Haruka Takachiho

1981

October

Interview [w/Masaki Tsuji, “Anime Free Talk”, My Anime]:

アニメの醍醐味は コンテ切り!

「クラッシャージョウ」でお馴染のSF 界の新星、高千穂氏が全国数千万SF アニメファンになりかわり、斯界の第一 人者に直撃インタビュー。 トップバッターは、郷里名古屋の大 先輩でもあるアニメ脚本の大御所中の 大御所、辻真先氏に御登場願った・・・!

時報から 芸術祭まで
アニメの醍醐味は コンテ切り!

「クラッシャージョウ」でお馴染のSF 界の新星、高千穂氏が全国数千万SF アニメファンになりかわり、斯界の第一 人者に直撃インタビュー。 トップバッターは、郷里名古屋の大 先輩でもあるアニメ脚本の大御所中の 大御所、辻真先氏に御登場願った・・・!

時報から 芸術祭まで

Takachiho. 辻さんはNHKへは正式 に入社なさったんですか?

Tsuji. ええ、名古屋の方から入った んですがね。2000人の中で4人 だけ合格というと、ものすごくカッ コイイんだけど、2000人中、テ レビをやりたいと言ったのは僕一人 で、フリーパス同然だったんです。

Takachiho. 名古屋というと、あのテ レビ塔の下で。

Tsuji. いや、あのころはまだ塔はな かった。柱が建ちだしたころじゃな いですか。昭和28年の秋のことです。 から。

Takachiho. そのころ、僕はまだ2歳 ですよ。

Tsuji. ほんと、そういうことになり ますか。 29年4月に、NHKの名古屋局が テレビ電波を流しだしたんです。

Takachiho. 民放は?

Tsuji. 日本テレビが東京にあるだけ でしたね。

Takachiho. の時期、うちにはもう テレビがあったんです。

Tsuji. はーっ、すごいですね。

Takachiho. 親父の話だと、ま、親父 の話は冗談が多いから信用できない かもしれないけど、27年に25万円で 買ったと……。

Tsuji. しかし、27年はまだ放送して ないんじゃないかな

Takachiho. ええ、だからイロハのイ の字が映ったなどと……。

Tsuji. ああ、それは映ったでしょう。

Takachiho. それはアメリカのMPが 買えといったもので、戸のついたア メリカ製でした。

Tsuji. なるほど、お仏壇みたいなね。

Takachiho. うちは洋服屋だったの で、よくGIが服を作りにきたん です。

Tsuji. 洋服屋さんてどのへん?

Takachiho. えーと、中区のど真ン中、 仲ノ町。 グリーンビルってご存知ですか、 東宝のむかいにあった。あのグリー ンビルの横です。

Tsuji. ほう、いい所ですね。名古屋 の目抜き通りじゃないですか。

Takachiho. ええ。 で、NHKに入社されて……。

Tsuji. なんでもかんでも、それこそ 時報から芸術祭まで手がけました。

Takachiho. 名古屋局の制作ってあっ たんですか?

Tsuji. いや、まだ無いんです。素人 のあさはかさで、名古屋で入社した からてっきり名古屋にいられると思 ったら、実はこっちではまだ作っと らんから、おまえ東京へ行けって。 半日で転勤。

Takachiho. それは大学を出られてす ぐですね。役職はなんだったのです か。

Tsuji. えーと、芸能局の……、はて 下はなんだろうな。なにもなかった ですよ。

Takachiho. ディレクターとか?

Tsuji. ディレクターって、まだ存在 しないんですよ。プロデューサーと いうものがありました。

Takachiho. NHKをやめたのは?

Tsuji. 3年の8月ですから、8年と 4カ月いたことですね。 一応ちゃんと、1時間ドラマなん かやりました。

Takachiho. それはディレクターとし ですか

Tsuji. いえ、プロデューサー・ディ レクターとしてです。 あのころは我 々が、企画、演出、予算、役者のめ んどうをみていたんです。 小さな番組、たとえば「バス通り 「裏」なんかになると、加えて、お弁 当、お茶、タクシーのめんどうまで みなくちゃならなかった。

Takachiho. 『マイアニメ』の読者は「バ ス通り裏」って聞いても、わからな いでしょうね。

Tsuji. そりゃ、知らないでしょう。 しいていえば十朱幸代とか、岩下志 麻が出演していて、十朱が15歳、岩 下が17歳といえば少しはわかるでし ょうかね。 そのころ「不思議な少年」 なんか やりました。SFのはしり。あれが 35~36年だったと思います。

Takachiho. NHKでは、それが皮切 りだったんですか。 今、延々と続く 「時をかける少女」とか、ああいう ドラマの。

Tsuji. ええ。そりゃSF関係なんて あれが最初だし、ましてタイムパラ ドックスなんていうのは、まるで初 めてだろうと思います。

Takachiho. あれは手塚さんのマンガ が先にあったんですか。

Tsuji. いえ、こちらが先生の所へ持 り込んだんです。「新世界ルルー」をや りたかったんですよ。でも、それじ ちょっとおそすぎたので。

Takachiho. 覚えてますよ。四次元の 世界だといって、ネガがパッと映る の。 アニメとのかかわりはこの「不思 議な少年」が初めてですか。

Tsuji. そうです。手塚先生を引っぱ り出したかかわりですね。

Takachiho. それで、シナリオを書か ないかということに?

