
pg. 13-14: Opening Theme Song


pg. 15-26: Magazine VTR First Release – Episode 1 – Departure Ballad



pg. 27-28: Ending Theme Song


pg. 29-40: Episode 2 – Red Winds of Mars


pg. 41-42: Character Introductions


★ 星野鉄郎
この物語の主人公で、天涯孤独の少年である。永遠の生命を求めて、謎の美女メーテルとともに、だれもが不滅の機械化人間になれるという惑星に向かって、果てしない宇宙の旅に出発する。正体不明のメーテルには不安と警戒心を抱いているが、
その優しく美しい容貌に亡き母の面影を見い出し、やがてほのかな慕情を感じ始める。勇敢ながらも、暖かい思いやりの心を備え、明朗闊達な性格である。
★ メーテル
鉄郎とともに宇宙の旅を続ける謎の美女。鉄郎に銀河鉄道の無期限定期を与え、
「だれもが不滅の機械化人間になれる惑星に行きたい」という、彼の夢をかなえてやる。鉄郎の身の危険を守るため、数々の超能力を発揮するが、その正体はまったく不明。ただ、何者かの命令により鉄郎を監視していることだけは、ほぼ確かである。鉄郎には、つねに母のような優しいいたわりを見せる。
★ 車掌
鉄郎とメーテルを乗せた銀河超特急999号に乗務している。銀河鉄道規則を忠実に守り、どのような非常事態にも、たえず冷静に行動する。しかし、その制服と制帽の下に隠された本当の姿を、けっして他人に見せようとはしない。したがって、メーテルと同様に、その正体は謎に包まれている。
pg. 43-48: Settings Material



★ 銀河超特急999号
地球‐アンドロメダ間を往復する超近代化宇宙列車。耐エネルギー無限電磁バリヤーによって防護され、その内部には人類の知恵を超越した超近代的メカニズムが組み込まれている。しかし外観は、乗客の心がやすらぐように、あえて前近代的な蒸気機関車と客車の姿をしている。このメカニズムは、外宇宙の滅亡した科学惑星の遺跡や、異星人から入手した資料をもとに設計された。
機関部はコンピューターの頭脳を持つ思考機械であり、機関車は自らの判断で、定められた宇宙軌道とタイムスケジュールに従い、安全に列車を牽引する。つまり、機関車自体が機関士を兼ねている。列車編成は、機関車を先頭に十数両の客車などから成るが、時と場合によって、客車や甲車を増結・分離するため、
車両数は一定ではない。
★ 銀河鉄道管理局
銀河鉄道の安全運行を管理する中枢機関。全銀河鉄道を網羅するコンピュータ管理システムを備え、どのような非常事態が発生しても、即座に最適な対応方法を選び出し、各列車に指令を下す。
★ 銀河鉄道管理局本部
地球のメガロポリスに設置され、銀河鉄道全体を総合管理している。
★ 銀河鉄道管理局分室
停車駅のある各惑星に設置され、本部の機能を補助しながら、主にその惑星周辺の運行を管理している。
体を機械化させる人間たち
西暦二XXX年、地球の人間たちは体を機械化し、寿命を数百年に延ばしていた。しかし、機械の体を買うためには多額の費用が必要であり、それは裕福な人々だけに許された特権であった
◆ 宇宙を翔る超近代化宇宙列車
そのころ、地球の宇宙交通機関は高度な発展を遂げていた。宇宙鉄道網は宇宙の大半をカバーし、超近代化宇宙列車が毎日のように地球と他の惑星を往復していた。
◆ だれもが不滅の機械化人間になれる惑星
二人暮らしの星野鉄郎と母は、貧しさゆえに生身の体のままであった。
ある夜、鉄郎の母は生身の人間を狩る機械化人間に襲われ、狙い撃ちにされた。
死の間際、母は鉄郎に、**「だれもが不滅の機械化人間になれる惑星」**の存在を教えた。
◆ 銀河超特急999号
まもなく、鉄郎は謎の美女メーテルと出会う。メーテルは鉄郎に銀河鉄道の無期限定期を与える。そして、銀河超特急999号は「だれもが不滅の機械化人間になれる惑星」に停車するという。
◆ 夢と希望の惑星に向かって
鉄郎とメーテルを乗せた銀河超特急999号は、その夢と希望の惑星を目指し、果てしない宇宙の旅に出発する。果たして鉄郎が旅の途中で見るものは?そして、その惑星で掴むものとは……?
pg. 49-51: Story Introduction, Broadcast Stations & Air Dates

pg. 52-53: Messages from the Staff

Kenji Yokoyama: ★ メルヘンファンタジーの世界を…
『銀河鉄道999』は素材としてはSFですが、テレビアニメではメルヘン・ファンタジーの世界を指向しています。これは原作の松本零士氏が持つロマンの世界、独特の交響詩的な雰囲気、そして登場人物やメカなどもあますところなく描ききろうという考えからです。したがって、作画はもちろんのこと、それ以上に音楽、美術、カメラワークに重点を置いています。私は、人間一人ひとりが自分の中に宇宙のようなものを持っていると思っています。それをうまく引き出し、テレビ画面で表現していきたいと考えています。これは原作とイコールになると思っています。また、主人公・鉄郎と視聴者の年齢が近いため、鉄郎を視聴者の代表として描いています。つまり、視聴者が鉄郎と同じ立場になって物語を体験し、放送後には親子でコミュニケーションできる作品を目指しています。
Yōichi Kominato: ★ 原作への挑戦
原作『銀河鉄道999』は、日本の漫画の中でも最高峰の作品です。私は、それをしのぐ作品を作りたいと考えています。原作の持つメルヘン性やファンタジー性を基に、人間が自然に生き、苦しみや悲しみを乗り越えていく人間賛歌を前面に押し出します。さらに、原作にはない笑いも加えて、明るい作品にしていきたいと思っています。また、宇宙を翔ける機関車の詩情も大切に表現したいですね。とにかく、原作以上のものを作る覚悟で挑みます。
Masahisa Saeki: ★ 神経の休まる日がありません
『銀河鉄道999』には、松本零士さんのファンが多くいます。ですが、私はそれだけのための“999”ではなく、幅広い視聴者が満足できる作品にしなければならないと考えています。そのためには、予算・作品の質・時間をどうバランスよく保つかが重要です。
さらに、近年アニメが氾濫しており、優秀なスタッフの確保も難しい状況です。そんなわけで、製作現場は常に緊張とプレッシャーにさらされています。
正直、神経の休まる日がありません。
Nobutaka Nishizawa: ★ あえて常識に挑戦します
『銀河鉄道999』は題材が非常に良いだけに、逆に難しい作品でもあります。メルヘンタッチを狙いつつも、題材の良さと個性を壊さずに作らなければなりません。映画作りは大勢の人間が協力して行うため、全員の方向性を統一することが大変ですが、その分やりがいも大きいです。従来のテレビアニメとは一線を画す、冒険的な作品になるでしょう。
