1981
April
Column [“Director Note”, My Anime]:
アニメ作品の誕生には、ピラミッド型の関係者の努力が!!
テレビアニメの初期の頃――
今、日本ではNHK、民放各社を含めて、 週に二十数本もの、テレビ用アニメーション 映画(ギャグ漫画映画、劇画調漫画映画、名作 路線と呼ばれる映画など色々あるが、それら を含めて)が作られ放映されている。アニメー ション全盛時代と言っても過言ではないだろ う。質の点から言っても、内容的にも、技術 的にも、かなり高度な作品が見られるように なった。 しかし、ここまで来るまでには、アニメ関 係者(制作、演出、アニメーター、美術、撮影、 仕上げ関係など)の、並々ならぬ努力があった からだ。それはピラミッドが多くの労働者の 手により建てられたように、集団の力によっ て作られるアニメーションも、多くの関係者 の汗と涙で今の繁栄を得たのだと思う。 それは、十数年前、私が初めてアニメーシ ョンの社会に入った頃には、思いもつかぬこ とだった。 私が初めてテレビ用アニメーション映画を 演出したのは、昭和三十九年から四十年にわ たって放映された、手塚治虫原作の「ビッグ X(エックス)」という作品だった。「鉄腕アトム」 「鉄人28号」「狼少年ケン」「少年忍者風のフジ丸」 などが作られ放映されていた頃で、虫プロ、 東映動画、TCJ(現エイケン)、東京ムービー など、各社あわせて、週に七、八本しか作ら れていなかった。 作品はもちろんモノクロ(白黒フィルム) で、ポスターカラーの白から、灰色を段々に 濃くして黒までを十段階ぐらいに分け、塗り 分けて、色の表現に替えたのだが、二、三年 後、虫プロで「ジャングル大帝進めレオ」 カラーで制作したのを初めて見た時は、正 直言って、驚きだった。 今の子供たちに、「おばけのQ太郎」や、「怪 物くん(カラーで現在再び作られ放映されて いるが)」「パーマン」などの藤子不二雄の人気 漫画映画が、十何年前にモノクロで作られて いたなど、信じてもらえないのではないだろ うか。 テレビ局が発足し、番組を提供しはじめた 頃の実写映画(アニメーション以外の、俳優 が演技し作られる映画や記録映画など)が、ラ ジオ出身の演出家や、劇場用映画出身の監督 により作られたように、アニメ映画の草創期 にも様々な前歴の演出家によって作られた。 劇場用映画から来た人、人形劇の演出家、 人形アニメ出身の演出家、雑誌漫画を描いて いた人、アニメーターだった人など、様々な 分野の演出家が、テレビ用アニメ映画にとり 組んだのである。 当時、私はテレビ映画の制作に当たってい たが、最初に映画に関係したのが、今は無く なったが、新東宝という映画会社で、特殊撮 影のスタッフの一員で、「戦艦大和」「人間魚雷 「回天」「鋼鉄の巨人・スーパージャイアンツ」 「明治天皇と日露大戦争」などで、ミニチュア 撮影や、合成撮影、ブルーマスク方式による 移動マスク合成などの仕事をしており、アニ メーションには興味を持っていた上、映画界 入りが演出志望だった関係から、東京ムービ ーでアニメの演出のチャンスを得た時は一も 二もなくとびついたのであるが、今考えると 当時は冷や汗の連続だった。 映画にはかわりないが、実写映画と、アニ メ映画とでは、作り方に、かなりの差がある からである。 実写の場合でも、シナリオを映像化するた めにコンテを作る。つまり字に書いてある場 面を想定し、構図を決め、カットを割り、イ メージを固定化し、撮影をスムーズにはこぶ ためにもコンテは必要なのだが、それは台本 上にメモしたり、頭の中に描いたりですむ場 合が多い。 しかしアニメの場合は、そうはいかない。 実写の場合は、目の前に被写体(演技者なり 自然なり)があるから、キャメラをのぞき、 演技者を動かして構図を決め、撮影すること により、すぐに映像をフィルムにすることが 出来るが、アニメーションの場合は、そう簡 単にはいかない。