Tsuji. ええ。でも、手塚先生の作品 の前に、平井和正さんのを。

Takachiho. そうすると、それは「エ イトマン」。

Tsuji. そうです。これは「不思議な 少年」の思い出話をSFマガジンに 投稿したら、平井さんから返事をい ただいて、一度会いたいと。それで。

Takachiho. NHKはどうしてやめた んですか。

Tsuji. たまたま横浜に家を建ててい ある時に、名古屋へ転勤しろと言われ まして、それで、家をしょってはい けないから、ま、やめさせてもらっ わけです。

アニメは全部 手がけたかった

Tsuji. 僕はもともと、マンガをやり たかったんですよ。で、小学校の3 年か4年でコマまんがを一生懸命に 描いて、正式の絵描きさんとこへ行 ったんですよ。そしたらケチョンパ で、それで挫折してそれっきりや めました。

Takachiho. そうするとSF作家にな れるんですよ(笑い)。 テレビアニメは「エイトマン」か 乱立の時代に入っていくわけです が、月にどれくらい書いていたので すか。

Tsuji. あのころはアニメがそんなに ふえるとは思わず、できる限り自分 が手がけようと思っていたので・・・・・・。

Takachiho. それはまた、えらいタイ ヘンなことで。

Tsuji. だから「エイトマン」「スーパ ジェッター」「宇宙少年ソラン」「遊 「星少年パピー」とやってまして、つ いにバンザイしたのが「宇宙エース」 なんですよ。 これが竜の子さんから電話がかか った時には、アトムを書いて3時に もうろう状態で、ハッと気づいたら ソラン、ソランと書いてあるのでび つくりぎょうてんしたような事態が ありましてね。こりゃダメだって大 反省して「宇宙エース」を断らせて いただきました。 あれが初めてです、仕事をおりた のは本当に申し訳なかったと思い ます。 月に何本くらい持っていたかは、 ちょっとわからないですね。

Takachiho. リストを作ったらすごい それだけいろいろアニメをやって こられて、どれが一番かわいいです か。

Tsuji. あっ、かわいいという質問は とてもいいですね。 よく、どれが一番好きか、とか言 われるけど、かわいいとなると、で きの悪い子ほどかわいいというのも ありますでしょ。 一生懸命にやった んだけど、恵まれなかったものとか。 そうすると昔のNHKでは「不思 議な少年」が、まさにそれだけど、 アニメでは「デビルマン」が、2、 3本を除いて全部自分でやってるか ら、良くも悪くも自分が一番でてい るということで。 育千穂 シリーズ構成をなさった 作品というのは、なんでしょう?

Tsuji. 僕の場合、企画書を頭の2、 3本頼まれて、あとはずっとおざし きがかからないというスタイルなので…。

Takachiho. それはなにか理由がある んでしょうか。

Tsuji. そう、あいつ忙しそうだとか、 他の人より多少ランク上ギャラが高 いとか。番組によっては、そこそこ の視聴率を取ったから、あいつに頼 む必要ないとか、ま、いろいろね。

Takachiho. 「Drスランプ」は、まだ だいじょうぶですか。

Tsuji. いえ、東映動画さんは他の新 番組がいくつかあるでしょ。「Drス ランプ」も頭何本かで、今はほとん ど御注文いただいてませんね。

Takachiho. 「Drスランプ」で、僕がだか 出演している作品もあるんですよ。

Tsuji. えっ、ああ、タカチホ、タカ チホってね。 このあいだ、だれかが いってましたよ。これ高千穂さんの ことだろうかって。

Takachiho. 似顔絵になってて、もう 二度出てるんです。

スポンサー、金は 出しても口出すな

Takachiho. 昨今のアニメはどうです か。昔の方が、必死さがあったと思 うのですが。

Tsuji. 昔は、スポンサーや視聴者、 テレビ局のそれぞれの思惑をくぐり ぬけて、自分はこういう作品を作り たいんだというものを作ろうとする 必死さがありましたね。今は、それ が少なくなっているような・・・・・・。 「エイトマン」にしても「鉄腕アト ム」にしても、とにかく厳しかった んですよ。 平井和正と三輪プロデ ューサーなんて、一方の鬼ですか らね。

Takachiho. 特に平井さんは。

Tsuji. ええ。でも、おもしろかった ですよ。彼が口角泡をとばしてスタ ッフとやりあってるのを聞いてて、 こちらはずいぶんためになりました からね。

Takachiho. 今、そういうのが無いと ころがありますね。

Tsuji. あります。ナアナアでわかっ ちゃう。 ま、アニメもこれだけブームにな って市民権を得ると、偉い人たち、 つまりスポンサーが親身になって見 るようになる。それはありがたいこ となんですが、でも一方では困った こともおこりますね。それだけ、作 品にいろいろ注文がつけられますも の彼等のモノサシで計った寸法の 注文がね。

Takachiho. これは人から聞いた話で すが、「クムクム」のスポンサーの社 長は、あまりの低視聴率に、作品を持 ってこさせて見たところ、こんなに スバラシイ作品の視聴率が悪いのは 宣伝が悪いせいだと言ったとか。

Tsuji. 「クムクム」なら、ありそうな 話ですね。 「エイトマン」のスポンサーの社長 は、我々と会うとひたすら握手をた まわって、視聴率が15%の時は20% にと、20%の時には30%にしてくだ さいというだけでした。これはこれ で、スポンサーとして正しい態度だ と思うんです。内容に関しては一切 何もいわないんですから。

Takachiho. でも、視聴率だけでいわ れるのは、作る方はシャクですよ。

Tsuji. 私のように昔のNHKにいた 人間は、数字の方がよっぽどいいん です。 今のNHKはそういうことも ないのですが、昔は、たとえばある 番組など高視聴率をあげていたにも かかわらず、内容がNHKらしくな いと叱られたり、それじゃやめると 言えば、それは困るから続けろって いうかんじですから。 数字でわりき ってくれた方が、よほどいい。 ところで、今のようにアニメの内 容がワンパターンのマンネリになる と、視聴率も、そうはとれなくなっ てきますね。