Shigeru Kogawa: ★ 常識を破る演出への挑戦
従来は観客を引きつけるためにカットを多くし、アクションを増やすのが常識だった。しかし今回はあえてその逆を行き、カットを少なく、ゆっくりとした演出で挑戦していく。列車が走る時は暗い宇宙が舞台だが、訪れる星ごとに題材に合った色彩を出す。メルヘン調の星、クールな異世界の色彩など、世界ごとの個性を強調する方針だ。とにかくスタッフ全員が乗って作り上げるべき作品だと考えている。
Mataji Urata: ★ 美術設定のこだわり
銀河鉄道999が停車する各惑星の雰囲気が最大のポイントとなる。アクション作品ではキャラクターのおもしろさが際立つが、今回は星のムードや雰囲気が重要だ。
原作のイメージは宇宙ということで暗めだが、原作者のカラーを損なわず、その中で独自の雰囲気を作る必要がある。宇宙が舞台であるため、現実には存在しない花の色や、水平でない水面など、非現実的な要素も積極的に取り入れる方針だ。色彩は黒を基調としつつ、汚れ・傷・劣化に配慮。キャラクターはメカ獣ではないため、人間味を失わないデザインを心がけている。
Tomonori Kogawa: ★ 機関車作画の苦労
『銀河鉄道999』はSFメルヘン調であり、作画だけでなく演出で原作の世界観にアニメならではの肉付けを加えることで、十分楽しい映像になると期待している。
ただし、機関車の作画は最大の難所。派手なアクションではなく、じっくりとした動きを見せるため、重量感や存在感をどう表現するかが重要だ。オープニングの機関車を動かすだけで三人がかりで三日を要したほどで、まさに作画泣かせの存在である。
複数の原画班によってムードやテンポが異なるため、それらをまとめるのも難しい。しかしこれは作品の質を左右する重要な要素であり、できる限り良いものに仕上げたい。物語は心情的な話が多く、表情やポーズ、芝居の作画が最も重要となる。それらを通じて、銀河鉄道のムードを感じてもらいたい。
Masaaki Hirao: 前から松本零士さんのファンだったのですが、『銀河鉄道999』は、夢のある劇画だし、ロマンがあるので、そこを考えて作曲しました。子供に夢を与えられればと思います。
Jun Hashimoto: 松本零士さんの原作がよかったし、テーマがメルヘンタッチのヒューマンだったので、安っぽい歌にしたくなかったということと、先に曲があって、それにあわせて詩を作ったのですが、なにしろアニメの作詞というのは初めてだったので、もう苦心の連続で、レコーディング当日までかかりました。
Nozomi Aoki: 銀河鉄道999号という幻想の列車に乗って旅を続ける鉄郎とメーテルの二人。松本零士さんは、その非論理的な構成によってもたらされる幻想の世界を通して、真実を書こうとしているように、私もまた、それを、おなじ方法で音楽によって、うたいあげてみたい、と思ったのです。テーマになる曲は、いくつか作っていますが、私自身の好みも加味されて、やはり、メーテルに少し比重がかかりすぎたかなあ、と思っております。
pg. 54-55: Voice Actor Introductions

Masako Nozawa: 鉄郎のような役はやりやすいし、好きですね。それに、話も一話一話別な星へ行くので、新しい人間(機械ですけども)が出てくるというのも楽しいですね。そういう意味では、すご期待感がありますし、ふっと、宇宙に行けそうな夢がありますね。この番組を見てくださっている方たちだったら、よけいそう思うんじゃないですか。それに、車掌さんがとっても可愛いですねえ。
Akiko Tsuboi: TTC、TTBを経て、現在、青二プロダクション所属。主な作品に「若草のシャルロット」「母を訪ねて三千里」のナレーションや『アローエンブレム・グランプリの鷹」がある。
Masako Ikeda: メーテルというのは謎めいているし、おもしろい役なのですが、反面、すてきな女性ですので、とってもやりにくいですね。ただ、映画と違って、アニメというのはイメージが声で左右されるような気がするので、とっても恐いし、むずかしいなあと思います。でも、謎だらけなので、興味がありますし、やっていて、とても楽しいですね。
Hidekatsu Shibata: 日大芸術学部卒。現在、青二プロダクション所属。主な作品に「ダンガードA」「笛吹童子」と『キャプテン・ハーロック』のナレーションがある。
Kaneta Kimotsuki: 宇宙というのは、アメリカやソ連が月へ行ってから狭くなっていますが、『銀がてつどう スリーナイン河鉄道999』をやると、なおさら狭いという気がしますね。それに、あの重いSLが空を飛ぶというのは痛快だし、夢がありますね。車掌というのは、キャラクター的にもクセがあるし、むずかしいですね。僕はだいたいむずかしい役をやらされることが多いんですが、今回は見当もつかないですね。たとえば、人間の生身の体ではないというのは、わかるんですが、正体がわからないので、僕たちがいつも接しているような車掌さんなのか、どうかというのがむずかしいですね。ですから、僕としては鉄郎とのやりとりなどは明るくやっています。むりに個性的にしないほうがいいんじゃないかと思ってね。つまり、ごく親しみやすい、子供とは夢中になって遊ぶ、今の大人に欠けている人間的な面があっていいんじゃないかということですね。ただ、『銀河鉄道999』は雑誌週刊少年キングに連載されているし、多くの読者に読まれているので、それなりのイメージに致するかどうか、というのが心配ですね。
Masako Ikeda Day in the Life:
九月某日の池田昌子さんの一日を追ってみた。
午前7時起床。掃除、洗濯、食事のしたくを三歳になるお嬢さんといっしょにやる。また、テレビ監督のご主人(浜田紀政氏)が仕事に入ると、半年ぐらいは、朝の五時半頃に起きてしたくをするというから、なかなか大変だ。
9時朝食。
9時45分 仕事のため埼玉県入間郡鶴ヶ島町の自宅を出る。
11時30分 新宿にある「タバック」に着く。スタッフと打ち合わせたあとすぐ『銀河鉄道999』のアテレコ。通して見たあと、四パートに分けて、テスト、録音テスト、本番と続く。出だして少しトチったり、やりなおしをさせられていた。
午後3時 アテレコ終了。
3時40分 原宿の友だちの店で食事をとる。友だちとダベったり、手紙の返事を書く。家にいるとお嬢さんが甘えて、くっついているので、こういう時でないと書けない。
7時 ラジオの「サウンドシティ」のCMをやる。
8時 番組終了。帰途に着く。
9時30分 自宅に着く。お嬢さんはもう眠っている。片づけものをしたり、入浴、読書をする。
午前12時30分 就寝。
pg. 56-58: Interview – Isao Sasaki

ロカビリーブームと共にヒーローになった男が、アニメブームに乗って再浮上してきた。その十三年は、ささきいさおを一回りも二回りも大きくさせた!!