フィルムになるまでには、 一カット一カット、原画家が動きの基本とな 原画を描き、それに動画家が全部の動きを 描き入れ、描かれた動画用紙から、セルロイ ド板にトレスし、それに彩色し、別に描かれ 背景の上にのせ、初めて撮影出来るのであ る。自分のイメージが、目の前で展開され、 すぐにフィルムに収められるというわけには いかない。 アニメ映画は三十分番組で、原動画を描き 上げるのに一か月以上もの日数がかかる。そ れも何人ものアニメーターが、かかってであ る。四、五千枚の絵が描かれるのだから、大 変な作業である。作画に入る前に、演出家と アニメーターと、綿密な打ち合わせをするの だが、そう何日も覚えていられるものではない。 そこで詳細に演技を記した絵コンテが必要 になってくる。一カット一カット、構図を決 め、キャラクター(登場人物、動物、機械など) の演技、表情、感情を記し、セリフを記し、 所要タイムを入れ、アニメーターが、それを 見れば、すぐ打ち合わせを思い出し、作画出 来るような絵コンテを作らなければならない。 ところが、この絵コンテを作る作業という のが大変なのである。 演出という仕事は、一カット一カット、映 像をつみ重ねて、見る者を楽しませ、面白が らせ、悲しませ、感銘を与え、テーマを理解 してもらうことであると思うが、それゆえに、 その一カットが大切な要素をしめるのである。 意味もないカットや、わけのわ らぬカット は、たちまち視聴者を混乱におとしいれてし まう。一カット一カット、的確な構図を決め、 最上の表現で見てもらわなくてはならない。 また、カットの積み重ねだけでなく、シー ンとシーンとのつながりを、どう無理なく、 時には、しゃれて、つなげるかも工夫しなく てはならない。 ところが、イメージの貧困といってしまえ ばそれまでだが、シナリオの活字が、なかな か的確な構図となって、頭の中に現れないの だ。 少しでも良い絵コンテを作ろうと、一緒に やっている他の演出家のコンテを、そっと見 て参考にしたり、アドバイスを受けたり、プ ロデューサーや、アニメーターに相談したり して勉強したものだった。今考えると無我夢 中の時代で、試行錯誤をくり返しながら、あ っという間に数年経ってしまった。苦しかっ たが、反面、活気に満ちた時代だった。段々 アニメ演出の仕事にもなれ、他からも絵コ ンテの仕事を頼まれ、ややもして気がゆるみ そうになった時、白黒時代の原画セルを取り 出して見ては、初心を忘れぬいましめとしている。
アニメーションは無限の可能性を持ってい ることについて―
アニメーションは、無限の可能性を持って いることは確かだろう。想像に限界がないよ うに、確かに実写では描ききれないものも、 アニメなら表現出来得る。幻想的な場面、動 物の世界、人間の感情なども、工夫次第で映 像に表現し得る。 先年、「アンネの日記」を手がけた。その作 り方は、ナチス・ドイツの侵略や、今に残さ れた、アンネたちが隠れた家をドキュメンタ リーフィルムと実写で、隠れ家でのアンネた ちの生活と、ベルゲン、ベルゼン収容所でア ンネが死ぬまでをリアルなアニメで、そして 隠れ家の中でアンネが書いた童話を、絵本風 なアニメ・幻想的なアニメで描く、といった 構成で作ったのだが、その中の童話の話の「恐 怖」という作品で、 一少女(アンネが自分自身 を想定したのだと思うが)が、ナチの空襲で外 に逃げたが、いつの間にか父母と別れ別れに なり、火の中をさまよって逃げているうちに 野原に出、そこで寝てしまう。目がさめてみ ると戦争は終わっており、父母と再びめぐり 会うといった話であるが、この部分を担当し たアニメーターは恐怖におののく少女という 独特のキャラクターを強烈な光と色の中に埋 没させ、アニメならではの効果を上げたもの である。 アンネの演出にあたった時、アンネの日 記を読んで疑問に思うことがあった。それは アンネたち家族と知人のファンダーン一家、 歯医者のデュッセル氏と八人もの人々が、厳 しいゲシュタポ(ナチの秘密警察)に見つから ずに、二年余の間も、よく隠れていることが 出来たということだった。