Takachiho. なにかというとロボット もので。でも僕は、巨大ロボットも のっていうの、わりあい好きなんで すけど、まずいのはストーリーの安 直化、パターン化ですね。 何話までいけばロボットのニセ物 が出てくるとか、そういうことが作 品をどんどんスポイルして、「ガンダ ム」をロボットものとよばれることに 屈辱を感じる世代が生まれてくる。 こういったことは僕は、ちょっとよ くないと思うんですが。

Tsuji. そうね、ワンパターンでもこ れだけ数が多くなると、忙しいスタ ッフなど見てないでしょ。だから自 分ではオリジナリティーと思いこん じゃうことになる。 ま、「サザエさん」なんかはマンネ リの極致なんですが、あれは逆にマ ンネリズムでやっていこうと開きな おっているんですよ。 だからSFロボットものも変にこ って、自分だけがわかっておもしろ がってて視聴者を離れさせてしまう というのじゃなく、マンネリでいい から、似たようなものでも、ある一 点は絶対のオリジナリティーを、プ ライドを持って入れてくれれば、あ はむしろ開きなおっていいと思う んですよ。 テレビの場合は特に、全編これマ ンネリというのはやらない方がいい。 時代劇の手をSFに使うとか、そ の逆もまた真なりで、いろいろ方法 はありますよ。

Takachiho. 小池一夫さんは「ゴルゴ 13」と「子連れ狼」で、同じストーリ がありますものね。ただ、もう、 ああいうことができればりっぱなも のですよね。

Tsuji. ええ。強い奴がしてやられた かと思うと反撃に転じる 「ターザン の逆襲」スタイルが一番うけますっ て、小池さんがおっしゃってました けど、僕もそう思います。 こういったパターン化でも〝悪し き類型〟と〝良き典型”というのが あるから、そこのところさえちゃん 押さえてもらえれば、マンネリど んどんけっこう。でも、マンネリと いわれて怒る程度のものではいかん と思う。

Takachiho. そうそう、華があるとい うかんじにね。水戸黄門が印籠を出 すシーンとか、遠山の金さんが桜吹 雪を見せるシーンとか、ああいう華 があるかたちで番組を終了させる。 僕は、水戸黄門をおきかえた「ダ イオージャ」ね、実にいいと思うん です。

Tsuji. うーん、あれね。僕も感服し た。

Takachiho. 僕、あとアニメに「桃太 郎侍」をほしいんですけど。

Tsuji. (笑い)。 ところで今度、「水戸黄門」をアニ メでやるでしょう、こうなっちゃう とね。

Takachiho. しらけたりしますね。

Tsuji. ええ。

ライターの必須条 件は教養呂教養

Takachiho. 辻さんは、若手シナリオ 作家の育成をしてらっしゃいますね。

Tsuji. 放送作家組合としても、食べ ていかなけりゃならない。そこで教 育事業として始めたわけです。 あれが始まった時には、同業者か ら、なにも商売仇を自分で作らなく てもと、笑われまして。そりや、確 かにそうですよね。 もうかなり、おびやかされていま すけど。

Takachiho. それは頼もしいですね。 僕は、アニメ界には優秀なライター が少なすぎる気がするんです。優秀 というのは頭の良し悪しではなく、 教養のあるなし。 小松左京さんなどはスゴイ。ま、 あそこまでいくと巨大すぎるけど、 教養の無さが作品を乱しているとい ラムードもあるわけで。

Tsuji. うん。デモシカって、ひとこ よく言われましたけど、他にやる ことがないからアニメのシナリオで 書くかとか、アニメのシナリオし か書かせてもらえないから、という のでは。 井上ひさしさんと一緒に書いたの は「忍者ハットリ君」が初めてだっ たんですが、あの頃のシナリオライ ターというのは、みんな巨大という か、鋭い感じがしましたね。井上さん の場合は、ムムッできる、という感 じでね。

Takachiho. 井上さんは、教養すごい でしょ。

Tsuji. すごいですね。 その、見えな いものがね。なにかヘラヘラフラフ ラしていて、全然そんな感じがしな いけど。 で、アニメの世界にも、表側だけ でなく裏側に、いろいろなバック・ グラウンド・ミュージックの流れて らっしゃる人がたくさんいてほしい ですね。

Takachiho. アニメーターには、すご 教養のある人が多いんですけどね。 最も教養があるだろうと思われるシ ナリオライターの人たちが、スポイ ルされてる感じで。

Tsuji. それは、どうしてだろうな。 シナリオの分野というのは、一段遅 れている。かろうじて映画のライタ ーなんかが多少よくなったと思った ら、映画そのものはアウトになって きているし。

Takachiho. コンテで直されすぎる、 というのがあると思うんですよ。

Tsuji. あれもしかし、時間がなけれ ばどうにもならないことになるんで すね。 ある局でね、私が書いたシナリオ に注文かなにかあるだろうと思って だけど、なにもいってこない。あと でプロデューサーに聞いたら、偉い ライターになにか言うと恐いからっ て、なにも言わなかったそうなんです が、じゃあ頭から一字一句、私が書 いた通りにやったからといっても、 頭からコンテ切っていって、終わり の方は秒数が足りないからと、なく なってるんです。

Takachiho. (笑い)。

Tsuji. これには驚きました。だから もう、オチが無いんですよね。僕は それよりは、直す人の方がまだ好感 を持てますよ。 ま、僕自身がプロデューサー・デ ィレクターだったとき、メチャクチ に直しましたけどね。

Takachiho. 僕も今度シナリオを書い たんですがね、それだってコンテを 切っているある人が大幅に直します が、それがまた実に絶妙に直されて いて、おれはこんないいセリフを書 いたのかと、自分で書いたシナリオ のコピーを見てみると、そんなセリ フはどこにも無いわけで。やっぱり おれの才能ではなかったか、と思っ たりして。