去年の後半 『宇宙戦艦ヤマト』の嵐が吹きまくり、 ささきいさおの人気もあがりっぱなしの最中、彼にある放送局で会ったことがある。売れている芸能人、いや売れている人間によくあるおごというものを一切感じさせず、その謙虚さが大変印象的だった。「ボクはおごった人間には絶対なりたくないと思ってるのです。」ささきいさおはいう。その男の三十六年の歩みは?
「武蔵中学に入った時は一番で、東大を目指していました・・・・・・。」
小学校が二年まで区立駒場小学校、三年から私立の暁星学園(東京の名門のお坊ちゃん学校)、中学が私立武蔵中学(東大合格率が高いので有名な武蔵高校へのエスカレート中学。成績優秀な小学生が試験を受けに集まる)、そして武蔵高校二年の秋に中退して芸能界へ
エリートコースに乗りかけていたのを、全然違う道に入ってしまったみたいですが?なぜ?「なんとなくですよ。歌手なんてなりたいと思ったこともなかった。」成績優秀だったんでしょう?「中学に入った時は一番で、一応東大を目指してましたよ。ボクのおじいさんは海軍中将中将というと、元帥、大将の次に偉い。終戦前の佐々木家は大変な名門の家柄だった)、終戦前に退役しましたけど、終戦後はそれまでの価値観が全部ひっくりかえってしまって、元軍人の家なんてみじめなものでしたよ。」 戦後派の育った時代は信じられるものも、夢も希望も何もなかった自由だと騒いでもアメリカから与えられたにすぎない、お先事暗の、今日を食うのに精一家の明日の代だった。ささきさんのいつ”なんとなくの意味、わかるでしようか?「親父は、江東区の亀戸で、建具のちっぽけ町工場を始めましてね。それが小学校三年の時で、祖父と祖母と兄貴と弟は渋谷の今までの家に住んで、ボクと両親だけが、引越したんです。家は爆弾の箱をぶっつぶしてク小屋で、隙間だらけて風がってきましたよ。その隙間をふさくために内側からアメリカの雑誌を破り捨てたやつを張りつけてね(日本中にそんな小屋がよく見られたという)。親父がいつもいうセリフが、「いい大学を出て、エリートコースに乗れば、一生食いっぱぐれがない』暁星学園なんてお坊ちゃん学校、あの頃の生活じゃ行けなかったんだけど、(元軍人家族の) プライドばかり高いから、むりして入学させたんですよ。クリスチャン校だから私立のわりには授業料が安かったしね。武蔵中学も兄貴が行ってたからなんとなく。でも何か目的があって好きで勉強してるわけじゃないから、やっぱりだめなんだね。授業中だけは集中して聞いてるけど、家では全然勉強する気なんかしないから、そのうちだんだん成績が落ちてきて。高校に入ったら、ラジコンとか機械ばっかりいじってましたよ。その時、たまたまラジオから、プレスリーの曲が流れてきて、それレコードを一枚買って、たまたま覚えた曲を、家族の前で歌ったら、たまたま聞いたおばさんが、歌手になってみないかっていったんですよ。その大おばさ兄というのが、戦時中、農林大臣もやった有名な政治家で、そのおじさんが、コロムビ人を紹介してくれたん鋼音室で 込んでいる時に、たまたま、堀威夫氏(現在、ホリプロダクション社長)が聞いていて、「ウエスタン・キャラバン』というバンドを作るから、加入しないかと誘われたんですね。」「エリート・エリート」といっていたお父さん、反対しなかったんですか?しなかったですね。要するに歌で食えりゃいいと。ボクもそう思いましたよ。」翌年4月 (十七歳)に「本命はお前だ』
デビューした時は、和製プレスリーの名がレコード会社、映画会社でもう用意されてたわけですね。
「そうです。そのあと松竹映画にも七、八本でて、あたらないからなんとなくやめて、+九歳の年に『GIブルース』を吹き込んで、その年『ロッカ・フラベイビー』のプレスリー主演映画が日本にきて、その吹き替えをやって。プレスリーの格好をしてプレスリーの歌を日本語訳で吹き込んで。」
私も小学生くらいだったけど、覚えてますよ。すごい人気でしたね。
「人気なんかなかったですよ。その頃はオリジナルのポピュラー曲は売れなかったんですよ。それで日本語訳の歌を吹き込むんだけどファンは本物を買うでしょう。あっという間に日本のロックはだめになって、それから歌謡曲がでてくるんですよ。」
一周囲に踊らされたわけですか?
「そうですね。でもあの頃はまだ若くて、女の子にキャーキャー騒がれると、やっぱり嬉しかったし、金もたくさんもらえたし。ただなんとなくですよ、やっぱり。」
―二十歳ぐらいで、たちまちブームが去って、それから、いろいろと考え始めるわけですね。
「やっぱり、ボクは人生の道を第一歩でまちがえたんだなあって今でも思いますよ。本当は理工系に行くはずだったのにね。でも、もうしようがない、一度踏み出した道だと思って、とにかく一度歌を捨てて最初からやり直そうと思ったんです。歌謡曲を歌うには、歌がへたすぎましたからね。」
―一度ブラウン管で人気が出れば、ジャズ喫茶まわりをすれば、食べてはいけたでしょう?
「当座はね。でも歌もうまくないのに、先は落ちてゆくだけですよ。それよりも前を見て歩きたいと思った。とにかく、文系の勉強をしようと本を読みだしたのもその頃ですよ。」
―どんな本を?
「ドストエフスキー。全作品読みましたよ。そして芝居をやりたいと思って、新劇に入って、一番最初の舞台が、アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』の第一幕で殺される金持ちの青年役。金子信雄さんや、小山田宗徳さんなど、そうそうたる新劇人といっしょに舞台にたちまして、結構評判が良かったんですよ。
二本目が、松井須磨子をモデルにした『女優の愛と死』で中山晋平の役。これは芸術祭奨励賞の候補になりましたよ。それで金子信雄さんが新しく作った劇団に誘われて、そこ十年勉強しました。」
―でも新劇の役者じゃ、食べられなかったでしょう?
「食えないですよ。だから、アテレコからテレビの悪役から、金になるものは、なんでもやりましたよ。
食うためだけじゃなく、ラジオドラマを書かせてくれと自分から持ち込んだり、ミュージカルの演出をやったり、ありとあらゆることに挑戦してみましたよ。作詩、作曲もその頃からですね。」
―一番苦しかったのは?