オランダのアムス テルダムに、アンネたちが隠れていた家がそ のままの姿で、アンネ記念館として残され、 全国からの見学者が絶えないという話を聞き、 私たちスタッフは、実写の撮影とロケハンを 兼ねて現地へ行った。私は実際に自分の目で 隠れ家を見ることによって、疑問が氷解した。 ナチに抵抗したオランダ人の援助もあったろ うが、隠れ家には、うってつけの構造だった。 オランダは運河の多い街で、いたる所、運河 が張りめぐらされている。貿易の盛んだった 昔から運河を使って品物を運搬したため、運 河に面して、こぞって家が建てられた。その ためか間口の狭い、奥行きの長い、鰻の寝床 のような建物で、明かりをとるために中間に 中庭を作った。そのために前の建物から後ろ の建物に行くには、細い廊下を通らねばなら ない。アンネたちはその廊下の入り口に本棚 で扉を作り隠れていたという。アンネたちは 密告されて、ゲシュタポに捕らえられてしま うのだが、ともかく、ロケハンの必要性を痛 感したのだった。 近年、外国の名作物がテレビ化されたが、 現地へロケハンし、設定され、作られた作品は 皆、それぞれ説得力があるように思われる。 アニメは無限の可能性があると書いたが、 それは表現上のことで、実際にテレビ用アニ メ映画を作る上では、ある程度の制約が生じる。 自然な動きをそのまま再現するとなると、 撮影するフィルムの流れは、一秒間に24コマ だから、アニメで本当の動きと同じように再 現するためには一秒間に24枚の絵を描かなく てはならない理屈になる。とすると三十分番 組を作る場合、CMなどを除き正味二十二分 をアニメ化したとして、千三百二十秒の二十 四倍即ち、三万一千六百八十枚の絵が必要と なってくる。現在の実行予算と制作日数から テレビアニメで使用出来る作画枚数は四千枚 から五千枚が限度である。その中で最大限の 効果のある動き、演技を考えなければならない。 以前「アタックNO.1」という作品を 演出したことがある。病気がちだった一少女 がバレーボールの選手となり、高校生ながら、 世界一のアタッカーに成長していく、といっ 少女・スポーツ根性物だったが、試合の多 い話になって、はたと困った。二十四人の選 手がコート上を動き廻るのである。一人だけ がスパイクした動きがあっても、あとの人物 がとまっていたのではサマにならない。ボー ルを追って選手は絶えず動いていなくてはな らない。いちいち、ていねいに動きを追って いたら、膨大な枚数になってしまう。そこで 考えだしたのが、フレーム(枠)を有効に利 用するテクニックだった。 映画には枠というものがあって、これから は抜けだせない。どんな広大な世界を描くに しても、どんな狭い場所を描くにしても、こ の枠の中で表現しなくてはならない。 今度の 場合、逆にその枠を利用することを考えたの である。初めに選手がサーブをする前の緊張 感のコート全面を見せ、次にサーバー一人に よりサーブをする所だけを作画する。 次は飛 んでいるボールだけ、次はレシーブする選手、 上がるボール、ここで何人かいれこんでトス を上げる選手、次にスパイクする選手、とい った具合に、カットを細分化していったので ある。これらのカットを連続してつないで見 た場合、見ている人は、枠外に居る選手たち も頭の中で動いて見ているのである。いろん なパターンをこしらえて、試合の進展を描き、 そのために動画枚数の方は、なんとか許容内 で収めることが出来たが、カット数がふえて しまった。打つ、飛ぶボール、レシーブなど、 それぞれの秒数は二、三秒足らず、ものによ っては何コマもといったカットまで出る、三 十分番組のテレビアニメの総カット数は、二 百カットから三百カットを少し越えるぐらい が普通である。ところが、ほとんど試合ばか りの話を上記のような方法で作ったところ、 なんと五百カット近い作品になってしまい、 一緒にやっていたエディター(フィルムの編 集をする人)に、「カット数だけは、巨匠なみ だ」と冗談に笑われたことがあった。 