Tsuji. いやあ、でもシナリオライタ ーにとっては、ずるく考えれば、上 手に直してくれるならその方がいい んですよ。だけども下手というか、 わからずに直されたら、これはもう 怒り心頭に発しますもの。 演出なんかは、本来コンテなども 当然切らなければいけないのに、今 は絵コンテだけって別に独立しちゃ うでしょ。それだと絵コンテ切る人 って、わびしかろうと思うんですよ ね。あるいは、演出の人が絵コンテ 切らずに演出だけっていうのも、こ れはまたつらいなあって。

Takachiho. いや、今演出っていうの は、秒数はかって、カットだしをす る人をいうんで、だからカットだし だけするのは、それはもちろんつま らないでしょう。

Tsuji. そりゃ、そうですよね。 僕はやっぱり、演出していて絵コ ンテ切っているのが一番楽しかった もんです。ああ、絵コンテじゃない や。僕は絵が描けないから、ただの コンテですけど。あんな楽しいもの なかったですね。

Takachiho. 長浜さんなんか、喜んで 描いてたじゃないですか。

Tsuji. あっ、そうだそうだ。

Takachiho. やっぱり絵コンテっての は一番いいですよね。ダイナミック で楽しめるところなんか。

Tsuji. いいですよね。しかし実写の 段になると、役者さんが自分のコン テ通りに歩いてくれないんですよね。 いわゆる大役者なんかになると、な んで俺そこで立つのってなこと う から。そうするとまた、最初からや り直しになっちゃう。特に、犬や猫、 子供なんてのはどうしようもないん で。その点、アニメのコンテは楽し いですよ。

Takachiho. そりや、こちらの思う通 りになるから。 こんなやりがいのあ るのはね。

Tsuji. ええ。

Takachiho. だから結局、コンテ作家 がそれなりのやり方でやってしまう と、シナリオ作家ははじき出される わけですね。

Tsuji. 僕が比較的長くやってる「サ 「ザエさん」は、プロデューサーがう るさくて、コンテやなにか全部に口 出ししてきてね、だからわりあい脚 本を中心にしていますよ。それから 「一休さん」の場合も、チーフディ レクターと直談判をしたりしてます から、「サザエさん」と「一休さん」 の場合は、コンテの段階でメチャク チャになっちゃうなんてことは、そ んなにないんですよ。

Takachiho. なるほど。でも大方のも のは、にわとりが先か卵が先かで、 シナリオがひどいからコンテががん ばるのか、コンテが直しすぎるから スポイルされるのか、わからないと ころがありますね。まあ、僕が見た 限りでは、あのシナリオではコンテ ががんばらざるを得ないなあ、とい うのが多かった気がします

Tsuji. しかし、コンテで直されるん だったらシナリオはいいかげんに、 というなら、シナリオライターの自 殺行為ですしね。むしろ、コンテで 直そうと思っても直せないというく らいのものを書かなければ。

Takachiho. 野田さんとフジテレビで エネルギー関係の番組を作った時、 星新一さんのショート・ショートを 一本絵物語にしたんですが、長いの で切ろうとしたけど切れなくて、全 部流しましたよ。

Tsuji. そうでしょう。そういうのが 名人芸というのでしょうね。はまる べきところにはまっていて、ぬきさ しならないという。こんちくしょう というような原作に、ごくまれにぶ つかると、本当にああーって。

Takachiho. それ、わかるんですよね。 それだけのアイデアが、小説だとい くら、シナリオだといくらっていう 小説へいっちゃう。

Tsuji. ああもう、それを考えたらそ れこそ、アニメはおろかテレビも冗 談じゃないということになるわけで すよ。

SFアニメに 銭形平次?!

Takachiho. シナリオライターの待遇 の問題がちゃんとして、もっと毅然 とNGを出せるプロデューサーがい れば、今のアニメ界ももう少しなん とかなるのに。 とにかく、腹にすえかねるのも多 いんですから。たとえばSF。SF がアニメになっている例っていうの は、近年ゼロに近い。

Tsuji. だから、あれをSFと思われ まがいというと失礼だ け ど、僕はSF的とかSFに準ずると かと言ってますが、あれを入り口に してSFに入ってくれる方向もある と思うんです。

Takachiho. 、あれでも完全に満足 できてしまうということも…..。

Tsuji. なまじよくできてるからね。

Takachiho. そうなんです。

Tsuji. しかし、本当の意味でのSF というのは、テレビやなんかでは非 常に作りにくい んですがね。 ないかと思う

Takachiho. そうですね。「キャプテン・ フューチャー」では、大分苦労され たんじゃないですか。

Tsuji. あれ、なまじ一生懸命良心的 に作るから。あれこそ逆に開きなお って、非良心的に紙芝居万才という かんじでやったら、おもしろかった と思いますよ。

Takachiho. そうすれば、もっとウケ たでしょうね。「未来少年コナン」の ように作るといいんですけど。

Tsuji. あれはもう、マイッタ、マイ ッタです。 僕は、SFで捕物帖みたいなのを やりたいなあ。「銭形平次」 やったっ ていいんですよね。

Takachiho. 「桃太郎侍」だってね(笑い)。

Tsuji. (笑い)そうです、そうです。

Takachiho. 、なんとかそういった あたりのリーダーシップを、辻さん に期待しているわけなんですがね。

Tsuji. ウーン、これだけアニメがブ ームになってしまうと。僕は、次に ブームになる、ブームを作るという 方に行きたいくちですんでねえ。 それこそ、高千穂さん、あなたが おやりになれば。シナリオも書いた ことだし。

Takachiho. いや、僕には、もちはも ち屋というのがありまして。シナリ オも、たぶん二度と書くことはない でしょう。

Tsuji. さんが、こうこうこういう企画 これこれのスタッフでやりたいか と、スポンサーを見つければなん て思ってるんですが。そういうこと、 組織的に辻さんがやりやすいから。