「二十八、九歳の時。本当に食えなくて、一度やめて、家業を一か月ばかり手伝ったんです。でも、これから全く知らない家業を始めるより、どうせ踏み込んだ道だ、とことんまでやってみようと思いまして、また元の世界に戻ったんです。『ここでやめたら、オレは中途半端になってしまう』毎日、毎日、歯を食いしばって、自分自身と闘ったんです。その頃かな、七十年安保の闘争にも参加して。六十年安保の時には、歌、歌ってたんですからね、いやになるなあ。」
それからもまだまだ苦しいことばかり?
「三十二歳の時は、けんかばっかりしてましたね。まず一つは、劇団とけんか。ボクも年以上芝居を勉強してきて、ボクなりの芝居への考えを持ち始めてましたからね、『芝居が古い』って主張したら、いい合いになりまして、劇団をやめました。それに離婚。
それから、ある有名な劇作家とけんかしました。その作家が初めてミュージカルを作ることになったんですよ。ところが歌なんか、何も知っちゃいなくて、『歌なんかだれが歌ってもおなじだ』みたいなことをいうんですね。ボクは、『そんなことはない』といったら、『生意気だ』ということで、完全にほされましてね。
ボクは歌をその先生よりも多少は知ってるつもりだったし、けんかしようとしたのではなく、よりいい舞台にしたいと思っていったんですよ。それなのに……………。向こうは大先生でボクは一介の役者ですからね、その先生の圧力で舞台の仕事が全くこなくなりましたよ。
くやしくてねえ、その時、人生は闘いだ! 他人をけ落とさないと、自分は生き残れない! 今に見ていろ、と思いましたよ。そう思う自分が嫌でね、ああ、人間ってやっぱり動物なんだなあっと思って。」
「アニメのささきいさおでなく、人間、佐々木功を表現したいですね。」
何もかも嫌になって、それから……?
「しばらくブラブラしていたが、金もなくなって、そろそろ仕事をしなくてはなあ、と思ってた時に、コロムビアの宮下ディレクターから実演(デパートの屋上などで歌を歌う)をしないかっていわれて。
彼との出合いがおもしろいんだけど、その二年くらい前、当時ボクは『ガッチャマン』のコンドルのジョーの声の吹き替えをやってたんですよ。『ガッチャマン』のスタッフとの忘年会の時だったかなあ、子門真人さんの歌ってた『ガッチャマン』の主題歌をボクが酔いにまかせて、みんなの前で歌ったんです。
その時、たまたま来てた宮下氏がそれを聞いて『新造人間キャシャーン』の主題歌を歌わないか、って誘ってくれて。」
それがアニメの歌のデビュー作?
「そう。それで名まえを、コンドルのジョーといっしょじゃまずいからって、どうしようか、という時に代理店の部長が『ひらがなでいい、いい』って。いいかげんなもんですよ(笑い)。」
それが『宇宙戦艦ヤマト』につながるわけですね。
「『ヤマト』は四曲目で、最初は子門真人さんが歌うはずだったんですよ。それが声があわない、とかなんとかで、これもまた、たまたま。」
宮下さんから「実演をやらないか」と声をかけられたのが、『ヤマト』の最初の放送が終わった頃になるわけですね。
「そう。ブラブラしている間に、いろいろ考えましてね。“自信”とは過信じゃなくて、自分の判断を信じることだ。人がどういおうと、自分が選んだ道を生きていくしかない、ってもう開きなおりの、なるようになれ! という気分でしたね。」
デパートに行って?
「アニメの歌を歌うわけだから、やる前は、子どもが二、三十人も集まればいいだろうっていってたんですよ。ところが、フタを開けたら女学生が二、三百人も来ましたね。その少し前に『ガッチャマン』の声の吹き替え役として、二、三回テレビに出たんですよ。それで初めて、コンドルのジョーの声と、『ヤマト』の歌を歌っているのが、おなじ人物だとわかって、それまでは名まえが違うから、わからなかったんですね。顔を見たいって集まったらしいんですよ。」
―それが去年の人気への始まりですね。居直ったら、人生が開けたわけですか?!?! 人生っておもしろい……。
「よく『オレは運のない人間だ』という人がいるでしょう。ボクはそういうやつが大嫌いですね。人間には、皆それぞれ、人生に三度のチャンスはあると思うんですよ。そのチャンスをものにするかどうかは、結局、それまで地道に努力してきたかどうかですよ。」
ささきさんの一度目のチャンスは、十七歳の時ですね。でも、あの時は、それがチャンスだって、自分ではわからなかったのでしょう?
「わからなかったですね。三度目のチャンスは、四十五歳ぐらいにあると思うんですよ。」
もちろん、今が二度目?
「今度は自分でもチャンスだってわかりますからね。だからこの機会にアニメの“ささきいさお”じゃなく、人間、“佐々木功”を表現して、わかってもらおうと思ってます。」
―それが『おとこの道』のLPですね。聞かせていただきましたけど、ささきさんの時代とはまた違う、今の目的喪失した時代の若者へのメッセージですね。ナレーションはご自分で作られたとか?
「二、三年前だけど、あの頃はファンレターにもきちんと返事を書いてましてね。自殺したい、という女学生を手紙で『コンプレックスのない人間なんていない、でもだれにでも生きてる価値がある、だれもわかってくれなくても、精一杯自分のために生きろ』って説得したことがあるんです。それを思い出して、一人一人の若者にメッセージを贈りたいと思って。」
ささきさんも、そう思って生きてるんですね?
「他人を切り捨てて、成功し、億の金を動かしている人もいますよ。でもだからって、その人と比べてちっとも自分を卑下することはない、と思っています。ボクはボクだと思うし、その人はその人なんです。人気がでればでるほど足を引張る人はいますよ。ボクも若い時も今も、それでさんざんいやな目に会いました。だからボクはおなじことをしたくない。『あの人といっしょなら仕事はしたくない』なんて絶対いわないし、おごりたくもない。」
そういう意味でも、このLPを読者の方にもぜひ聞いてほしいと、私も思いますね。それでこれからは?
「恥をかきたいですね。恥をかくと勉強しますから。そして、自分の中からわきあがってきたものだけを作品にして歌ってみたいですね。本当は小説を書きたいんですよ。たった一人の筆で、あれだけ人を感動させるものを書きあげられるなんて、すばらしいですよ。」
芝居は?
「もちろん。森繁さんやチャップリンみたいな芝居をしたいな。」
ちょっと雰囲気が違うようだけど・・・・・・。
「そうなんですよ。それが悲劇なんだな。ボクはそう思っているのに、周囲からはそう見えないんですよね。いつも外見的な二枚目にしか見てくれないんですよ。とにかく、これからもっと勉強して人間をふくらますしかないですよ。」
―最後に『銀河鉄道999』について?