よく他人から、アニメーションのような夢の ある、クリエイティブな仕事をしていて、楽 しいでしょう、といわれることがある。 はたから見るとそう見え、結果として視聴 者を楽しませ、子供に夢を与え、希望を持ち せ、といった作業をしている、あるいは実際 に楽しんで制作にあたっている人も居ること と思うが私の場合、ピンとこない。シナリオ をもらうと、どう料理したらいいか悩んでし まうからだ。 私の場合、演出のモットーとして、わかり やすく作ること、楽しんで見てもらえること (せっかく作って見てもらえなかったら、な んにもならないから)を常に頭に入れている が、どうしよう、こうしようと考えていて制 作予定の締切りが迫って来ると、だんだんい らだって来る。 楽しいなんてものではない。 四苦八苦して絵コンテを完成させた時は、ホ ッとする。締切りに追われた小説家の気持ち もこんなものかと思う。時には、もうこりご りなんて思うこともある。ところがである、 数日たって、なんとなく気持ちが落ち着いて くると今度はどんなシナリオが来るかな、な んて考えだすのである。そして面白いシナリ オであればよいが、などと心待ちしている自 分に気づき、既に物を作る喜びのトリコにな っている自分を笑うのである。 ある陶器を作る人が、何千という数の茶碗 を焼いたが、自分で満足出来るものは幾つも なかったといった話を聞いたことがある。 私も今までに随分たくさんの絵コンテを作 ったが(自分で演出したものもあれば、他の演 出家から依頼されたものもある)満足のいく ものはいくらも無かった。これからもアニメ の演出をやっていくことになるのだろうが、 少しでも、自分の満足のいく作品が作れれば、 と思っている。
キャラクターについて――
アニメーションの魅力は、なんといっても キャラクター(登場する人物や、動物など) である。 キャラクターは子供たちのアイドルである。 魅力あるキャラクターは、子供たちの願望をか なえてくれなければならない、子供たちはそ のキャラクターになりきって、アニメーショ ンの世界に溶けこむのだ。 アニメーションの場合、大勢のアニメータ ーが同じキャラクターを描かなければならな いために最初にキャラクターの設計図をこし らえて、だれが描いても同じ絵になるようにす るのだが、時に面白いことがある。キャラクタ ーが歳をとるのである、「アタックNO.1」と いう作品は二年間にわたって放映したのだが、 最初主人公の鮎原こずえは中学一年生だった。 最後は高校三年生になり、終わるのだが、最終 回に回想シーンで、中学生だった最初の頃の フィルムを使用したところ、かなり違ってい るのである。顔も、身体つきも、すっかり高 校生になっているのだ。いつの間にか成長し ているのである。実写の映画俳優や、舞台の 役者が、「役になりきる」ということを聞くが それと同じで、アニメーターが役になりきり、 キャラクターになりきったのだろう。二年間、 描いているうちに、無意識のうちにちゃんと 主人公を成長させたのである。 テレビアニメの場合、漫画雑誌に連載され ている原作物が多い。私の場合も、「おばけの Q太郎」「パーマン」「怪物くん」「アタックNO. 「1」「空手バカ一代」「ギャートルズ」「天才バカ ボン」「ドカベン」「野球狂の詩」など、ほとん どが原作物だった。これらの場合、原作者の イメージがあり、そこから中々逸脱すること が出来ない。本当のアニメーションの魅力は、 オリジナルのキャラクターを創造し、その世 界をふくらませることにあるだろう。 「ひろすけ童話」「オリバー・ツイスト」「芥川 竜之介の河童」「三国志」など、まだまだたく さんある。そんなアニメーションをこれから 創作することが私の夢である。 四月から放映される、カルピス名作劇 場、「愛の学校・クオレ物語」の制作にとりか かっている。百年前のイタリアの少年たちの 学校や家庭での愛情をテーマにした心温まる 物語である。派手な作品ではないが、百年前 のイタリアの少年たちの生き方に、現代の少 年たちが共感し、何かを感じとってもらえる ような作品が作れればと思っている。