Tsuji. ああ、そういうことならね。 30分の連続ものと思っていたので。 スペシャルなんかワクがふえたんだ から、可能性もふえたわけで、それ ならやりたいと思うものが二つほど あります。 しかし、自分の見たいアニメがふ えてほしいなあ。最近すっかり見な くなっちゃったから。これでアニメ のシナリオを書いてていいんだろう か。でも、テレビドラマやってる時 だってテレビは持っていなかったん だし。まあ、いいよね。

Takachiho. ええ、僕も似たようなも のですよ。

Tsuji. ああそうだ。そういうテレビ の情報は、アニメ雑誌を見て収集し ましょう。

November

Interview [w/Yōichi Kotabe, “Anime Free Talk”, My Anime]:

日本画をやって、 アニメ界に入る・・・

Takachiho. お名前を初めて見たのは TVの「アルプスの少女ハイジ」で でした。

Kotabe. そうですか。あの時はキ ャラクターデザインというか、作画 監督でしたね。

Takachiho. 私、あの名作シリーズの 大ファンでして、マルコ少年とか…。 それで、その制作に携わった方とお 話ししたいということで、今日、そ の願いが叶って、とてもうれしいで す。 まず、お生まれになったのはい つでしょうか?

Kotabe. 昭和十一年、台湾で生ま れ、終戦後引き揚げてきました。

Takachiho. それで、アニメのほうに はどういうきっかけで..?

Kotabe. 引き揚げてきた頃は、 わゆる何もない時代でしたから、親 戚をたよって日本中をぐるぐる回っ ていたわけですよ。そう、小学校三 年生ぐらいの頃ですか、茨城県の日 立市にいく時に、ちょうど学校の引 率で初めて見たのがディズニーの作 品だったんです。 「白雪姫」とか、 それで具体的に漫画映画というもの を意識した。それと日本の・・・・・・。

Takachiho. 「桃太郎・海の荒鷲」で すか?

Kotabe. それは台湾の頃に見てた んですよ。でも、実際に日立市で同 じ頃に見たのは、政岡憲三さんの短 編で「くもとちゅーりっぷ」。あれな んか、さすがに印象的というか、 近も見たんですが、いいですね。す ばらしい……。

Takachiho. そうですね。それで、そ の後は?

Kotabe. とにかく絵が好きという ことで、東京芸大の日本画に入りま した。だから、なんで今、漫画なん かやっているんだろうという感じな んですよ(笑い)。

Takachiho. そうすると、大学へ進ま れる時には、アニメーションをやろ うという意識で行かれたわけじゃな かったんですね。

Kotabe. いや、こういう仕事もあ るのかと、だんだんそういった気持 ちも募ってきたわけなんですよ。

Takachiho. 当時、アニメーションの 仕事は、まだそんなに一般的ではな かったんでしょ?

Kotabe. 違いますね。こういう仕 事をやるにはどうすればいいのか、 ほんとアメリカに渡ってディズニー に聞かなきゃいけないのかと、真剣 に考えましたね。 ま、漫画の絵を写 したりは好きでやってましたけど。

Takachiho. 手塚治虫)さんが「フ ィルムは生きている」を出版された のは、その頃じゃなかったかと思う んですけど、あれはごらんになりま したか?

Kotabe. あっ、読みました、読み ました。手塚さんのものは好きでし たから、だいぶ読みましたよ。 で、アニメーションというのがは じめてわかったのが「白蛇伝」 れが新聞の広告とか映画の雑誌に出 たんですよね。日本でもアニメをや ってるというんで、びっくりしちゃ ってね、それで落ちつかなくなり・・・。

Takachiho. すぐに行かれたわけです か?

Kotabe. すぐというわけじゃなか ったんですが、就職シーズンで求人 票が貼りだされていまして、その中 にあったんですよ、東映動画が

Takachiho. で、これ幸いと。

Kotabe. ええ。でも、実際の現場 を見せられたら、どうだったか。 業とか給料とか……(笑い)。

最初の仕事は猿飛 佐助の消える場面

Takachiho. やっぱり”動く”という ことが魅力でしたか?

Kotabe. やっぱりそうですね。考 えてみると、小さい頃から動きのあ るものとか、それが基本にあったみ たいですね。

Takachiho. 動くということは病みつ きになるみたいですね。

Kotabe. ま、そこが魅力でもあり、 危険なところでもあるんですよ、ア ニメーションというのは。いろんな ことが表現できるし、動きのおもし ろさに、つい引きずりこまれてしま うということですね。

Takachiho. さっきの話に戻りますが、 東映はすぐに……?

Kotabe. その当時は就職が困難だ ったでしょう。だから、クラスメー トを誘って、みんなで受けようと。 そうしたら、なんと受かったのはそ っちのほうで、実は僕が落っこっち やって、ま、がっかりしました。と ころが、何ヵ月か後に、第二次募集 があり、それで入ったわけなんです よ。東映も、これから前進、前進と いう最高に盛りあがった時期だった んですね。だから、動画部門にも、 三十人以上入ったんじゃないかな。

Takachiho. 東映の大躍進時代に入っ たわけですね。それで最初の仕事は なんだったんですか?

Kotabe. 入社して養成期間が三カ 月ぐらいあり、はじめて本物の動画 をやったわけ。「猿飛佐助」をやり ました。それも最後のほうをちょこ っと。

Takachiho. それは〝中割り”にあた るわけですか?

Kotabe. もちろん、そうです。 映はその頃、原画が終わった後、第 二原画というところに移して、ラフ 原画をちゃんとトレースし、それで その間を埋めるということをしてい ました。で、僕が最初にやったのは 佐助がドロロンと消えたり、煙みた いな姿になったりというところです。

Takachiho. それが映画になってから、 ちゃんと動くのを見たとき、やっぱ り気持ちよかったんでしょう。

Kotabe. ええ、はじめてですから 感激しましたよ。

Takachiho. 待遇なんかは、その当時 どうでしたか?

