小松原さんの持っている『アルカデ ィア』のイメージは。

Komatsubara. やはり劇場用ということで、 量感に注意しています。女性のキャラな ら、服や髪を色トレスでとか、ハーロッ クには三段の影をつけるとかのくふうを しています。

AN. テレビ版の『ハーロック』から現在 までの間に、イメージは変わりましたか。

Komatsubara. 絵の感じは変わりましたね。 ハーロックも、だんだん男っぽく…!?

AN. 絵が変わったといいますと……。

Komatsubara. テレビの『ハーロック』から、 6年ぐらいたちますから、僕の絵柄も変 わってくるわけです。だんだん男っぽい 感じになってきていると思いますね。 フ オルムのとり方とか、線の扱い方も変え ているつもりです。

AN. 小松原さんのハーロック感は。

Komatsubara. 自分の意志を貫くという強い面 と、優しさを持った人物ですね。そのへ んが、ハーロックを厚みのあるキャラに しているんだと思います。厳しさと優し さのあるキャラですね。

トチローとハーロックを並べてみると?

AN. 今回は、新しいキャラとしてマーヤ が出てくるんですが、 マーヤについては どのような感じを出そうとお考えですか。

Komatsubara. それは、松本さんからも言われ たんですが、日常のシーンはメーテルと 同じようでいいということでしたね。た だ、地下放送をする時のマーヤは、かな り、りりしく、表情も変化させています。

AN. もうひとり、大山トチローがいます が、彼については、どんなイメージで描 かれるのですか。

Komatsubara. 意外と難しいキャラなんですよ。 トチローは。絵柄的に、あまりガニマタ にしてしまうと、ハーロックとあわない し、目鏡をかけている時は目の表情が見 えない レイアウトなどで、おかしく ないようにしています。ハーロックとト チローは、できるだけ並べないようにと か考えないと、頭でっかちのトチローが できてしまう(笑)。

AN.『アルカディア』のキャラの中で、 いちばん描きやすいのは誰ですか。

Komatsubara. やはり、ハーロックですね。し かし、若い頃の両眼のあるハーロックは 難しい。目を見せると、自然と髪が短く なって、ハーロックらしくないんですね。

松本さんはとても優しい性格だと思う

AN. 松本アニメをやってこられて、その 世界観のイメージというの は、どのようにお考えで すか。

Komatsubara. 松本さんの作品 というのは、『ハーロック』 が初めてなんです。しか し、雑誌のマンガを見た 時、生理的に好きだなと思 う部分があるんですね。

AN. 小松原さん自身が持っていると ころと、共通しているものがある?

Komatsubara. そうかもしれません。たとえば 松本さんの絵というのは、とてもやわら かいでしょう。メカを描いても、定規を 使わない あの線がすごく好きなんで すね。そういう点から、松本さんという 人は、すごく優しい性格の方だと思って いるんです。ですから、僕はその線を、 できるだけ生かして描こうとしています。

AN. 松本アニメにかかわる以前と、それ 以後では、どこか変化のあったところは ありますか。

Komatsubara. もちろんです。それまでは、S Fといってもロボットものでしたから、 ぜんぜん世界が違うわけです。イメージ のふくらみ方が、違いますよね。

火の河のシーンをぜひ見てください

AN. 今回の『アルカディア』で、苦労さ れたカットはありますか。

Komatsubara. 二重太陽 プロミネンスの火 の河ですね。あのイメージは、非常に出 しにくかった。背景も大変ですし、原画 も枚数がかかりますからね。

AN. ハーロックとゾルが登場するシーン などは、芝居の部分で大変だったのでは と思うのですが。

Komatsubara. それはありますね。ふたりの芝 居で見せるシーンですから……。それと まわりに対象になる物が少くて、変化が つけづらいということもありました。

AN. 絵として難しいのは、どういうとこ ろですか。

Komatsubara. 松本さんのアニメの場合は、や はり女性ですね。線一本でも、イメージ が変わりますから、線そのものに色気が ないとダメなんですよ。

AN. 映画そのものの見どころを教えてください。

Komatsubara. 勝間田具治さんが監督なんです が、新しい手法が取り入れられて、それ が松本作品にピッタリなんです。いわば、 芸術と現実の合体ですね。

AN. 小松原さんのおすすめシーンは。

Komatsubara. とにかく“カッコいい”ところ を見てください(笑)。あとは、メカニッ クですね。宇宙に飛び出すシーンなどを 楽しみにしていてください。

AN. ありがとうございました。

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