「あれは素晴らしい作品ですね。人間の心・体があって、初めて人間といえるんだ、という全編に流れる人間愛。こんな作品こそ、何よりも一番に、多くの人に読んでほしいし、見てもらいたい!」
あまりにも多様化してしまった現代は、若者が目的も信じられるものもない時代だという。食べることで精一杯の時代に育ち、時代に踊らされ、一時の人気者になった男が、今度は自分の手で目的を探し、自分の道を切り開いた。ささきさんの話を聞いて、「今の若者はぜいたくだ! なまけ者だ! 自分で何も探そうとしないじゃないか!」そんなことを思った。
pg. 59-74: Collection of Famous Scenes

pg. 75-79: 【Roundtable Discussion】Riding on Dreams
Leiji Matsumoto, Kenji Yokoyama, Hiroyasu Yamaura, Keisuke Fujikawa

「999』のコピーが流れたときは、青くなりました!!!
Kenji Yokoyama: 『宇宙戦艦ヤマト』『キャプテン・ハーロック』に続いて、『銀河鉄道999』がテレビ・アニメ化されたわけですが・・・・・。
Leiji Matsumoto: 内容的にいえば、『ヤマト』はもう少しロマンチックなものをやりたかったんです。何事も経験ですし、随分勉強もさせてもらったわけで、そういう点では私の教科書のようなものですね。
Yokoyama: その後、『ダンガードA』『スタージンガー』にタッチされて『ハーロック』になるわけですね。
Matsumoto: そうですね。『ハーロック』は、『ヤマト』に比べるとやや柔らかくなっています。つまり、アクションや浪花節一点張りではなくて、ロマンというものを、より強く押しだしたんですよ。そして、『999』となると、SFとメルヘンの合体ですよ。これが最初から一番やりたかったものだし、本命になるわけですね。
Yokoyama: といいますと……。
Matsumoto: 『ハーロック』も大切な部分ですが、『999』は別のジャンルとして非常に大切な部分なんです。特にこれから先、SFとメルヘンが混然一体となったもの、万人向けの穏やかなものをやりたいんです。そういった願望を賭けたものが、この『999』なんですね。
Yokoyama: 企画としては『ハーロック』と『999』は、同時ぐらいですか?
Matsumoto: 『999』のほうが、ちょっと先です。
Yokoyama: それは、当初からアニメ化するという考えを持っていたのですか?
Matsumoto: ええ、最初からアニメーション用に考えたものですね。それで、どちらを先にしようかと考えた時、『ヤマト』の後遺症があるので、『ハーロック』を先にやったほうがいいんじゃないか、ということになったんですね。
Yokoyama: というのは?
Matsumoto: 『999』を先に作ると、流れからいって逆に『ハーロック』が作りにくいんですね。そういうこともあって、『ハーロック』を先にしたんですよ。
Yokoyama: そういう、いきさつだったんですか。
Matsumoto: ところが、『ハーロック』の企画書を制作会社に渡した時に、『999』のメモをコピーしたものがくっついていっちゃったんですよ。この時は青くなりましたねえ。
Keisuke Fujikawa: そのコピーというのは?
Matsumoto: 『999』の秘密メモと称する企画書の原案をコピーしたもので、核心に触れるような詳細なコピーが何部も出てしまったんですよ。あのときは正直いって、しまったなあと思いましたよ。
Yokoyama: それは一大事ですね。
Matsumoto: そうなんですよ。それで困りましてねえ、なんとか早くアニメ化の実現をしなくちゃいけないという時に、たまたま少年キングの小林編集長(当時)から、漫画の連載をしないかといわれましてね。もう渡りに船とばかりにとびついちゃったわけですよ。
Hiroyasu Yamaura: そんなこともあったわけですか。
Matsumoto: で、企画書のコピーをやたらに出すもんじゃないなと思いましたよ。
Yokoyama: そうですね。
Matsumoto: それに、『スターウォーズ』に影響したかどうか知らないけども、『スターウォーズ』を作るちょっと前に『ハーロック』の自主企画書が、アメリカに五部ほど渡ったんですね。それで送った直後に、ある人から、そんなもの送るバカがいるか、っていわれましてね。あのXウイングとか、そういうものに微妙に影響していましたね。
Yokoyama: そうですが。
Matsumoto: それに、意外に企画書の原案なんていうのは、アメリカに渡るのが早いですね。あれには、まいっちゃいますよ。『ハーロック』なんかも、サンフランシスコあたりにまで流れてましたからね。
Yokoyama: そうですか。ところで、最初のアニメのイメージというのは?
Matsumoto: 一つの物語が、その回のメインになる惑星に999号が降りて来て、停車時間がたって無事に離陸していく、というのを毎回繰り返すパターンで、一話完結でいこうというのが狙いだったんですけどね。
Yokoyama: なるほど。
原作を読んで、すぐに音楽が頭に浮かんできました
Yokoyama: 原作のあるものをテレビ化するというのはいろいろなやり方があるんですが、『999』に関しては、できるだけ原作に忠実にいこうという考えでやっているんです。僕自身は、今までそういうやり方はやったことがないんですよ。ほとんどオリジナルに近い形で作品を作ってきたものですから。
Matsumoto: そうですか。
Yokoyama: 今回の『999』については、原作を読んで、これはこのままいったほうがいいんじゃないか、原作に忠実にやっても当たるんじゃないか、という考えのもとにやっているわけです。ところで、ライターの方は、原作から受ける印象というものはどういうものですか?
Yamaura: 僕は『999』をやるということで、原作の単行本を読んだんですが、なぜかすぐ音楽が頭に浮かんできたんですね。一つのドラマチックな起承転結のはっきりしたストーリーということより、キザないい方をすればドビュッシーみたいな感じで……。Yokoyama: それはどうしてですか?
Yamaura: 一つ一つが章も短いし散文的なので、三十分の起承転結のあるドラマにしていくためには、どのように味つけをしたらいいかをまず考えたんです。あまり起承転結をつけてしまうと、作品の持つ雰囲気が壊れてしまうという恐れもありましたしね。それでこの際、起承転結はそれほど訴えあげなくてもいいんじゃないかと思ったんです。
Matsumoto: そうですね。
Yamaura: 僕は今まで起承転結のはっきりしたドラマをやってきたんですが、『999』に限っては起承転結を抑えて、キャラクターや核心ごとのおもしろさを出していくようにして、全体的にムードのある作品という方向へ持っていこうという……それは脚本家の領域ではなくなってくるんですが。
Yokoyama: そうですか。ところで藤川さんは?
Fujikawa: 僕は『999』に興味を持っていたんです。というのも、一つには宇宙のロマンというものがありまして、僕も『ヤマト』をやらせてもらったんですけど、『ヤマト』の当初の時は松本先生とおなじように、宇宙に広がっていくロマンみたいなものをすごくやりたかったんです。
Yokoyama: そうですね。
Fujikawa: ところが、それはある意味ではちょっとかなえられない部分もあって。『999』の場合だと、広がっていくロマンが可能ではないかなというのが、最初にひかれた要素です。
Yokoyama: なるほどね。
Fujikawa: で、もう一つは、あの中に出てくる宇宙で生きる人間像というか、宇宙哲学です。
Yokoyama: それは、宇宙で生きる厳しさといったようなことですか?
