
1980
April
Feature Article [“Anime Star”, The Anime]:
ごぞんじ「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」の挿入歌「妹たちよ」である。作詞・保富康午、作曲・平尾昌晃のこの美しい詩も、水木一郎の歌があってはじめて、われわれの耳にとどき、聞くものの心に何かを残す。数多くのアニメソングを歌い続けている水木さん、現代のアニメソングのトリプシンガーなのだ。そのすばらしい方は、ファンの心をとらえて放さない。また、歌手だけでなく「宇宙空ブルーノア」では飛鷹翔役としてアニメの声優にチャレンジ、ラジオ関東の深夜放送主ッドナイト・プラザ」のワンコーナー「水木一郎のアニ大橋線局」でDJを務めるなど、現在いろいろな分野で舌謹いだ。2月9日、東京、赤坂の日本コロムビアで待ち合わせ。と、言にデーンと、まえるコロムビア本社ビルの前を、レザーのトレンチコートをなびかせた男ひとりさんだ。「おはようございます!」
毎日発声2時間ー今でも続けていたらスッゴイだろうね!?
昭和23年3月17日、東京の世田谷生まれ。クリーニング屋の3男として水木さんは誕生した。きびしい父親とやさしい母親のあいだ、二人の兄と一人の姉を持つ末っ子だ。実家は戦前レコード屋を営んでいたという。戦災でレコードが焼かれたために、クリーニング業に転業したそうだ。そんな環境だから、家族全員が音楽好き。水木さんは、ごくふつうの元気な少年として育っていった。「小さいころはワンパク坊主だったね。忍者ごつこをしていて、車の屋根に飛び降りてへこませちやつたとか、近所の子どもたちとなんとか団”っていうのを作ってホラ、よくやるでしょ、グループにわかれて戦争ごっこ。それでほかのグループとパチンコで撃ちあうの。あとね、近所の子の自転車をかってに乗りまわしたり。とにかく、ワルガキだった。だから、親父にはしょっちゅうお目玉をくらってました(笑)。」どこにでもいるような、元気な少年だが、音楽にも小さいころから親しんでいた。「いちばん上の兄キがオーディオ好きで、主にクラッシック音楽を聞いてましてね。ちょうどそのころ、プレスリーがはいってきた。家にも彼のレコードがあってね、それで、ガキながらもカブレてしまった(笑)。」水木少年の、音楽に対する熱はどんどんふくらむ。「ギターがほしくてほしくてしょうがなかったんだ。見かねた姉キがウクレレを買ってくれてね。
毎日弾き語りのマネゴトをやってましたね。中学にはいった水木さんは、声楽を学びはじめる。朝晩1時間ずつ発声を練習した。たった1時間と思うなかれ。ためしに1時間ぶっとうしで歌ってみるといい。かなりしんどいことだとわかるはずだ。「今でもそれを続けてたら、もうスッゴイだろうね(笑)。」高校に入学してから、水木さんは本格的に音楽にとりくむ。クラッシックの発声はもちろん、ジャズ、ポピュラー、フォーク、シャンソン、カンツォーネなど、あらゆる音楽を勉強したのだ。やつていないのは浪曲と民謡くらい、というからたいしたもの。なんでも憶えられるティーンの時に学んだことは、すべて栄養になるものだ。水木さんの現在の実力も、それらを勉強すればこそ身についたものなのだろう。水木さんの高校は、私立の世田谷高校。曹洞宗のきびしい学校だ。「当時は〝岡田プロ”という事務所に所属していたんです。休日や夏休みになると、ジャズ喫茶に出演しましてね。それがはじめてお金をもらった仕事かな。そのころからですね、プロ意識を持つたのは。」やろうと思えば何でもできる高校時代。水木さんも、いろいろなことをやったそうだ。「クラスの仲間でバンドを作って、ビートルズなんか演奏しましたね。それから、みんなで養老院を慰問したこともある。その時はね、落語をやったんだ。水中亭源五郎”なる芸名をつけてね。ちゃんと着物もそろえたんだ。」スポーツにも熱中した。はいったクラブはバレーボール部と柔道部。それだけいろんなことをやると、学校で勉強するひまがなくなるのでは?と思うとさにあらず。「学校は好きだったな。別に勉強が得意だったわけじゃないけど、とにかく楽しかった。欠席なんて、ほとんどなかったよ。」高校生活の3年間はあっというまに過ぎ去り、いよいよ人生の選択のとき。水木さんはまよわず音楽の世界に進んだ。「事務所に行くと、仕事が待ってる。だから、もうこれで食べていける、と思って大学に行こうなんて考えなかった。それに、高校のときから勉強よりも歌に対する情熱の方が大きかったから。」そんな有望な水木さんを、レコード会社がほつておくわけがない。日本コロムビアから声をかけられ、いよいよデビュー!