Kotabe. そんなによくなかったで すね。ふつうの初任給の平均よりは 下がっていましたから。

Takachiho. 東映動画では何本ぐらい 手がけられたんですか?

Kotabe. 「猿飛佐助」をやってから、 「アリババと四十匹の盗賊」まで。

Takachiho. 動物を使ったやつですね。

Kotabe. ええ、猫だとかが出てくる..。

Takachiho. 動画から原画に移られた のはいつごろなんですか?

Kotabe. 「わんわん忠臣蔵」から です。 はじめて原画を任せられました。

Takachiho.  あ、そうですか。僕が確 実に憶えている、見に行った映画と いうことになりますが、動きがすご くよかったことを覚えています。そ の後は?

Kotabe. いわゆる合理化で、作品 的にも盛りあがりがなくなるという か、沈滞気味だったんですね。自分 のまわりでも大塚康生)さんなど、 力のある人は出ていっちゃう…。 作 品の質は落ちている、そんなことで 悩んだりしたんですよ。

Takachiho. TVのほうは、その間、 全然おやりにならなかったのですか。

Kotabe. いや、月岡(貞夫)くん がやっていた「狼少年ケン」なんか を手伝ってね。虫プロの「鉄腕アト ム」なんかもやりました。 その時、 はじめて三コマどりを見ました。

Takachiho. 劇場用だったら、ニコマ 以上だとさびしくなりませんか?

Kotabe. でも、「わんぱく王子の 大蛇退治」なんか、火の神、火山が 爆発するところでは、四コマや六コ マどりをしたんですよ。「安寿と厨子 王」なんかでも、家がくずれるとこ ろはそうですね。その時、これでも 見せられるんだなあと思いましたね。 ただ、ふつうの動きに三コマどりを 使うというのにはびっくりし、とま どいましたけど。

Takachiho. それを月岡さんが仕切っ ていたと……。

Kotabe. そうです。それでTVっ て、こんなに手を抜いてもいいのか と(笑い)。でも、ただ手を抜くんじ やなく、効果とかポーズを考えなき ゃいけない……。

Takachiho. TVは顔のアップが中心 ですからね。全身入れると見えませ んから……。

Kotabe. まっ、そういうことをだ んだん発見していきますね。TVC や、こまかいことをやっても効果が でないとか。そんなことで一度、T V専門にやったのが「風のフジ丸」。 楠部(大吉郎)さんが始めた関係で、 そっちの班に入ったんです。サブチ ーフという肩書きで。

「パンダコパンダ」 は、ピッピの世界

Takachiho. ところで、東映を出られ るきっかけになったのは、どういう 事情からだったんでしょうか?

Kotabe. 具体的には大塚さんがや らなきゃいけなかった「空飛ぶ幽霊 船」を、彼が出ていってしまったの で、僕が作画監督をやらなければな らなくなった。ちょうどその作画の スタッフも、そのまま引きついでや ることになったんですよ。それで、 その後、「アリババと四十匹の盗賊」 で自分の気持ちが落ちこんでいる時 に、大塚さんと楠部さんから、「長 くつ下のピッピ」をやろうという話 があったんです。当時、ロボットも の全盛で、東映では考えられない企 画でしたし、それで出たわけです。

Takachiho. その時、まだ大塚さんは 「ルパン三世」はやってなかったんで すか?

Kotabe. いや、何話か進んでいま したよ。その時、東映を出たのが高 畑(勲)さんとか宮崎 (駿)さんで した。

Takachiho. それでAプロに行かれた わけですね。

Kotabe. そうです。 すでに大塚さ んは準備にかかっており、楠部さん はパイロットフィルムをつくったり していたんですよ。だけど、大塚さ んは「ルパン三世」があってできな いから、高畑さん、宮崎さん、そし て僕がその具体的な準備をはじめま した。宮崎さんが場景から設定まで なにもかもやってましたので、彼が 全権を担って原作者に会いに行った んですけど、なんと版権がとれなく て…….。

Takachiho. 理由はなんだったんです か。キャラクターがだめだとか・・・・・・

Kotabe. いやいや、その時はね、 エコノミックアニマルにはやらさな い(笑い)ってことだったらしいで すよ。絵柄も見てないうちにおこと わりなんだから、みんなガックリき ちゃってね……。その代わりになっ たのが「パンダコパンダ」なんです。

Takachiho. ちょうどパンダブームが 湧き起こった……?

Kotabe. いや、全然関係ない。あ のブームでつくったと思われると、 まちがいですね。

Takachiho. そういえば、すでにパン ダは東映動画の「白蛇伝」でも出て いたんですね。

Kotabe. そうなんです。 宮崎さん 高畑さんが、頭をひねってつくっ ちゃったんですよ。

Takachiho. 僕はあの「パンダコパン ダ」をずっと見てなくて、今年の正 月 (東京) 池袋の文芸座地下でや った時に、安彦良和)さんと見に 行ってきました。あの動きのリズム は実にいいですね。

Kotabe. 当時としては、あれでノ ンビリした世界だったんですよ。そ れがもっともだという時代だったん ですね。

Takachiho. たしか、怪獣ものと併映 だったですね。

Kotabe. 「ゴジラ」のなんとかとい っしょだったでしょ・・・・・・。 あの「パ ンダコパンダ」の世界は、ピッピの 世界でやろうとしていた世界なんで すよ。

Takachiho. その当時は堕落した怪獣 ものを見るのがいやで、行こうかど うか悩んで、結局、見逃しちゃった んです。 この間見て、中編のよさを つくづく感じました。

Kotabe. そうですよ。

Takachiho. ディズニーなんかも、 編をたくさんつくってますよね。

Kotabe. ほどよくまとめられ、チ ームもそう大きくしなくてすみます から……。 最近、ああいうのがない のは残念ですよ。

アニメづくりでは 初めての海外ロケ

Takachiho. 「パンダコパンダ」の後 は、TVのほうに……?