Fujikawa: そうですね。今までの子ども向けの作品にはなかった面があると思うんですね。そこにはブラックな面があるかもしれない。そういう宇宙で生きる厳しさ、人生哲学が織りなして広がっていくロマンと、厳しい現実の一面が非常にうまくからんでいる作品で、そういうところに僕はとても興味を持ったし、ひかれていますね。
Yokoyama: そういった面は、あますところなく表現したいですね。
Yamaura: ところで藤川さんは、起承転結というドラマツルギーから見て、『999』という作品は、いかがですか?
Fujikawa: 僕も確かに、山浦さんがいわれたように音楽的なものを感じますね。それは、理屈の部分とそうでない部分が、うまくからんでいるんじゃないかという気がするんですね。
Yokoyama: なるほど。
Fujikawa: つまり、音楽の部分は理屈じゃない部分ですね。で、理屈の部分というのはきちんと起承転結があるわけですね。ですから、ふくらませる部分は理屈抜きに思いきりふくらませていくということですね。ですから、そういう部分があればあるほど、『999』はおもしろくなると思いますね。
Yamaura: なるほどね。僕が感じたのは、たとえば遊園地の鏡の部屋っていうのがあるでしょう。一枚一枚の鏡に写るものは全部違いますよね。で、『999』も、そんな作品かなと思ったわけです。
Matsumoto: 違う星に行って、無事に発車するというパターンを狙っていましたからね。
Yamaura: 今までやった作品というのは、毎回おなじ鏡に写っていくパターンでしょう。だけど『999』は、毎回、全部写っていくものが違うんですね。ですから、他の人が書いた脚本を見ても、違った意味のいろいろな新鮮さを感じます。
Yokoyama: 確かに一話一話が新鮮ですね。
『999』を見て、親子で話し合えるような作品にしたいですね
Yokoyama: ところで、こういう独特な作品ですと、視聴率というのが恐しい存在ですね。
Fujikawa: しかし、それは低学年の子どもたちは、機関車が宇宙を旅していくというロマンの楽しさにひかれると思うし、やや高学年の子になると、宇宙哲学というか、宇宙を生きていく人間みたいなものにひかれると思いますね。
Matsumoto: 幅からいくと、『ヤマト』などよりも上下の幅があるはずですね。
Yokoyama: ファンにはどのような子が多いですか。
Matsumoto: サイン会へ行くと、ギューッと手を握ってくる男の子の顔を見ると、鉄郎タイプなんですね(笑い)。鼻筋通ったいい男っていうんじゃなくて、たいてい丸っこい男の子が手を握ってくるんですが、そういうのが非常にうれしくてね、ああ、この子らを裏切ってはいけないと思うし、そういう子どもたちの心情がよくわかるんですよ。
Yokoyama: なるほど。
Yamaura: 「999」というのは、男女の差があまり感じられないですね。
Matsumoto: 連載しているのは「少年キング」だけど、男女ということは、あまり意識したことはないですね。
Keisuke Fujikawa: よく読むと、大人向きの作品といえるかもしれないですね。
Yokoyama: それが、この作品のねらいでもあるわけですね。たとえば、アニメの視聴層で小学四、五年生があまり見ないで、中学生くらいになると今度は専門的に見てくれるといった傾向がありますね。
Matsumoto: うちの娘もそうでしたね。一時期実写にすごくひかれるみたいですね。
Yokoyama: つまり、中間層に見せるに耐えるアニメが少ないということもあるんじゃないかと思うんですが……。
Fujikawa: そうですね。ただ、今評判のいいアニメていうと、作品のキャラクターの中で、ある種の人生哲学を持つ人物がいて、その生き方にひかれるというタイプが多いですね。そういう意味では「999」には一貫して流れているテーマがあるので、年齢の高い人が見てもいいし、お母さんと子どもがいっしょに見て、話の糸口になるような気がしますね。
Yokoyama: そうですね。たとえ子どもが見ていなくても、親が見ていて「あれはどうなんだ」といえる作品にしたいし、『999』は親御さんにも十分に見るに耐える作品だと思いますね。
Yamaura: 僕もそう思いますね。
Yokoyama: 鉄郎の良さは何事も途中ですてたりしないで、子どもらしくぶつかっていくということですよね。ですから、親子でいっしょに見ていたら「鉄郎だって頑張ってるんだから」という言葉が出てほしいなあ。
Fujikawa: それに、見ているうちに子どもの中に一つの疑問がわくと思うんです。それは鉄郎がピンチに陥った時、なぜメーテルは助けないんだろう、ってことですね。で、その時、母親の役割があるような気がしますね。
Yokoyama: ですから今までとは違う意味で、鉄郎にはスターになってほしいし、あこがれても違う意味のあこがれになってほしいですね。
Matsumoto: そうですねえ。
Yokoyama: 今までのカッコいい主人公たちは、上に博士なり所長なりがいるでしょう。それに比べ鉄郎はだれの指図を受けるでもなく、自分からやらなきゃいけないしね。
Fujikawa: 今の子どもたちは外へ出るにも、お母さんが心配していろいろ注意するでしょう。そういう生活から見ると、鉄郎は自由に一人で町へ出て、一人で何かをやる。これはいいことだと思うんですよね。子どもは子どもなりに感じるだろうし、親も親なりに何か感してくれるといいなあと思いますね。
目がちっちゃくてダンゴ鼻というのは私の念願のキャラクターです
Yokoyama: 制作するうえで一つだけ気がかりだったのは、松本先生のファン層というのがありましたね。で、年齢の高いファンと小さい子どもたちの両方引っ張らないといけないもので、そこでどういうふうにするかという問題があったんですね。
Matsumoto: そうなんですか。
Yokoyama: で、主人公の鉄郎を優等生にせずに、原作に非常に近いキャラクターに落ち着いたんです。それがよかったと思いますね。
Matsumoto: やっとかねてからの私の念願の、目のちっちゃいダンゴ鼻が出たわけですねえ(笑い)。
Yokoyama: アハハハ・・・・・・。それで、鉄郎が視聴者の代表のような形の中で、はずむことができますからね。ですから、脚本の方には原作にある以上に、もっとはずんでぶつかっていくようにやってほしいとお願いしたんです。
Yamaura: 主人公がカッコいい男の子じゃない、どっちかというと不細工なキャラクターというのが、いいですね。
Fujikawa: そうですね。主人公が美男子とかカッコいい男の子というのは、今までにさんざんやってきましたしね。ですから、鉄郎には非常に親しみを感じるんですね。キャラクターのデザインが、ああいう形で決まったので、書いていても楽しいですよ。
Matsumoto: 私もほっとしましたね(笑い)。