3年間にシングル3枚売れなかったあの時代
レコード会社は、発売するレコードのジャンルによって、いろいろなセクションに分かれている。水木さんがはいったのは、日本コロムビアの文芸部。いわゆる、歌謡曲をあつかうところだ。まず、ステレオセットの試聴レコードを吹き込んだ。曲名は「シェナンド」アメリカのミズリーを流れるシェナンド川を歌った、有名なカントリーウェスタンだ。これは一般発売にはなっていない。市販された初のシングルは「君にささげる僕のうた」。昭和44年7月発売のこの歌が、水木さんのデビュー曲だ。しかし、その曲は売れなかった。「売れない」。このことが、水木さんの心を圧迫する。いわば、水木さんのいちばん暗い時期だ。「あのころは、音楽生活なんて言えるもんじゃなかった。レコーディングもごくまれで、文芸部にいた3年間でシングル盤を3枚しか出さなかったし…まわりの人だって、そんなぼくをあまりよく見てくれなかったんだ。そうなると、音楽の勉強だってままならない。でも、歌そのものはすてられなかった。そうしたら、ぼく自身に対して負けを認めることになるから。」そのまま行けば、現在、水木さんにスポットライトがあたることもなかったかもしれない。そして、昭和46年11月、大きな転機がやつて来る。それは「原始少年リュウ」のレコーディングだった。きっかけは、アニメソングのプリンセス、ミッチなのだ。「そのころ、ミッチの歌の練習を手伝っていたんです。ピアノで伴奏してたわけ。そうしたら、学芸部の大村部長がぼくに声をかけた。アニメの主題歌をやってみないか、とさそつてくれたんです。」それまでは、自分がアニメの主題歌を歌うなどとは思ってもみなかった水木さんだが、とにかくやってみよう、とチャレンジした。「とにかく、いい気分でレコーディングできたんです。そして、歌謡曲の吹きこみ以上に”なにか”をつかめた。そして自分というものに自信を持つた。男としての、やりがいのある仕事にめぐりあえた喜びがありました。」それからの水木さんの活躍はファンの知るところ。「マジンガーZ」「超人バロム1」「ロボット刑事K」「仮面ライダーX」「がんばれロボコン」「アローエンブレム・グランプリの鷹」「宇宙海賊キャプテンハーロック」「北の狼・南の虎」「仮面ライダー(新)」など、数多くのアニメ・特撮ソングを歌い続けている。では、水木さんにとってアニメソングとは何なのだろうか?「アニメソングは、ぼくの柱です。ぼくを守つてくれるものだし、ぼくが代弁して他人の心を伝えられる。もちろん、アニメっていうのはたくさんの人たちが集まって作るもので、ぼくはその中のほんの一部を受けもっているにすぎない。だけど、責任重大です。その、限られたセクションの中で、いかに番組の雰囲気を盛り上げるかぼくにとって、本当にやりがいのある仕事です。」
人恋しのさみしがり飲めばついワルノリ
どんな質問にも、気どらずに淡々とした口調で話してくれる水木さん。お酒なんて、飲む人だろうか?「けっこう飲む方ですよ、ぼくは。仲間といっしょにワイワイ騒ぐのがだいすきでね。これは高校生のときからです。あのころは、喫茶店に集まって、夜中の1時ごろまでさわいでいた。人恋しさのさみしがりやなんですね。で、飲むとワルノリしちゃう。」ファンから聞いた話酒を飲んで、新宿の交差点で「炭鉱節」を踊ったそうな。それだけならまだしも、近くを歩いていたカップルに「いっしょに踊りませんか」と声をかけたらしい。これ、ホントかな?「そんなのはマシな方で(笑)。こないだ札幌に行ったときなんか、大通りを歩いていて、10メートルごとにバンザイした(笑)」。陽気な性格ですね、というと、「客観的に言えば、あいつはわりとジメジメすることがあるし、すぐにめげちゃうんだ。それさえ直せばいい男なのに(笑)。」ちなみに、よく飲みに行く友だちは、石丸博也さん、井上真樹夫さん、ささきいさをさんたち。今度ぜひごいっしょしたいものだ。さて、現在やりたいことは?「やつぱり、コンサートがやりたいですね。あまりハデハデじゃなくて、本当に歌の好きな人だけを集めて、じっくりぼくの歌を聞いてもらいたい。あと、芝居もやりたいし、映画もつくりたいし、本も書きたいし……でも何をやっても、結局歌につきてしまう。「ブルーノア」の声をやっていることも、あくまでも歌がふくらむんじゃないか、今までと違う面から歌をながめられるんじゃないかと思つたから。やつばり歌手なのね。それを磨きたい。アニメの歌だけじゃなく、ぼく自身が作った歌も聞いてほしいしね。」この3月、水木さんの新しいLPレコードが発売される。すべて水木さんが作詞作曲したオリジナルだ。どんな歌を聞かせてくれるか、じつに楽しみではないか。そして、やはり水木さんにはアニメソングを歌い続けてほしい。ファンならこう思うはずださんの歌が流れないブラウン管なんて、信じられない、と。がんばれ、男、水木一郎!