Kotabe. 「ルパン三世」の手伝い に行ったり…..。

Takachiho. 第一期の、ですか?

Kotabe. そうです。その後、「赤胴 鈴之助」で楠部さんのサブにつき、 「荒野の少年イサム」なんてのがあ ったりして….。

Takachiho. ずっと(東京) ムービー 系列ですね。

Kotabe. ところが、やろうとした 作品が出そうもないとか、Aプロと しても抱えた人間をなんに使ってい いかわからない事態になってきた。 そんな時に、ズイヨーから「アルプ スの少女ハイジ」の話があったんで すよ。辞めるのはいやだったんです が、やっぱり何かやりたいという気 持ちが強くって、また、三人まとま って出たんです。だから、ハイジに もピッピの精神が流れているんです。

Takachiho. この作品も、当時のアニ メでは考えられないくらい完全なロ ケハンがなされたということで、僕 なんか度肝を抜かれました。驚いた のは、〝兼高かおる世界の旅”でい イジのふるさとをやったことがあり ましてね。それとまったく同じ水飲 み場が、ちゃんと絵で表現されていた りしたことですよ。

Kotabe. アニメのためのロケハン で、海外へ行ったなんて、あれが初 めてでしょう。

Takachiho. 何人ぐらいで行ったので すか?

Kotabe. 総勢六人でしたか。当時 は見たものを作品に表さなければ、 という意気込みがあり、緊張したも のです。それ以降は、なにかロケハ ンが通例になってね(笑い)。たしか に、それはやっただけのことはあり ました。

Takachiho. 髪型ひとつにしても、そ れまでのハイジのイメージとはずい ぶんちがうものにされていました。

Kotabe. そうです。やっぱり原作 をちゃんと読み、その上で現場を見 たり、いろんなものを参考にしてい ったら、ああなっちゃうんですよ。 絵ハガキからくるイメージではなく やっぱり生活感というものを出そう と、努力しました。

Takachiho. 特にペーターなんかよか った。それからペーターのおばあさ ん。原作者にはわるいけれども、原 作よりずっとよかった。

Kotabe. でも、ある面では危険な ことでもあるわけ。いつかラジオで なにげなく聞いていたら、ある人が せっかく少女時代から描いていたイ メージが、あれで壊されました(笑 い)、といっていました。それ聞いて わるいなあって思いましたよ。そう いう功罪はあります。でも、僕らも 最初は不安だったんです。

Takachiho. ハイジの後がすぐ「母を たずねて三千里」でしたね。あんな 短い原作を、みごとにふくらまして ・・・・。画家の立場としては、想像力の 広がりをどのように発展させていっ たわけですか?

Kotabe. 画家のほうはいいかげん でもいいんですけどね(笑い)。ちが ったキャラクターをつくるとか・・・。

Takachiho. たとえばアメディオとい う猿ですね。あれはどなたが考えた んですか?

Kotabe. 僕なんですけど、あれは 僕自身もおもしろいと思っているん です。でも、あれだって実はピッピ の流れを汲んでいる。ナントカシュ て猿が出てきたでしょう。

Takachiho. うちの会社にはアメディ オのファンがいまして、私もそうだ ったんですが、アメディオ人形を買 い集めたんですよ。カルピスでもプ レゼント用に使ったし、大小とりま ぜて三十匹ぐらいが彼の机の前に、 今も飾ってあるんです(笑い)。

Kotabe. あの人形はつくりにくか ったんじゃないのかな。こちらに一 回持ってこられたらよかったんです よ。ハイジの時はヨーゼフの人形を つくって人形屋さんが持ってきたん です。 そこで僕らがここをこうやっ たら似るとかアドバイスしました。

Takachiho. 私のほうでも全部つくり なおしましたよ。 あんなに目玉は小 さくないですから……。

Kotabe. そうですね。大きくて、 キョロってしている……。

Takachiho. 「ハイジ」と「三千里」の二 作で、あとあのシリーズにはタッチ なさらなくなりましたが……?

Kotabe. 「三千里」がシンドかった んです。路線的には、もうさかさまに しても新しいものは出せないって・・・、 それで今度はフリーになってみんな の手伝いでもしようと考えたわけで す。そしたら、東映のほうから、「龍 の子太郎」の話がきたんですよ。

浦山監督との出会 いは貴重な経験・・・

Takachiho. 実写の監督と組まれたの は、この作品が初めてですね。いか がでしたか、その違いは?

Kotabe. 最初は不安だったんです。 それも監督に対する不安ではなく、 「龍の子太郎」に対する不安があっ たんですよね。実は東映にいる頃、 この企画を大塚さんと高畑さんが出 していたんですよ。それが企画段階 でポシャって、代わりに「太陽の王子 ホルスの冒険」になったといういき さつがあるものですから、高畑さん をさしおいてやるということがいや だったんですね。

Takachiho. 結果はどうだったんでし ょうか?

Kotabe. いや、よかったですよ。 やっぱり自分にとっていい経験にな りました。監督の浦山 (桐郎)さん ていえば、僕は「キューポラのある 街」しか知らなかったんですが、演 出らしい演出というのかなあ、作品 を考えぬいてくれる人は、僕、尊敬 しちゃうわけです。シナリオを見て、 アッと思ったですよ。 高畑さんもす ごいけど、 浦山さんもとにかくすご かった……。

Takachiho. 監督っていえば、小田部さんは演出をされたことは?