Yokoyama: それと、笑いの部分をどこで作ろうかというのが、ちょっと心配だったんですね。メーテルからは笑いというのを出すのはむずかしいので、鉄郎にはずみをつけさせることによって、車掌とのぶつかりあいの中で、ツッコミとボケが、所々できないかなあと思ったんです。
Yamaura: 確かにメーテルというのは大人ですし、今までの登場人物とはまた違う大人なんですよね。車掌は摩訶不思議な人物で、一人一人が個性を持ったムーディな人間たちで、これをどうセリフをしゃべらし、どう動かしていくかというのは、ある意味では大変むずかしいことでしたね。
Yokoyama: 原作のメーテルにしろ車掌にしろ、それぞれが謎を持っていて、その謎をつきつめていくと哲学的なものを持っていますよね。ですから、むずかしく作ることもできるし,さらっと流せばなんだか意味がわからなくなるその持ち味をどうやったらうまく出せるかというのが、ポイントになると思いますね。
Yamaura: そうですね。
Yokoyama: 松本先生の原作に挑戦するというのではないんですが、せっかく作るんだから、アニメには音楽も効果もあることだし、原作より劣っているといわれるような作り方はしたくないですね。
Fujikawa: そうですね。
Yokoyama: 原作でも、本の中に音楽も効果もあると思いますが、テレビのほうでは、現実にどういう音楽で、どういう音が一番合うのか、具体化していかなきゃならないので、そのへんのむずかしさがありますね。
Yamaura: 書いていて、車掌が思わぬところから出てきて、思わぬことをしゃべったりして、それがいいイメージになっていますね。
Matsumoto: 半分メルヘンというか、大部分メルヘンなので、SF的理屈があまり必要じゃないんですよ。
Fujikawa: それはいえますね。
Matsumoto: 少しでもリアルなSFだったら、999号の窓をあけてはいけないとか、細かい部分でいろいろ出てくるわけですよね。ただ、『銀河鉄道999』という作品は、私の子どもの頃の夢みたいなものなんですね。
Fujikawa: メカがどうのということでもないし、ふくらむ要素をたくさん持ってますね。
Yamaura: 第一話(出発のバラード)は僕が担当したんですが、あの中で非常に出したかった部分は、スラム街なんですね。しかし第一話で銀河鉄道に乗って宇宙へ行きたいということもあって、割愛せざるをえなかったというのが残念でしたね。僕は今でも、あの部分は非常に重要なのではないか、という気がしてるんですけどねえ。
Yokoyama: そうですね。あの部分は貧富の差ということで、突っ込みたい部分なんですね。ただ内容的には、母親が死んでしまうということもあるし、第一話の完成度を考えると、あまり暗くしたくないということもあったんですね。四話、五話と進んでいったあとでも、またスラム街の問題は提示できるんじゃないかと思いますね。
Matsumoto: 回想シーンにしてもいいですね。
Yokoyama: 第一話というのは、どうしても説明の部分が多くなってしまうので、あとは第二話以降ということになりますね。
クレアが砕け散って涙になるのは、最終回のほうがよかった!!
Fujikawa: メルヘンものというと、抒情のほうが強調されすぎて、日本の場合だとメソメソしたものが多いですね。その点『999』は渇いていると思いますね。
Yamaura: 渇いていますねえ。
Fujikawa: で、そのへんが鋭いというか、切れている部分ですね。ですから、それが今までの日本のメルヘンとかファンタジーといわれているものとは、ちょっと違っていますね。
Yokoyama: そうですね。
Fujikawa: ですから『999』をやるにあたってそういう面が非常に興味があったんですよ。山浦さんが第一話担当で僕が第二話担当でしたけど、異色のメルヘン物ができるような気がしますね。
Yokoyama: 今までのアニメにはない作品になるんじゃないですか。
Yamaura: そうですね。非情さというものが全編を通してあるんですが、非情さのメルヘンとでもいうんですかねえ。たとえば、第二話で引き返すという女を車掌が放り出したりしますが、そんな非情なことをする車掌がコミカルなことをしたりするんですね。ですから、メルヘンといっても、あっさりバーンと撃ち殺したり、それがまた抒情的なことをする。
Fujikawa: 一昔前だったら、女性を突き落とす車掌なんて出てきたら、ワースト番組になってしまいますね。
Yamaura: また、その車掌がコメディリリーフというのもミソですね。
Fujikawa: 非情さという部分というのは、子どもを突き放した形で語っていくでしょう、そこが魅力ですね。
Yokoyama: メーテルが出てきてかんたんに助けないところがいいですね。絶対過保護にしないというか。
Matsumoto: あれが保護されてしまうと、マザーコンプレックスの少年みたいになってしまいますからね(笑い)。
Fujikawa: グサッとやるところは、グサッとやる、けっしてあいまいに表現しませんね。
Yokoyama: やさしくて人間愛に満ちていながら、厳しいところがでてくるでしょう。それが愛ということなんだというのが、底に流れていますね。
Fujikawa: 言葉も表現もやさしければ愛だというのはまちがいだと思うんですよ。いくら厳しく描いても描く人の姿勢の中に暖かさがあればということでしょうねえ。非情に突き放しているのではなくて、ほんとうは暖かい目で見ているんですね。
Fujikawa: 話はかわりますが、メーテルにしてもスターシヤにしても、先生の描く女の人は、みんなやさしいですね。
Matsumoto: 私の願望ですね(笑い)。
Yamaura: ところで、メーテルの名まえの発想はどこからですか?
Matsumoto: メーテルリンクの作品からですね。『銀河鉄道999』は、『銀河鉄道の夜』とか『青い鳥』のイメージがあるんです。発想のヒントになったのは『銀河鉄道の夜』で、このアレンジでいこうということでね。
Yamaura: なるほど、やはりメーテルリンクからでしたか。
Matsumoto: ええ。で、実際の内容は『銀河鉄道の夜』より『青い鳥』に近いかもしれませんね。それと『ピノキオ』ですね。つまり、機械人間になりたいというのは、『ピノキオ』の逆をいってるわけですね。
Yokoyama: ところで、松本先生が書いていて、心残りみたいな部分はありますか?
Matsumoto: 無料パスを作る時に、しまったなあと思いましたね。あれは、だれかの使い古した定期をもらって、旅だたせればよかったと思いましたね(笑い)。
Yokoyama: アハハ…………。なるほどねえ。
Matsumoto: で、始めは本物そっくりの定期を作ってやろうと思ったわけですよ。そしたら、あんまりまぎらわしいのを作って、悪用されたりしたら、えらいことになるといわれましてねえ(笑い)。
Yokoyama: それはそうですねえ。
Matsumoto: それと物語の中で一つだけ後悔しているのは、ガラスのクレアですね。
Yokoyama: といいますと?
Matsumoto: あれは物語の最終回に砕いたほうがよかったと思いますね。つまり、999に乗せておけば、色どりもよかったし、好きなキャラクターなので、ほんとにもったいないことをしたなあ、と思いましたねえ。
Fujikawa: なるほどねえ。
Yamaura: ただ書いてるほうとしては、登場人物が三人と決まってるほうがやりやすいですね。確かに美女は何人出てきてもいいですけどねえ(笑い)。
Matsumoto: ただ時々ね、”999″の中をスーッと動いていれば絵としては非常にきれいだし、それが最後に砕け散って涙になるというようにもっていけば、よかったですね。やっぱり少し短気だったかなと思って……。
私は死んでからも”999号”に乗って果てしない旅を続ける
Yamaura: ところで先生、他の乗客はどうなっているんですか?
Matsumoto: 最初は頻繁に乗り降りさせようと思ったんですが、大勢いるとムードが出ないので時折ポツンと座っているくらいで、乗る人を少なくしてしまおう、ということにしたんです。
Yokoyama: 他の乗客も乗り降りはしてるんですね。
Matsumoto: ただ、あの列車のあの雰囲気は、今の子どもたちにわかるかなとも思うんです。今の子どもというのは、蛍光灯のついたきれいな電車に乗っているでしょう。だけど、われわれの頃はすすけた列車でね、それに郷愁も感じるし、ムードもあるんですよね。そのへんの受け取り方が気になりますね。
Yamaura: われわれの世代以上の人たちというのは、ああいう列車に乗って何時間も旅しているんですよね。
Matsumoto: すすだらけになってね。窓のところにすすがたまって、手や鼻の穴の中まで真っ黒になったりしましたね。
Yamaura: 窓をあけると石炭や虫が飛んできてね。あの雰囲気は、今の子どもたちには全然わからないでしょうねえ。
Matsumoto: わからないでしょうねえ。
Yamaura: あれは、僕たち昭和二ケタになりかけた人間の、失われていく郷愁ですね。
Fujikawa: 今の旅は目的地にサッと行ってしまう旅でしょう。昔の旅は行くまでにいろいろな楽しさがありましたよね。
Yamaura: 蒸気機関車世代と新幹線世代の違いですね。
Matsumoto: 私が東京に出て来たときは、二十何時間も乗って来たんですからねえ。
Yamaura: 僕は熊本から来るとき、蒸気機関車がちょうど爆撃にあいましてね。火をふく広島駅を列車がフルスピードでふっとんで行って、トンネル内に待避したのを覚えていますねえ。
Matsumoto: 僕は機銃掃射を受けて蒸気がヴァーッと吹きあげていったのを見ましたねえ。ところが残念なことに、爆撃した飛行機は見ていないんですよ。というのも、オフクロに首根っ子を押さえ込まれて裏山へ連れて行かれたからなんですがね。とにかく蒸気はすごく高く吹き上がるし、音がものすごいんですね。
Yokoyama: そうですか。
Matsumoto: 機関車が煙を吹き上げて爆進するというのは迫力がありますね。それとあの煙が好きでね、わざわざ陸橋の上にいて、機関車がブワーッと吹き上げる煙にまかれていましたね。
Yokoyama: アハハハ……。
Yamaura: 蒸気機関車を知らない世代が出てきたので、この『999』をどういうふうにとらえるかが興味ありますね。
Matsumoto: そうですね。絵でいえば、カーブにさしかかると、煙が後ろに流れてくるのが見えるでしょう。あれなんか、なんともいえないですよね。それと汽笛ね。
Fujikawa: そういう時代は、もう永遠にきませんからねえ。
Matsumoto: 旅といえば、夜汽車の窓の外を赤い明かりが流れていく、あのわびしさは、なんともいいようがないですね。
Fujikawa: そういう意味じゃ、宇宙空間でも窓の外明りがさっと通りすぎて行くような感じをなんとか出したいですねえ。
Matsumoto: ただ沿線に住んでる人は大変ですね。列車が走って来ると地震と錯覚しましたし、家の前で信号待ちかなんかで止まって、ピーなんて汽笛を鳴らすと腹がたちましたね。
Yokoyama: 乗ってる人と住んでる人とでは、感じ方も大分違いますからね。
―最後に一言ずつ抱負を。
Matsumoto: 『銀河鉄道999』は「おいどん」以来、気楽で楽しんで書いている作品なので、それがアニメになるというのは非常にうれしいですね。
私の夢はもちろんですが、私自身がいっしょに乗って走っている列車なので、たぶん私は自分が死んだあとでも、この列車に乗って果てしなく旅をしているだろうと、そんな場面もふっと心の中に浮かぶような作品なのです。
漫画を書く場合は、自分自身の責任において自分の好きなように書いているので非常に気が楽なのですが、アニメ化していく現場の方たちの苦労は察するに余りあるんです。そのあたりが、アニメにしてもらう場合にはこちらも胸が痛む部分もあるし、紙の上に勝手な設定を書いて、それを動かすほうの立場を考えると、立場が逆だったらと思うと慄然とします。しかし『銀河鉄道999』は夢を乗せた列車ということで、よろしくお願いします。
Yokoyama: アニメーション作りはチームワークですから、そのへんのアンサンブルをうまくやってゆきたいと思っています。幸い今回のスタッフはやる気十分な人たちだし、いろいろと注文をだして、苦しいとは思いますが、その苦しみをいい方向に解釈して、とにかく後世にまで残したい作品にするつもりです。それと、作品的にも大きくとらえたいので、ニクールぐらいで終わらせず、最低一年は続けたいですね。それだけの素材でもあると思うし、とにかく原作に負けないようなアニメーションにしたいという意気込みをもっています。
Fujikawa: 脚本のほうからいいますと、久しぶりに出合った企画という感じがあり、すごくやりがいを感じています。松本先生もノって書いていらっしゃるし、脚本家も大変ノって書ける作品です。自分が楽しんで書ける作品というのは、今までの経験からしても、結果として非常にいい結果が出ているように思います。そういう意味で、原作者も脚本家も、みんな楽しんで書けるという意味では、非常におもしろい作品になるんじゃないかと思っています。たっぷり楽しんで書こうと思っています。
Yamaura: 『999』は理詰めの脚本ではない脚本が要求されているので、ある意味では苦しい面もありますが、逆にそれが楽しさにつながってくると思います。壮大なSFではなくて、手造りのささやかな、それでいて奥行きの深いSFドラマになるんじゃないかと思います。とにかく、頭をフル回転させて頑張っていきたいと思います。
Matsumoto: なにしろ鉄郎少年が、あのまま動いてくれるだけで、ほんとにうれしいですね。これからもよろしくお願いします。本日は、みなさんお忙しいところを、ありがとうございました。
(火・森亜也子写真・大槻輝次)
pg. 80-81: The Production Process of a TV Anime

pg. 82: Reader Giveaway

pg. 83-90: Episode 3 – Titan’s Sleeping Warrior