Kotabe. いや、とんでもない。 監 督っていうと、 いかめしい感じがし て(笑い)。演出と呼び慣れてきまし だけど、それでもおそろしくていや です。

Takachiho. すると、絵一筋、作画一 筋という……。

Kotabe. 自分として精一杯かかれ るのは、絵だけですし、それを離れ たら何もできないと思いますから、 とっても演出ってのはね。そんな器 じゃないですよ。

Takachiho. いやいや、ずっと作画を やられ、わりとリズムというか、そ ういうことから演出が可能ではない かと思うんですが。

Kotabe. そんなこともできないわ けじゃないんでしょうけど・・・

Takachiho. ところで、最近の作品と いえば「じゃりン子チエ」が「龍の 子太郎」のあとにくるわけですか?

Kotabe. その間にもう一本あった んです。それで海外ロケまでしたん ですよ。ところが、それがポシャっ ちゃいましてブラブラしていました から、大塚さんのところに遊びに行 ったんですよ。そしたら、「こんな 作品があるんだよ」 「アッ、それ、 おもしろいですよ」なんていってい るうちに、「やってよ」ってなことに なった。それが「じゃりン子チエ」 なんです。

Takachiho. 劇場版のものですね。ジ エットコースターのシーンなんかも おやりになったんですか?

Kotabe. いや、僕が描いたのでは ありません。あれはテレコムの人の 原画なんですよ。

Takachiho. では、キャラクターだけ なんですか?

Kotabe. ええ、そうです。あとは 設定図にして、その作画チェック。 それをやってたんですよ。

Takachiho. 現在はどんな作品にかか わっておられるんですか?

Kotabe. 今のところ、NHKで放 映中の「名犬ジョリー」を手伝って いるんですよ。

動きの点検ができない体制が不満だ

Takachiho. ずっと作画のほうでやっ てこられてどうですか、日本のアニ メ界は?

Kotabe. 長さでいえばね。でも、 自分としてはいっこうにうまくなら なくて。アニメーションって、すぐ 描けるものであって、それでなかな か…….。

Takachiho. こんなに脚光を浴びると は思われなかったんじゃないですか。

Kotabe. いや、まったく想像しな かったですね。だって、最初にいっ たように、僕は漫画ってのはわから ないし、むしろ馬鹿にされたほうで すから。おまけに、むかしは動画 ていったんですよ。しかもドウがっ ていえば、童画と思われた。それで いちいち説明したりして…。 それ が最近ではアニメっていえば通じる んですから(笑い)。

Takachiho. 仕事はだいぶセーブされ ているようですね。

Kotabe. 今のところ、うまくいっ ているというか、いやな作品にはあ たっていない。幸せみたいな感じで すが、僕みたいにフリーっていうの は、華やかにみえるでしょうけど、 そうじゃないですからね。

Takachiho. 全般的に不満は多いです からね。私も今は小説書いてやって いますけど、アニメの仕事をやって いた当時は、かなり不満をもってい ましたよ。本人はそのつもりでなく ても、いいかげんにやってしまうと いう人がすごく多かった……。

Kotabe. そう、そこなんだ。本人 はそのつもりじゃなくても、やっぱ りそういう場がないと。 アニメーシ ョンっていうのは、一人でいくら一 所懸命やろうとしてもだめなんです。 大事なのはスタッフ。でも、いい脚 本がなければ、それも生きませんし、 総合芸術っていいますが、その通り なんですね。

Takachiho. 恵まれるかどうかっての は、運・不運もあるでしょうし……。

Kotabe. ある芯ができれば、スタ ッフがただのスタッフじゃなくなる んですよ。ある作品づくりのために 人が集まってきて、一人一人が熱中 しだし、よしっていう気になったと きがいいんです。自分があれをやっ た、これをやったじゃなく….。 つ まり、苦しくても、できたものにつ いては、それぞれ動画にしろ、仕上 げにしろ、それぞれの努力が作品の 重要性につながっていく…。

Takachiho. それが骨になって、 肉に なって、かたちができていく・・・・。

Kotabe. そういうつくりかたね。

Takachiho. 全体的に見れば、もうと にかく一つのレベルに達してしまっ ているという……。

Kotabe. そうなんですよ。

Takachiho. それは、いわゆる共同で 作業するいちばんいいかたちですね。 その意味では、理想的なかたちで仕 事をやっておられるという感じで・・・。

Kotabe. 僕は、今のアニメーショ ンは、せっかくいいものができそう なのに、まだ足りない問題は、もう 一回見直そうとする余裕がないこと なんですよ。スケジュールに追われ すぎて、フィルムテストもできない。 手探りで、自分の経験だけでやって いかざるをえないわけですよね。や はり、なにかをつくる以上、アニメ ーターの側からいえば、動きの点検 がもっとできるシステムになれば、 もっといいものができると思うんで すよ。だから、そういう体制ができ るといいですね。

Takachiho. なにか、最近はビデオに 撮って、それをすぐに映して見れる というシステムがあるそうなんです けど……。

Kotabe. だけど、それも聞いてみ たら、ほんとに活用しきってないと いうんですよ。

Takachiho. 今度、私の作品で「クラ ッシャージョウ」っていう作品がア ニメになるんです。安彦良和)さ んが監督で、それにできる限りそう いうシステムを導入して、チェック してやっていきたいと思っているん ですが。

Kotabe. それはすごいですね。で、 ちゃんと機械はもう…?

Takachiho. ええ、手配できるように なっているんですよ。安彦さんもい っているんですが、目標を「カリオ ストロの城」において、ああいうア ニメーティングでつくっていきたい と考えているんですよ。

Kotabe. あれだって、まったくの 手探りだったですもんね。もっと、 そういうのを駆使したら……。

Takachiho. そうですね。あの塔の上 から滑り落ちていく展開のリズムは、 ものすごいテンポでしたから……あ あいったものを、とにかく表現でき たらって話しあっているんですよ。

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